熱血監督官と商工省(岸信介)の野望
どういう話にしようか悩んでいたのだけれども、一本に繋がったら苦労せずに書けるモノだね。
皇紀2596年2月11日 川崎航空機各務原工場
BMW-Ⅵ、ハ9の経験によってある程度液冷発動機を習熟している川崎航空機ではあったが、やはり別系統の発動機を実際に製造することになるといくつもの壁にぶち当たることとなった。
DB601を改設計したことで耐久性や生産性を確保した仕様であるDBA601であったが、そもそもの製造技術水準が高いこともあって川崎航空機側の生産設備ではオリジナルよりも遙かに劣る性能となり、製造現場の士気の低下は否めないものとなっていたのである。
キ28改にはオリジナルを搭載しているので展示飛行ではその性能を遺憾なく発揮して陸軍関係者の度肝を抜いていたが、製造現場の方では目下、低下した士気を取り戻しつつもドイツの壁を乗り越えようと格闘が続いている。
問題となったのは矢張り歩留まりの悪さである。精密な検査を合格した部材でなければその性能を発揮することはなく、どう頑張っても今の時点では公称1100馬力に対して、1割減の1000馬力程度が関の山であった。当然、その程度の性能ではキ28改の能力は全般的に低下する為とてもではないが機体に搭載しての展示飛行など出来はしないと彼等は頭を抱えていたのだ。
しかし、それでもその程度の性能低下で済んでいたのは商工省が推し進めていた数年来の品質管理や規格管理の浸透のおかげであったとも言える。商工省の役人達は監督官と称して各工場に居座り、口酸っぱく品質管理を要求し、規定された水準のものが出来なければ納品拒否を容赦なく行ったのだ。
納入される相手である陸軍省や海軍省が、そこまで厳格ではない品質管理をしていたが、商工省は品質チェックを厳格にすることで国内の製造業全体に統一規格を徹底させ様としていた。そこには岸信介の影がちらつく。彼は陸軍の永田鉄山の高度国防国家論、そして東條-有坂枢軸グループとの関わりもあって国家総動員体制、商工省による国内の統制を目論む上でもこういった部分が根幹を成すと看破していた。
岸の発案で商工省監督官が全国へ派遣されると一時的に生産がストップする事態が頻発し産業界全体から反発が起きたが、岸の上司達は揃って彼の方針を擁護堅持し、逆に品質合格基準をクリアした企業や工場への商工省御用達という看板を与えることで納入価格の釣り上げを黙認することで品質向上と規格統一へ誘導していったのだ。
これら商工省御用達を得ることは軍需産業にとって死活問題であった。なぜなら、岸は中央省庁の垣根を越えて、大蔵省を抱き込んでいたからである。
「いやぁ、実はですネ、今度我が商工省では推進しております品質管理を普及させるにあたってですが、国庫を預かる大蔵省サンにご協力をいただけたらと思いましてネ」
岸が狙ったのは大蔵省が支出する大口案件である軍事予算の多くを占める兵器製造や官給品であった。
「ホラ、大蔵省にとって、陸海軍への出費を適正に管理する上でも規格外品を納入した場合罰則を与えたり納入拒否を出来るというのは大きな利益じゃありませんカネ?」
大蔵省にとってもそれはメリットに見えた。ただでさえ、軍事予算は伏魔殿であり、海軍などは艦艇建造費を偽装計上したりする。先年も八八艦隊のそれでも中止になったから良かったものの海軍から提出された改正予算案を調べ直すと至る所に予算の抜け穴や付け替えが行われた形跡を見つけていた。
「流石に兵器の品質などは軍内部でないと駄目でしょうが、官給品や機械部品などに関しては大蔵省サンの言い分が立つでしょうし、陸海軍サンにとっても品質が良い方がありがたいのではないでしょうカネ?」
ニヤッと笑みを浮かべた岸の周旋にすっかりその気になった大蔵省であった。こと予算に関しては強気で出ることが出来、省の中の省と称している大蔵省であるだけに大義名分を盾に陸軍省や海軍省に出向いて交渉をしていったのであった。
その結果、陸海軍では品質不良の納入拒否が相次ぎ、納入業者が廃業寸前に至るほどであった。しかし、その甲斐もあって移行期間を設けたこと、その後の品質向上による調達価格の向上によって軍需関連企業の業績向上につながり、証券市場での株価向上によって工場設備の更新が相次ぐことで品質向上・規格統一へ良い循環が生まれたのである。
軍需産業をはじめ官庁へ納入する企業から始まった品質向上効果は次第に下請け、孫請けの企業など町工場に至るまで浸透していくことになるが、それら資本力の弱い事業体へは親会社や元請けなどが必要な生産設備を貸与したり割賦で代理購入するなどして、自社製品の一貫した品質管理をしていくことになっていったのだが、そこまで岸が考えていたのかはわからない。
「思ったよりも良い効果を生み出しましたネ、これで欧米にも負けぬ製造環境が整えられたでしょうカネ」
岸が笑みを浮かべたのが35年4月に商工省工務局長に就任したその時のことであった。彼の胸の内には第二段階である自動車工業法要綱を政府閣議決定させたのはその直後の5月のことであった。これは明らかに岸による日本の自動車産業育成を狙ったもので、将来的な外資排除を目論んだそれであったが、政府にそれを呑ませるほどの影響力を発揮したのはひとえにこの品質管理、品質向上を推進し、自身の商工省だけでなく大蔵省という後ろ盾によるものだった。
さて、話は戻って川崎航空機である。
その商工省の監督官は文字通り熱血主義者であった。しかも、川崎航空機側の技師たちだけでなく現場にも積極的に混ざってあーでもないこーでもないと議論を繰り広げるタイプだった。そのせいもあって川崎航空機の本社としては実に煙たい存在であったが、意外と現場にとっては受けが良かったのである。
彼は必要なものを必要だと認識すると川崎本社や商工省へ掛け合い、場合によっては納入先である陸軍や海軍へと交渉を行うことも厭わなかったのである。しかも活き活きとしてそれをやってくるものだから現場の信頼を得ていた。
その面倒見の良い監督官が、今は陸軍の監督官と一緒になって鬼の形相で品質管理と性能向上を要求しているのだから川崎航空機側にとっても非常に頭を抱える状態なのであった。技術水準の隔絶という壁を乗り越えないといけないこと、品質を安定させるためには性能が良く尚且つ精度の良い工作機械が必要なのであると彼等は思い知らされていたからだ。
「今回ばかりは『よっしゃ俺に任せとけ』とは言えないから君らでなんとかして欲しい」
なのにこんなことを言われてもどうにもならない。だが、各務原工場の外では併設されている陸軍飛行場で歓声が飛び交っているだけにハ28改の展示飛行はどうやら成功していることがここにいる誰しもが理解していた。
「あの歓声だ。この発動機がモノになれば帝国の切り札となるのは必定だ。そうだろう?」
隣にいる陸軍の監督官に同意を求めると彼もまた頷く。本来なら彼の方が言うべき言葉であろうが、暑苦しいそれに押されてしまっている。だが、その表情はDBA601の魅力に取り憑かれてしまっているだけにその頷きは強いものだった。
「というわけだ、必要な交渉は我らがするから、君らは君らの本業で御国へ奉公して欲しい」
ここで彼を信じてはいけないのは交渉をすると言っているだけで必要なモノを手配するという確約ではないという点だ。官僚である彼は、出来ることは出来ると言うが、出来ないことについては一切触れないのである。
こうしてDBA601というそれを完全に血肉とするための川崎航空機の先の見えない戦いが本当の意味で始まったのである。
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