悪いニュースと良いニュース
皇紀2596年7月4日 アメリカ合衆国 ワシントンDC ホワイトハウス
時系列は3ヶ月ほど進む。先に起こった事実を示した方がわかりやすいだろう。
「こんばんは、合衆国市民の皆さん」
定例の炉辺談話で大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトは明るくもなければ暗くもない平坦な口調で語りかける。
「今夜は良いニュースと悪いニュースをお伝えしなければなりません。まずは悪いニュースから……」
普段と違った説明口調がラジオから聞こえてくることで聴衆はただ事ではないと感じ取った。普段、ルーズベルトは冗談を口にしたり陽気な調子で合衆国市民へ語り掛け、聴く者を惹き付け自身の政策の熱心な信者に取り込んでいる。それだけに聴衆固唾を飲んで彼の言葉を待つ。
「我が合衆国にとって支那はラストフロンティアであると私は常々皆さんにお伝えし、それが故に列強に支那の門戸開放を求め、春に一定の妥結を見たのはご承知の通りです。しかし、ここのところ、支那の情勢は非常に悪化の一途を辿っています。これについて、列強及び我々の友人である蒋介石とその政府は深い憂慮を示し、一致して問題に当たることとなっておりました」
この時のルーズベルトは悲痛な表情を浮かべその口調にもありありと彼の表情が感じ取れていた。聴衆もこれはただ事ではないと感じつつ次の言葉を待っている。気が早い機関投資家や銀行家などは投機のチャンス到来と既に動いているが、一般の合衆国市民はまだ何が起きようとしているか理解出来てはいなかった。
「ご存じの通り、中華ソヴィエトが中支の穀倉地帯で虐殺を行ったのは記憶に新しい悲劇であり、我々は一致してこのようなことが起きぬ様にと願ってきました。しかし、残念なことに列強諸国は中支から手を引いており、我が合衆国のみがその地にとどまっています。支那数億の民衆という巨大な市場がそこには手つかずのまま存在しており、我が合衆国資本が徐々に浸透しつつありました」
列強にとって上海・南京など中支は既に魅力的な市場ではなく、要塞化された上海租界の維持さえ出来ればそれでよく、敢えて言えば阿片密輸ルートなどとして上海さえ確保されていれば特に支障がないために手を引いていたのだ。
大日本帝国にとっては上海は支那各地から回収される銅資源や銅幣を積みだすこと、そしてその対価に持ち込まれる銀や阿片の受け入れ先としての価値程度であった。また、陸海軍の各特務機関のアジトとして活用されている。
改めてここで説明しておくと大日本帝国は不足する銅資源を調達するため、支那各地から銅幣や銅塊を買い付けている。表向きは銀との交換であるが、それでは大日本帝国にとって交換レートとしては損でしかないため、阿片もセットで売りつけている。阿片の対価に銀を回収することで実質的にタダ同然で銅資源を手に入れているのだ。
アメリカ合衆国も銀を買い上げることで大量のドルを蒋介石の南京政府に外貨準備をさせ、そしてその銀の価値を高めることで大英帝国のポンドの価値を毀損するという世界戦略を同時並行で実施しているが、史実と違ってこの世界ではこれが上手くいかないのは大日本帝国による大量の銀取引によってアメリカ合衆国へ銀が流れないためである。また、同様に大英帝国もチャーチル卿を通じてアメリカ合衆国の銀買上に対抗するように政策を実施していることでポンド防衛に成功している。
各国の思惑がこの上海を中心に飛び交っているが、逆に言えば表向きは金融取引や資源取引さえ出来ればよいので南京や武漢など奥地へ進出する必要がなかった。
しかし、逆にアメリカ合衆国は国内経済の沈滞とニューディール政策の行き詰まりによって対外市場の確保を必要としていた。欧州列強諸国はブロック経済を実施し、域内経済によって経済活動を成長させる方針を実行し、不足する分や過剰な分を経済の好調な大日本帝国と取引することで必ずしもアメリカ合衆国を必要としていなかった。いや、言い方を変えれば欧州はアメリカ合衆国を信用しなくなっていたのだ。
当然そうなると世界の工場として機能していたアメリカ合衆国の地位低下に拍車が掛かり、その過剰な生産力を捌くために中南米、支那やソ連への依存を深めていくという状態であった。これが列強にとっても不愉快であり疑いを深める結果につながっている。文字通り悪循環である。
「しかしながら、昨今完成したばかりの自動車工場や製鉄所、各企業の営業拠点など長江流域の合衆国資本に焼き討ちや押し込み強盗などが頻発し、我が国益を明確に棄損し始めている状態にあります。我が友、蒋介石はこれを中華ソヴィエトの仕業であるとして掃討することを約束してくれましたが、その成果はなかなか上がらないと報告を受けており、合衆国政府として我が友を助ける必要性、合衆国資本を守り抜く必要性を痛感せざるを得ない状況にあり、これが悪いニュースとして大統領として合衆国市民へお伝えしないといけないため残念でなりません」
心底申し訳ないという口調で語りかけている。聴衆もまたルーズベルトの無念を共有して悔しそうな面持ちで彼の言葉を聞いている。しかし、当のルーズベルトの口元には笑みが浮かんでいる。その事実を知るのは彼のスタッフだけであった。
「しかし、私は合衆国市民の皆さんに良いニュースをお知らせすることが出来ます。それは先の炉辺談話でお話した空飛ぶ列車砲が戦列に加わったということです。空飛ぶ列車砲が我が友、蒋介石の情報に基づき、中華ソヴィエトの策源地を爆撃したのです。シャングリラから飛び立つ我らの正義の鉄槌は我らの敵にいつでもメギドの業火を浴びせることが可能になったということを合衆国市民の皆さんにお伝えし、投資家や銀行家、企業家の方々が安心してメイクマネー出来ることを合衆国政府は保証出来る様になったこと、これが良いニュースだと言えるでしょう。合衆国市民の皆さんが安心してお休みになれたら幸いです。おやすみなさい」
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