危機感を抱く
皇紀2596年7月5日 帝都東京 有坂邸
数時間前に放送された炉辺談話はただちに列強各国で共有される事実となった。
「あの野郎、マジで大魔王となりやがったな……」
列強各政府よりもその意味するところをよく理解している有坂総一郎は妻の結奈と雁首揃えて頭を抱えていた。
「そうは言っても、米帝様がB-29を開発するのは時間の問題だったでしょう?」
結奈はそう言うが、やはり事態の深刻度を理解しているために放った言葉には諦めと悲しみが含まれている。
「まぁ、そうだが、それにしても早過ぎる。このタイミングで投入出来るのは史実ベースだとB-17の試験機やXB-15、DC-4Eくらいだろうな。だが、あれらが実用化されるのも38年、つまり昭和13年のことなんだが……」
いくら前年時点でアメリカ合衆国が戦略空軍決戦思想に進んでいることを把握しているとは言えども、実際にそれが僅か1年ほどで現実化するとはとても思ってはいなかったのだ。
「去年の時点で早くても昭和15年と想定していたものね。それが4年も早くなるとこちらの予定が全部狂うわね。どうするつもりかしら、旦那様?」
「どうもこうもないよ。今の帝国では精々速度500km程度の戦闘機しかないし、そもそもそれらも対戦闘機なら兎も角、米帝様の頑丈な爆撃機相手にするようなものじゃない。20mm機関砲が標準装備でも怪しいと思うよ」
「そうよね、史実ではB-29用に開発していたのは37㎜機関砲だったかしら」
「口径だけで言えば30㎜と37㎜だね。けれど、それって今の戦車砲や対戦車砲と口径同じだから当然搭載弾数も相応に減る。だから局地戦闘機と言う迎撃専用機の開発が必須になる。けれど、今の帝国は攻撃側だから防御側になったことがないせいでその必要性を理解する人は少ないだろうね」
「私たちと東條さんくらいかしら?」
「そうだね。海軍で言えば、平賀さんもそうだけれど、あの人は空襲が激化する前に死んでるからいまいちピンと来ないと思うよ。大角さんは理解しているかもしれんし、川南さんあたりも何か思うところはあるのだろうけれど、基本的あの人たちはフネ関係だから航空関係は素人だろうしなぁ」
総一郎はそう言って再び頭を抱える。
「手詰まりね」
「お手上げさ。けれど、中島飛行機が軽戦闘機じゃなく、次期戦闘機の研究を重戦闘機志向で設計開発を進めているからそれはまだ救いと言っても良いかな」
「隼だったかしら? それとも疾風?」
「後者が正解。けれど、正確には鍾馗だね。疾風はそのあと。隼は長距離進出が出来る機体として急遽採用された軽戦闘機だから……でも、陸軍さんが敵策源地攻撃を唱えると隼の開発に再び進みそうだなぁ」
「川崎のキ28だったかしらアレの後継は?」
結奈は最近見聞きした機体を口にする。ミリオタではない彼女に細かい違いは解らない。しかし、資料や報告書に隅々まで目を通して必要なことを記憶している彼女はキ28の加速力や最高速度を思い出して尋ねている。
「キ28か。恐らく、あれはそのまま発展してキ61、飛燕に至るんだろうなと思うけれど、問題は発動機がなぁ……本当にアレを使いこなせるならロールスロイスからマーリンを買ってくるんだけれど、マーリンは贅沢仕様の発動機だから稼働率以前に生産が追い付かないか代用材でケチが付くだろうな」
「川崎の技術陣を信用していないの?」
怪訝な顔をして尋ねる結奈に総一郎は首を横に振る。
「違う。彼らも一流の技術者だと思うし、そうだからこそあんな悪条件であれだけの結果を出したんだ。問題は資源だよ。銅とニッケル。あと潤滑油。欲を言えば工作機械の精度だなぁ。一番早く取り組んだのに未だドイツ製に追い付けないのだから、どうしても液冷発動機は割り引いて考えないといけない。あと、川崎の工場は小さいから、戦時増産でも限界が高くない……愛知もだけれど」
「ないないづくしね」
「あぁ、3ない運動ってのが昔あったけれども……我が帝国は資源がない、精密機械の精度が高くない、生産規模が大きくないってのが問題のままなんだよ……所詮は小手先の論理だよ。嫌というほど思い知らされたさ。ああすれば、こうすれば、なんてのは現代人の傲慢と無知ゆえの寝言さ。当時の日本人がそこまで愚かであるわけがないんだ。彼らが自分たちに出来ることをしていた上で難題を抱えていたって思うべきなんだ」
「あら、自嘲? 珍しい」
「反省さ。現代人無双なんて寝言を信じていたわけじゃないが、それでもどこかそういう部分があったということに気付かされたのさ……まぁ、今まで何度もそう思ってはいたけれども」
「反省して前を向けるなら良いじゃない、それで、メギドの業火とやらにどう対処するの?」
結奈は脱線した話題を本題へ戻す。
「今のところは手の打ちようはないね。情報収集で敵の手の内を調べるしかないな。これが帝国本土へ届くのか、それともハッタリなのか、これで時間的猶予が変わると思うし」
「そうよね……東條さんには連絡が必要?」
「不要だろう。あの人は当事者だからね、嫌という程理解していると思うよ。だから、陸軍内で何か手を回すだろうしね。我々がすべきは中島と三菱に工場増設と発動機開発の促進のために裏工作することかな……最悪でもウチで発動機生産の下請けくらいはしないといけないね」
「そうなるとまた工場増設するということね……明らかに生産設備の過剰投資なのだけれど……仕方ないわね……社内はなんとかやりくりするわ、政治向きはいつも通りお願いね」
最近の役割分担は自然と外向きが総一郎、内向きが結奈となっている。中島知久平が大臣職に就いた頃から総一郎にも政治へ転向するように堤康次郎などから何度も周旋されている。その都度、総一郎は「経済人なので」と断っている。この時代に本来生きる人間に政治を任せて自分は裏方に徹したいという思いがあったからだが、いよいよそうも言っていられなくなっているのであった。
「政治に片足突っ込み過ぎて抜け出せなくなっている気がする」
「何を今更言っているのかしら、最初からどっぷりじゃない」




