新領土政策
皇紀2596年6月21日 支那大陸 北支地域
北支地域は日英独仏伊が自国権益地域と港湾都市を結ぶ鉄道路線の安定運行を確保するために義和団事変以来天津を中心に展開している各国の駐屯軍を規模を拡張した上で鉄道沿線に配置されている。これによって主に北京・天津-満州の大動脈を担う京山幹線(北京-山海関)は内地の鉄道省や南満州鉄道と同様の定時運行を実現出来ている。
定時運行が可能になるとその輸送力に大きな期待とそれに応えるために列強は共同出資による華北交通株式会社を設立し、順次、線増を行うことで北京-奉天は複々線化され高頻度運転と客貨分離が実施された。これによって沿線の唐山付近に点在する炭鉱から良質の石炭を製鉄所の立地する鞍山や資源の一大集積地となっている天津へ輸送することが可能となったのだ。
また、山海関に隣接する秦皇島に拠点を構える大英帝国は自国向けの輸出港を設置し、自国権益炭鉱から大量に積み出している。黄河口にほど近い史実における勝利油田、この世界では渤海油田は地勢的に良港に恵まれないこともあって、仏伊が拠点を設ける天津かドイツが拠点を構える山東半島の青島へ産出された原油が運ばれ輸出される。
欧州大戦の結果、山東半島の権益を失ったドイツにとって再び得たその権益は棚ぼた式に得たモノであったとは言えども放置するには惜しいものであった様で永続確保するべく、精力的に青島-済南-天津-北京の鉄道路線維持にその労力を惜しみなく注ぎ込んでいた。
青島を擁する膠州湾に再び要塞を築き、大砲王クルップ社に製鉄所と造船所の増設を依頼し、またボルジヒ、ヘンシェルなど鉄道車両メーカーに現地工場の設立を斡旋することで再植民地化を推し進めている。
青島に置かれた総督府は新領土総督府と称され、彼等の業務は英東インド会社方式に在来支那人を統治するために積極的に移民を募り、分散しその割合を薄めると同時に新参者と原住民をお互いに敵視させるように仕向け、そしてその上位にドイツ人が位置され統治するというものであった。
東インド会社方式はその信頼と実績が故に支那分割という列強による列強のための列強のシステムに再利用されることとなったのだが、何もそれは列強が悪いというわけではない。支配者にとって圧倒的多数の異分子を効率するためには当たり前の手段であり、適用される側がそもそも悪いのだ。自力で撥ね除ける力も無い存在に有無など言う権利はないのである。
では、ドイツがどこからその憎まれ役を連れてきたのか・・・・・・そこにはドイツとその友好国、そして歴史的ないきさつがあったと言っても良いのだが、まずはドイツの伝統的な友好国であるトルコがその憎まれ役の供給役となった。
同じく欧州大戦でオスマン帝国が崩壊するとトルコはほぼ単一民族に整理されたのであるが、その領土内には歴史的ないきさつから少数民族がそれなりの規模で存在していたのである。国民国家を目指すトルコ政府にとっても異分子が存在しているのは望ましくも好ましくもない状態であった。
しかし、それだからと言って大っぴらに民族浄化などするほど恥知らずでもないトルコ政府にとってドイツが新領土に憎まれ役を必要としていることを知ると一つの取引を持ちかけたのであった。
「どうだろう、お宅も我々同様にある特殊な問題を抱えているわけだが、それを解決する方法がある。ついては共同の政策としてこの問題を最終解決するために行動しようじゃないか」
ドイツにとって、いやヒトラー政権にとってトルコ側からの申し出はある意味では僥倖であったかも知れない。ナチ党の支持者やその幹部にはとある問題を口にする者が多く、また国民感情としてもそれを肯定する向きが多かった。いや、それはドイツだけでは無く、隣国のフランスや海を隔てた大英帝国であっても例外ではなかった。
「ほう、その提案は非常に興味深い。私も身内の恥をさらすようだが、最近は突き上げがあって困っていたのだが、まさに渡りぬ船というもの少し検討は必要だろうが、前向きに考えたい」
ヒトラー政権内部でもその問題に触れることは政権崩壊や周辺国との関係を損なう可能性があることをよく理解していた。また党内実力者でもあり、治安関係の権力を握っているヘルマン・ゲーリングがそれを渋っているからだが、大義名分とお膳立てをすれば首を縦に振るだろうとアドルフ・ヒトラーはそう考えたのであった。
「ゲーリング君、トルコからの提案であの問題を解決する方法に目処が立った。君には治安の責任者として、そして国会議長として彼等が新天地に旅立つのに都合の良い演出をしてもらいたい」
ヒトラーからの突然の話にゲーリングは戸惑いを見せるが、ナチ党内部で囁かれる過激な方法に比べれば穏当な方法であることをヒトラーの説明で認識した。
「ユダヤ人とクルド人を支那へ送る。あとは勝手に彼等が現地でいざこざを起こしてくれるだろう。カネにがめついユダヤ人のことだ、新天地で大いに儲けて支那人の恨みを買うことだろうよ」
「まぁ、そうでしょうな」
ヒトラー政権のツートップが同意したことで最終解決へ向けてドイツ政府は動き出した。
「東方の約束された地、新領土こそ本当のエルサレム、パレスチナの地は精神の聖地である。目指せ、東方の約束された繁栄の都。新領土を開拓することを祖国は望んでいる」
ヒトラー・ゲーリング会談の数日後に行われたルフトハンザと中欧寝台食堂車会社の旅行キャンペーンでニュルンベルク法に基づくユダヤ人規定対象者は優遇措置によって戸建て住宅の保証付というそれが記されていた。これらによってドイツ国内で肩身の狭い思いをしていたユダヤ人コミュニティーが続々とハンブルク港から新天地を求めて出立していったのである。
それから数年、ドイツ国内だけで無くオーストリア、フランス、ベネルクス三国などからも続々と約束された地へと彼等は渡っていったのであるが・・・・・・。
大英帝国仕込みの東インド会社方式はしっかりと社会の分断と階層化を固定化させていったのである。
富裕層ドイツ人>富裕層ユダヤ人>富裕層支那人>中間層以下ドイツ人>中間層以下ユダヤ人>最下層
こういった階層化と社会の分断はそれぞれを敵視蔑視させることで団結させることを出来なくし、結果としてドイツ人の新領土支配に大きく貢献していった。
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