ドイツの山東半島経営と日本との関わり
皇紀2596年 日独関係
新領土政策を標榜して東インド会社方式による山東半島の統治を進めていくドイツ国のそれはドイツ産業界の山東半島へ生産拠点設置によってより収益を高めていくという構造をつくっていくことに繋がっていった。
機関車メーカーであるボルジヒ社を筆頭にヘンシェル社、そしてクルップ社、ついでクラウスマッファイ社が続々と青島とその近郊に鉄道車両工場を建設し、青島の置かれている総督府が直営する新領土鉄道に機関車、客車、貨車、そしてレールなどを出荷していく。
山東半島に点在する炭田には鉱山鉄道が敷設され、これらは新領土鉄道膠済線(青島-済南)へと接続する。各地の炭鉱で採炭された後にクルップ社の一大製鉄所がある青島へと石炭を運ぶ。また金嶺鎮の鉄山からは良質の鉄鉱石が産出し、これもまた昼夜問わず輸送列車が運行され青島で送り込まれている。
新領土鉄道では36年時点において本国のドイツ国鉄が生産を開始したばかりの45形貨物用蒸気機関車を同様に採用し、開発元のヘンシェル社が主製造メーカーとして指名されることで増産が行われているが、これは元々持ち込んでいた44形貨物用蒸気機関車の数的不足を補うことと経年劣化更新を図ることを望んだことによる。
また、ドイツ機関車メーカーが青島に工場を相次いで建設した背景には大日本帝国における列島改造と標準軌化、そして弾丸列車構想の進展において既存の鉄道省が既存の機関車の改造や国内メーカーにおける新造では不足していること、標準軌機関車を設計する上での経験不足を補うことから外交関係が比較的良好なドイツから技術導入を図ることを狙ったためでもあった。
史実ではC53形蒸気機関車を設計する上でC52形蒸気機関車をアメリカのアメリカンロコモティヴ(アルコ)から導入したが、それと同じ経緯であると言えるだろう。これによってボルジヒ社で設計され初期ロットを導入した8850形蒸気機関車以来のドイツ系機関車技術の導入となったのである。
この時導入されたのが01形特急用蒸気機関車であり、有坂総一郎が提唱した在来線最高時速130km運転を概ね達成しうる性能を満たしていたことからC51形蒸気機関車から特急運用を引き継ぐ形で東海道/山陽本線において30年頃から活躍し始めた。国内各メーカーからは怨嗟の声が上がったが、それは逆にC51形蒸気機関車を亜幹線へと浸透展開させていくことに繋がり、結果としてC51形の量産を拡大させることとなり最終的に史実より倍となる600両にも及ぶ大所帯へとなった。
01形特急用蒸気機関車は鉄道省においてはC52形蒸気機関車として制式採用となったが、史実に比べると蒸気機関車の世代交代が遅れることとなったが、これは結果としては吉と出たのであった。C51形蒸気機関車の生産拡大は全国規模で考えれば牽引定数の引き上げと高速化を達成する原動力となる結果を導き出すこととなり、また、01形改めC52形蒸気機関車の国内メーカーによるライセンス生産と鉄道省標準化改造によって3気筒機関車の技術的蓄積へと繋がったのだ。
満を持して鉄道省が標準設計を行った新型機関車であるC53形特急用蒸気機関車は態々制式名称に特急用と表記された形で33年に東海道本線に投入され、看板列車である特別急行「燕」の本務機となった。その際、一次車20両が流線型で製造され、東京・浜松・名古屋・明石機関区へ5両ずつ配置され東海道本線の花形となったのは言うまでも無いことである。
こうしてドイツ側からの技術導入とメーカーとの関係性を深めることとなったのだが・・・・・・。
「なに? ドイツで200kmを目指す機関車が開発中だと?」
帝都東京の鉄道省にはドイツの各メーカーが何かにつけて出入りしていることで欧州の鉄道事情がかなり入っている。無論、これには大手商社を経由しての情報もあるが、特にこれらに敏感なのは設計主任であった島秀雄であった。彼は情報を察知すると開発メーカーであるボルジヒ社の営業を呼びつけて事情を詳しく聴取し始めた。
「我々がもうじき完成させる弾丸列車構想では200km相当の高速度で運行を予定しているが、貴社が開発中と噂される高速機関車について教えていただけないか? なに、ただでとは言わない。C52形と同様に技術導入のために発注を行っても良いと我々は考えている」
「そうは言われましても、我々も05形高速蒸気機関車については多くの情報に接しておりませんのでお伝え出来る内容は貴方方が知っているものとそれほど違いはありません。ただ、我が社が手掛ける以上は英米と比肩しても劣ることのない出来は保証しますが」
ボルジヒ社側の自信は当然のモノであった。35年に試験走行を行い、36年に入ってからは非公式ではあるが200kmを超えた記録を打ち立て、近々ドイツ本国で正式な速度試験を行い非公式記録と同様の数字を打ち立てるのも時間の問題と告げられていたからだ。
「貴国はその高速機を実用化した後量産する意図はあるのか?」
「うっ、それはドイツ国鉄次第でしょう。本国の事情を推察する限り、ベルリン-ハンブルグ、ベルリン-ミュンヘンなどの限られた線区への投入が精一杯だと私自身は考えていますが・・・・・・」
苦々しい表情を浮かべるボルジヒ社の営業担当者たちであった。彼等も自社製品の優秀さをアピールしたいし、それによって世界に冠たる大ドイツと叫びたいの心情ではあるが、本国政府や鉄道当局にその気が無いのではどうにもならない。
「どうだろう、共同開発という形で出資またはライセンスを本国の本社に掛け合ってくれまいか。我々ならそれを上手く使う自信がある」
「確かに貴国なら明確に弾丸列車という方針が出来上がっている。それであればそれにそってノウハウを蓄積していけば05形高速蒸気機関車を十分に活躍させうるでしょうな」
「では・・・・・・」
「良いでしょう。我々もビジネスの相手があってこそモノを売れる。買ってくれるというならば折衝しましょう」
「お互い良い関係でありたいモノですな」
実際にボルジヒ社や他のメーカーも鉄道省だけでなく南満州鉄道、朝鮮総督府鉄道などの日系鉄道会社相手の取引は頭打ちになっていたこともあり魅力的な提案ではあった。それ故に極東支社にとっては交渉を妥結させたい腹づもりにはなっていた。
尤も本国政府が差し止めをする可能性はあった。首相であるアドルフ・ヒトラーや国会議長であるヘルマン・ゲーリングなどは兎も角、反日主義者はドイツ政府閣僚には幾人か存在している。彼等にとって自国技術の輸出などは言語道断という態度なのだ。
「いくらかの手土産が必要かも知れませんから、貴国の政府からの譲歩をお願いすることになるかも知れません、それでも宜しいですかな? 島さん」
「ええ、それくらいの周旋でしたらお任せ下さい」
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