第一次ノモンハン攻防戦<1>
皇紀2596年3月2日 北満州 ノモンハン
陸軍記念日を数日後に控えた頃、満州・外蒙古国境線においてモンゴル人民軍の活動が活発化していた。
大日本帝国はハルハ河を実効的な国境としていたが、西岸地区からの散発的な渡河や砲兵陣地の構築が確認された2月21日、関東軍は麾下の第二方面軍に出動準備命令が下る。敵が本格的に動き出すのは3月中旬以後と判断してのものだった。
一部部隊を先行してノモンハンに送り込んだが、新編なったばかりの独立混成第3旅団を中核とする部隊であり、その主戦力は九四式軽戦車と追随可能な九四式六輪自動貨車で構成された自動車化歩兵であった。
篠塚義男少将を司令官とする篠塚支隊と称する彼等は第二方面軍主力が布陣するに先んじてノモンハンへ急行したのは良いが、到着した26日にすぐに戦闘になるとは思ってもいなかった。
篠塚支隊の先行偵察部隊が目にしたのはハルハ河にいくつかの架橋がなされ数両の戦車が渡河しているところであったのだ。この事態に支隊本部は増派を要請すると同時に敵に橋頭堡を築かせないために強襲を仕掛けることとしたのである。
軽量快速にして高機動が可能な九四式軽戦車の本領発揮と言ったところであり、強襲を仕掛けるには十分な戦力を揃えているという自負が彼等にはあった。
だが、その結果は散々なモノであった。
彼等が遭遇したのは運が悪いことに今までの雑多な試作戦車やT-37水陸戦車、BT戦車と言ったものではなく、重装甲にモノを言わせる動く要塞とも感じられる存在であり、長砲身37mm砲による射撃をモノともせず、のそのそとだが、確実に前進し、その後方に追随する歩兵による連携した攻撃に苦戦することになった。
そして、動きは鈍いものの時折火を噴く搭載砲はどう見積もっても75mm級であり、短砲身とはいえどもその火力は味方戦車を鉄の棺桶に変えるには十分な性能であり、最初に接敵した車両はあっという間に破壊されてしまったのである。
流石に篠塚もこの事態に拙いと判断し、攻撃目標を仮設橋に変更したが、時既に遅く後続する歩兵部隊が続々と渡河し、陣地を構築し始めており容易に近づくことも出来なかった。
また、重機関銃や対戦車ライフルを持ち出していたモンゴル人民軍はハルハ河西岸の陣地からも狙撃を繰り返すことで渡河地点の陣地を援護する環境を整えてしまっていたことで更に篠塚を苦しめることとなる。
たった半日の交戦ではあったが九四式軽戦車を10両失い、同様に九四式六輪自動貨車も15両を失ってしまったのである。投入戦力の3割程度がこの時点で失われたのだが、その甲斐もあって敵の3両の重戦車を退治することに成功していた。
数字だけを見ると大敗に見える。実際に篠塚も篠塚支隊の兵員も敗戦だと認識していただが、彼等によって得られた戦訓は大きなモノであり、数字に見えない部分ではむしろ勝利していたと言えなくもない。
なぜなら、関東軍の総参謀長に就任していたのが東條英機中将であったからである。
「そうか」
東條は篠塚からの報告を見るとそう言った後に予備のガソリンを瓶詰めにするように命じた。
「篠塚支隊には敵の後続は航空隊の爆撃で足止めさせるから無理はするなと命じよ。敵のバケモノへの対策はこちらで手を打つからバケモノは無視せよと厳命するのだ」
東條の指示を受けた翌2日、篠塚の元には東條の指示と報告と共に出しておいた進退伺が返送されていた。ただし、几帳面な文字の朱書きで不要とそこには大書されていた。
死して詫びるしかないかと篠塚もソレを見たときに思ったが、一緒に渡された私信を開けて読んでみるとそこに彼の真意が見て取れた。
「東條閣下は篠塚閣下に無理をするなと厳命せよと申されておりました。閣下の必要とするモノは手配していて必ず数日で届けるとも・・・・・・ですので、軽挙はされませぬよう」
東條の寄越したのは子飼いの副官である赤松貞雄大尉であった。前世の部下を現世でも用いているのは教え子でもあり用いやすいという理由だけではなく、人となりを知っているからでもある。そして自身のメッセンジャーとして活用するのに都合が良かったからだ。
「だが、現有兵器では奴に太刀打ち出来んぞ。とう・・・・・・中将はそれになんと言っていた」
篠塚は東條と呼び捨てにしかけた。彼は東條と同じく陸士17期の同期である。その主席であった。東條とは違い、陸軍中央勤務は少なくほぼ現場勤務を続けており、前任地も近衛歩兵第1旅団長であった。知らぬ仲でもない故であったのだ。
「出来うるならば敵を集結させるように出来ないかと、出来ぬならば出来なくても構わないと」
