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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2596年(1936年)

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人民解放の名の下に……

皇紀2596年(1936年)5月29日 中華民国 中支地域


 時系列は再び戻る。アメリカ合衆国が介入するに至った経緯と列強の反応はこれから記していきたい。


 天長節を狙った抗日テロが中華ソヴィエトによって引き起こされた。北支の租界や山東半島の在華紡が主目標とされ、爆弾テロや強盗が天長節を境に前後して発生していたのだが、租界などは警備隊/守備隊の活躍で阻止され、在華紡における被害が目立つ。


 しかし、この事件は抗日というだけでなく、同じく北支に租界や租借地を有する列強各国へも波及していく。


 数日間で数十件の事件が発生し、その多くは各国の守備隊などに鎮圧されたことで北支の騒乱は概ね二週間程度で沈静化したのだが、流石に北支の警備状態が中華ソヴィエトの想定以上に厳しいものであると認識すると彼らの工作員などは南下し、江蘇省、安徽省、湖北省、浙江省付近に潜伏し始めたのである。


 これがアメリカ合衆国にとって許容し難い結果を招くことになった。


 列強各国は不安定かつ自国影響力を発揮出来ない中支に興味を持たなくなり、南京事件や上海事変などで自国民に被害が及び敵対心の強いこの地域から撤退していた。列強が唯一拠点とする上海も租界要塞によって支那本土と分離させることで維持していたが、一部の国は利益の上がらない不良債権と看做していた。


 それでも上海が国際社会に開かれているのは金融都市として中継貿易都市としての価値がまだあるからであった。というのも、欧州列強と大日本帝国が中支から撤退すると同時にアメリカ資本が流れ込み、アメリカ権益が根を張り始めたからである。資金が動く以上、金融業界が上海を策源地として選択するのは自然なことであり、それが故に列強も上海を維持することに繋がっていたのだ。


 アメリカ資本は支那奥地を魅力的なラストフロンティアとして長江流域に営業拠点を設置、上海及び南京周辺に工場や倉庫を設立してアメリカ本土から生産された部品を最終組み立てすることで保税工場とし関税を回避して利益を上げていた。


 アメリカ資本の工場などが立つ都市とそうでない都市で経済格差が生じていたことで住民感情が悪化していたことで中華ソヴィエトに付け込まれる隙を与えてしまったことになるが、当のアメリカ資本はそんなこと全く考えてもいなかった。


「チャイナでメイクマネーが出来る。本国で商売するより余程実入りが良い」


 彼らはそう言ってはばからないが、それが足元をすくわれる理由になっているとは思いもしなかったことだろう。


 アメリカ資本が米本土よりははるかに安い人件費であるが、支那の平均的賃金収入を上回るそれを示して入植していた地域は経済が間違いなく好調であった。しかし、それは同様にアメリカ資本の商品を買わせるための罠であり、多くの労働者はツケ買いによってその負債を支払いきるまで逃げ出すことが出来ないという状態に置かれていた。


 内情を知らない他の地域の住民にとって羨望と嫉妬の対象であり、そこに中華ソヴィエトの工作員たちは言葉巧みに工場などへの襲撃を唆したのである。また、給与支払い日でもあった5月29日に工場労働者などに一斉蜂起を促していた。


 内と外で同時に抗米蜂起が発生すると最早手の施しようのない惨劇の舞台の出来上がりである。


 日頃から奴隷労働を実質的に強いられていた彼らは工場主を吊るし上げて虐殺、幹部社員の住居を焼き討ちすると悲鳴を上げる彼らもまた凌辱して殺害したのだ。また、工場や倉庫を襲撃したグループは現金、資材そして商品を略奪するとここにも火を放ち自動車やトラックを奪って逃散していった。


 彼らの向かう先は人民解放八路軍と称する一団が占拠する村であった。ここに略奪品などが積み上げられ、逆にソ連から供給された武器や骨董品同然の青龍刀や偃月刀を手渡された。


「お前たちは蒋介石の南京政府だけでなくアメリカも敵に回したのだ、これよりは我らとともに人民を国賊から解放し、外国勢力と戦うのだ。まずは、こことここのアメリカ工場を襲撃するのだ」


 約束と違うが、御尋ね者になった以上は選択肢がなかった。彼らが集められた広場は壁で囲まれ、その壁の上には機関銃が設置され銃口を向けられていた。拒絶すれば皆殺しであり、口封じされる未来しかなかった。


 その後、人民解放八路軍を名乗る集団が長江流域各地のアメリカ資本を襲撃し続けるのであった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 見事に日本と米帝が入れ替わったなぁ でも、フロンティアであり自身の権益であるチャイナを棄てる選択肢などない。 まあ、歴史は役者を変えても流れは変わらないか。
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