それぞれの事情
感染性胃腸炎は本当にきついから読者諸兄も気を付けられたい。
薬飲もうが何しようがなかなか熱が下がってくれないから。
皇紀2596年3月31日 帝都東京 有坂本社
モンゴル人民軍の戦車部隊が壊滅して半月、事態は急展開を迎えていた。
ソ連赤軍ザバイカル正面軍の司令部にまず変化が現れたのである。モスクワから派遣された政治将校によって司令部全員が拘束され、イルクーツクへ連行、処刑されたのである。
「属国もまともに管理出来ぬなど怠慢である。党への忠誠心に疑いがある。いや、日本と内通していたに違いない」
ヨシフ・スターリンの一言であった。
スターリンの命によって敗北が明らかになった時点でザバイカル正面軍の司令部が丸ごと入れ替わり、組織が一新されたのであったが、それは見方によっては大日本帝国、関東軍にとっては警戒すべきことではあったが、同時に現場を理解していない素人集団に置き換わったという話でもあった。
より好戦的と言えば聞こえは良いが、モスクワの指令通りに動く司令部に置き換わったことでスターリンは極東地域におけるフリーハンドを手に入れたことになる。自身の手足となって赤軍をコントロールする政治将校に軍の命令系統における優先権を与え多数配属したのだ。
無論、これは政治将校によって軍司令部の監視だけでなく、麾下部隊へ督戦するためでもあった。
ザバイカル正面軍を手始めにスターリンは政治将校直轄の督戦隊を大隊単位で各連隊へ組み込んだのである。数字だけ見れば定数が膨れ上がることになるが、その本来の役割を考えると誰にっても不幸な結果しか生み出さないのは明白であるがそれを指摘したらその時点で政治将校の餌食である。
これは全軍規模での組織改編につながり、赤軍全体が大混乱に陥るという事態を招いていたが、それに気付いているのは赤軍高級将校であったが、彼らもまた政治将校によってその動向が監視されていた。
しかし、スターリンの怒りの矛先はそれだけにとどまらなかった。
「儂の目が黒い内はこんなことが二度と起きぬようにしなければならぬ」
すぐさまコミンテルンを通じてモンゴル政界に働きかけが行われた。
モスクワからの指示が届いた翌日には政変が起き、改めてスターリンに忠誠を誓う親ソ政権が樹立されたのである。
このモンゴル政変でもソ連側の政治将校やモンゴル共産党などによって前政権と軍部上層部が拘束され、彼らの公開処刑が行われた。それだけでなく、日頃からソ連への非協力的姿勢を見せる一部モンゴル人たちも同様に拘束され、行方不明となってしまう事件が起きていた。
「革命か死か」
ソヴィエト連邦は、モンゴルという国家と国民にどちらかを選べと突き付けたのである。当初、これに反発した者も居たが、彼らは翌日には行方不明になり不審死を遂げて発見されるという事態が頻発した。コミンテルンは彼らの選択に忠実に応え、望むままに結果を示したのである。
無論、これに逆らうことなどそれ以後は出来ようはずがなかった。この日、モンゴルという国家は文字通り死んだのである。
だが、これによって半月の空白期間を生み出すという結果になった。いや、赤軍の混乱を考えれば少なくとも数ヶ月程度の時間的余裕が発生したと遠く帝都東京の有坂総一郎は見積もっていた。
「史実と違う形で赤軍大粛清が始まったな」
違う形ではあるが大粛清のトリガーが引かれたことでソ連極東戦力が機能不全を起こしと彼は思ったのである。
「ジューコフがおらず、トハチェフスキーも命脈僅かであるならば……」
転生・転移者だからこそ把握出来るメタ情報とA機関などの諜報組織からの総合戦略情報で総一郎は陸軍省と参謀本部を焚きつけるべきか思案する。
陸軍省と参謀本部は参謀総長である閑院宮載仁親王を除いて概ねこの機会にソ連赤軍を叩こうと前のめりであるからこそ、焚きつければ事変拡大につながるのは間違いなかったからだ。実際、参謀本部にいる石原莞爾もソ連赤軍が混乱している好機を逃すなと突き上げている。