赤松の返答に篠塚は「ううむ」と唸って押し黙る。熊本幼年学校、中央幼年学校、陸軍士官学校と首席で卒業し続けた陸軍史上に残る秀才といえども東條の注文は容易に応じることが出来るものではなかった。
実際、赤松が現れる少し前に届いた斥候からの情報によれば問題の重戦車は後方に存在しうる敵策源地から前線に向けて数両が移動していることを確認されている。
「敵の戦力は未だ測りかねているが、斥候情報によれば敵策源地が戦場後方にある様だ。補給物資を満載した自動貨車が行き来しているとの情報も入っている、我が兵団の戦力では嫌がらせ程度に一撃離脱を繰り返して亀の甲羅を叩く程度が関の山だ。敵の方が戦力が多い以上、いつでも連中は我々を包囲でも何でも出来るが、こちらが敵を一箇所に止まるように強いるのは難しい」
「敵の砲兵は?」
「ん? あぁ、それは・・・・・・あったこれだな・・・・・・どうも連中は砲兵の代わりをあのバケモノにさせているらしい川の向こうに展開している分以外はこちら側にはないそうだ。まぁ、昨夜の夜襲で野砲ごと架橋を吹き飛ばしてやったから当面は貴重な砲兵を渡河させたりはしないだろう。川向こうからでも十分な射程があるのだからな」
「では・・・・・・」
「まぁ待て。言ったであろう。砲兵の代わりになっていると。まず、こっちの砲撃はまるで歯がたたん。弾き返されるのがオチだ。しかも奴らの方が射程が長い。とてもではないが、こちらから動いても無駄に犠牲を出すだけだ。だが、機動力はある反面、奴らは操縦不能になりやすい傾向があった。故に今までの相手同様、肉薄して火炎瓶攻撃を仕掛けてとどめを刺してやったのだが、動けなくなるまでは兎に角厄介だった」
篠塚の回想に赤松は東條からの伝言を開陳する。
「閣下、では九四式軽戦車で釣り出して動けなくなったところ、若しくは歩兵と引き離した頃合を見て仕掛けるというのでは如何でしょうか?」
「赤松、まさか釣り野伏をやれというのか?」
「いえ、そこまでは。しかし、こちらから仕掛けて仕留めたり、圧力を掛けることが出来ないのであれば、運動戦において敵を翻弄してとどめを刺すのが吉ではありましょう。実は東條閣下からその様に仰せつかっておりまして・・・・・・なお、増援に先駆けて大量の火炎瓶を輸送中であります」
その時、
「そうと決まれば支度をせねばな。赤松、東條に伝えておけ、貴様が何を考えているか知らんが、早く援軍に来いとな・・・・・・あと、焼夷弾を満載した爆撃機を数機借りたいと伝えてくれ、あとで指示を出すと」
篠塚は体裁を構わずにそう言うと幕舎から出て行ってしまった。後ろ姿を見送る形になった赤松は東條からの預かった策に思いをはせていた。
「なぜ東條閣下は敵の弱点を知っていたのだろう? それに篠塚閣下も焼夷弾なんて対戦車攻撃にどう使うつもりなんだ?」
そう呟くと自分の仕事を思い出して新京の関東軍総司令部へと急ぎ舞い戻るのであった。彼が乗るべきモノは司令部差し回しの乗用車でもトラックでもない。そう、短距離離着陸が可能な特殊機、Fi156シュトルヒである。いや、九五式指揮連絡機というべきだろう。史実で言うところの三式指揮連絡機だ。単純なFi156のコピーではなく、参考にして作り上げた別の機体である。
陸軍省がエルンスト・ウーデットを経由してドイツ本国に依頼を出して、実機と参考資料を送らせて手に入れたFi156を有坂重工業において自国仕様で作り上げた観測及び連絡用の機体なのであるが、その初期ロットは前線部隊である関東軍へ優先的に配備されていた。
この機体配備を推し進めたのは他でもない東條自身であり、未だに時折発生する馬賊・匪賊の被害を防止するために関東憲兵隊が治安維持を名目に各地へパトロール飛行させるために配備していたのだ。
その価値に気付いた前任の関東軍総司令官であった南次郎大将が導入を進めて総司令部と麾下方面軍司令部へ3機ずつ配備していたのである。現職の関東軍総司令官植田謙吉大将も同様に師団単位でも配備出来るように調達を進めているのだが、いくら安価であるとはいえども陸軍全体規模で調達を考えると関東軍だけに偏って配備するわけにも行かず希望通りとはなってはいない。
しかし、これの価値は外蒙古やソ連シベリアに潜入したスパイを秘密裏に回収することも可能であり、非常に有用であると判断されて優先配備装備となっている。
そんな和製シュトルヒを駆って赤松は東條の意を受けて満州中を駆け回っているのであった。
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