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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2596年(1936年)

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第一次ノモンハン攻防戦<3>

皇紀2596年(1936年)3月10日 北満州 ノモンハン


 ノモンハンにおける武力衝突の基礎的事由は実際問題としては大日本帝国側に実は非があった。


 ソヴィエト連邦、モンゴル人民共和国側にとってノモンハンの国境におけるそれは歴史的事実及び慣習によって積み重ねられてきたもので、言い掛かりをつけられた状態であったと言えるのだ。それは史実でもそうであったようにこの世界でも同様であり、日本側はシベリア出兵において入手したロシア製の実測地図を基にハルハ河を満蒙国境と認識したことが原因であった。


 この世界では張作霖爆殺と共に進められた満州事変において大興安嶺より北西部以外を手中に収めた日本側はその後の事変の進展結果によってハイラル他の北満州残部を制圧した際にハルハ河周辺の測量も行い10万分の1の地図を作成したが、その際にかつてのオボーの跡を発見し、歴史的な国境確定の証拠を把握していたが、基本路線としてのハルハ河国境という主張を変更することなく実効支配をしたのである。


 しかし、その後、劣勢であったモンゴル人民軍がソ連赤軍のシベリア増強にともなって再編されたことで後方に策源地であるタムスク基地を設営したことで情勢が変わったのである。


 正当な国境に戻すという意図で行動を開始したモンゴル人民軍のそれに不当であるという誹りこそ不当であると言わざるを得ない。


 だが、国境線とは人間が人間の都合によって後で線引きしたモノに過ぎない以上、日本側がそれを認めないと行動することに不当であるという根拠もまたないのだ。変更を強要するのも変更を認めないのもどちらも力こそ正義なのである。


 弱肉強食の帝国主義全盛時代に平和的解決などお題目に過ぎず、テーブルの上での話し合いも結局は武力という後ろ盾があっての駆け引きであるのだから武力行使というのは外交上の駆け引きの手段でしかない。


 そういった意味でもモンゴル人民軍の行動は外交の基本に従っているだけでしかない。無論、それは帝国陸軍であっても同様である。尤も帝国陸軍の場合、国家戦略と言うよりも面子の割合が多い気がするが。


 さておき、モンゴル人民軍は軽く一当てして猫の額ほどの歴史的領土を得るだけで満足であった。それ以上の能力も目的も余裕もない。モンゴル人民軍が用意した戦力は1個師団程度、実質行動しているのは旅団規模、兵員数で言えば5000名程度でしかない。


 しかし、日本側の反応は子供の喧嘩に親が口を出したようなモノであった。方面軍全体に出動命令が出ている。歩兵4個師団、独立混成2個旅団、独立重砲4個連隊他の戦力である。先行した篠塚支隊などほんの一部の戦力でしかないのだ。


 普通に考えて戦力比において鎧袖一触といえるものだが、篠塚支隊の事実上の全滅という結果を受けて両軍共にその初動とは違う反応を示しだしたのが陸軍記念日である3月10日であった。


 関東軍総司令部は航空戦力を結集してチチハルから九二式重爆撃機を飛ばして威力偵察飛行に打って出たのである。これを護衛するのはハイラルに展開した九六式戦闘機(キ27)であった。


 鈍重な九二式重爆撃機の護衛など退屈なものであり、行き帰りの駄賃とばかりに、ハルハ河西岸に陣取るモンゴル砲兵部隊へ機銃掃射を掛けるなどしていた九六式戦闘機(キ27)であったが、この時の威力偵察飛行では敵戦闘機との接敵はなくその任務を終えているが、護衛されていた九二式重爆撃機は立派にその任を果たしている。タムスクへ偵察と同時に焼夷弾爆撃を行い集積物資を焼き払ったのであった。


 しかし、これがいけなかった。


 結果として意図した以上にモンゴル側を刺激する形となったのである。その被害は人的にはそれほど損耗することはなく、主に糧秣が失われた程度ではあるが、明確に国境を越えての侵犯というそれに過敏に反応してしまったのである。


 基本的にソ連赤軍の戦時統制下にあるモンゴル人民軍であるが、国境のいざこざくらい自分たちで片付けると押し切って首都ウランバートルや内蒙古方面にある守備隊などをタムスク基地へ集結させる動きに出たのだ。ソ連赤軍もゲオルギー・ジューコフ指揮下であったならば安易に行動を認めず十分な準備の下に行動を起こしただろうが、残念ながらジューコフは収監されてしまっている。


 ウランバートルに駐屯するソ連赤軍ザバイカル正面軍もモンゴル人民軍の行動を許容し見逃したことで歩兵4個師団、騎兵2個旅団相当の戦力がタムスク基地周辺に集結し、野営することとなるのであった。


 この時、モンゴル人民軍の虎の子とも言える親衛戦車連隊がソ連赤軍ザバイカル正面軍の目を盗んでウランバートルからタムスクへ向けて移動していたのだが、それもまた演習と称してのものであったが、これが後にソ連赤軍ザバイカル正面軍を巻き込んだ騒動に繋がるのである。


 いずれにせよ、お互いに相手の真意を見誤った形での事態の進展が続いていることに気づきもせず、最終的には自国のそして自組織の面子のために動いていた。


 一人蚊帳の外にあるソ連もまた事態の推移によって巻き込まれるのだが、それはまた別のお話。

 

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