だが、総一郎には東條英機中将から陸軍省と参謀本部と帝国政府と帝国議会を引き留める工作をせよと何度も私信が届いていた。関東軍総参謀長である東條の有している情報は陸軍省と参謀本部よりも精度は高いだろう。
「この好機を逃さず機甲戦力の充実を急がせよ、三宅坂が暴走すればソ連参戦と同じ轍を踏む」
「関東軍が優勢なのは縦深陣地による防衛戦であるからであって、重火砲の支援が前世よりも充実しているからである。しかし、打って出るとなれば話は別である。少なくともまともに動く試製オイか装甲を強化した五式中戦車がなけば話にならん」
「鹵獲した敵戦車の装甲は九四式軽戦車は無論、技本で開発中のそれでも貫通させるのは怪しい……今すぐに一式砲戦車を用意しろ。技本の原乙未生中佐になんとかしてでもでっちあげさせろ、今すぐに」
矢の様に東條から届くそれは悲痛な叫びにも思える。知っているからこそわかる現実なのだろう。だからこそ、事変拡大阻止と機甲戦力の整備を訴えて来ているのだろうが、困ったものである。
理屈から言えば陸軍省と参謀本部……より明確に言えば参謀次長である真崎甚三郎大将や参謀本部第一部長である永田鉄山中将、第二部長である小畑敏四郎中将の積極攻勢論はそれ程間違ってはいない。
軍事的に空白が生じたこの好機を逃すことなく攻勢に出ればソ連赤軍が体制を整える前にバイカル湖前面、ウランバートルあたりまで侵攻することは出来るだろう。打撃を与えて敵の前線をバイカル湖付近まで押し込むことが出来れば満州の安定は確保出来るのだが、問題はそのあとだ。いや、その時点でも相応に問題が発生するのだが、そこは一旦置くとしよう。
そこまで押し込んで補給が続くのか、シベリア出兵の際でも補給が続かなくなり撤退したではないか。それを繰り返すのかということ。そして大粛清の芽を摘んでしまうのではないかということだ。
ロシアは支那大陸と一緒で懐が深い。それゆえにそれそのものが空間要塞として機能する。いくら戦場で勝利しても、こちらが手を伸ばせば伸ばすほど敵の胸に飛び込んでいくだけだ。気付いたときには背中に回った両腕に抱きしめられもがき苦しむことになる。
だからこそ、史実ではバルバロッサ作戦をドイツが始めた時点で行動に移さなかった。いや、移せなかったのだ。関東軍特種演習と称した実質的な出兵動員を行いつつも支那事変で支那大陸という空間要塞に片足突っ込んでしまっていたことで躊躇ったからだ。
しかし、今は違う。
雪解け前でもあり泥濘を踏み越える必要がない。冬季装備は必要ではあるが、それも関東軍の場合標準装備の内である。バルバロッサ作戦の時の様にまだソ連赤軍は準備が整っていない。
総一郎は史実における情勢と東條経由で得られる情報で冷静に情勢を分析しているが、それでもなおどうするべきか判断が付きかねていた。
彼が判断を迷うのはメタ情報がある故だ。そしてメタ情報が通用しないが故でもある。逆に陸軍省と参謀本部が前のめりなのはメタ情報がなく、判断材料がシンプルだからだ。故に今こそ叩ける時だと確信しているのだ。
だが、同じくメタ情報を有している東條は今ではないと言う。
「結奈、陸相の荒木さんにアポ取ってくれ、あと鉄道相の中島さんにも……外務省の重光さんと吉田さんにも工作しないといけないか」
「荒木さんの方が優先で良いのかしら?」
「あぁ、それと、技本の原さんも……」
妻でもあり秘書でもあり取締役でもある有坂結奈は頭を抱えつつ執務室をウロウロしていた夫が考えをまとめたことを理解する。
「荒木さんは内密で会うということでよいのね?」
「そうしないと参謀本部の連中が五月蠅いだろうからね。出来れば何かの視察という名目でうちのどこかの工場で……」
「城ケ島の研究所はどうかしら?」
「城ケ島?」
城ケ島は閉鎖都市化した要塞研究所が存在する。東北帝大などから拉致した研究員が今も好きに使える予算を浪費して日々研究開発を行っている。
「アレが出来たそうよ。今日。だからその視察をお願いする方向で」
「出来たの?」
「ええ、出来たわ。超短波警戒機乙が」
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