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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2596年(1936年)

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飛べ!川崎の翼

皇紀2596年(1936年)2月11日 岐阜県各務原


 川崎航空機の工場と実験施設が隣接する陸軍各務原飛行場でこの日、数機の機体が空を舞っていた。


 量産が続き所沢教導飛行団や三重県に所在する明野飛行学校に配備されているキ27:九六式戦闘機が特命を受けて各務原飛行場へ出張って来たことでこの日の航空演習が急遽行われたのは陸軍上層部にとっても寝耳に水の出来事でもあった。


 陸軍省や参謀本部からの正式な命令ではなく、とある企業からの所沢教導飛行団と明野飛行学校へのチャーターという形でその機材と搭乗員や整備員がここ各務原飛行場へ集まっていたのである。


 所沢予備機を含めて9名の搭乗員と整備分隊、そしてキ27が予備機を含めて5機が、明野飛行学校からも教官搭乗員5名と甲種学生5名、乙種学生5名、整備員が10名派遣されていたのだが、これほど大規模な現役の航空部隊のチャーターは例がない。しかし、これはスポンサーにしてチャーターした企業にとっても航空業界における生き残りを賭けた大きなビジネスチャンスでもあった。


 その企業は川崎航空機と川崎造船所である。後の川崎重工業を構成するこの企業群は陸軍機の主要メーカーであり、同時に発動機メーカーでもある。しかし、キ27とキ28の一騎打ちで発動機換装による高性能化に成功したキ27によって競作で敗北したことで主力戦闘機の座を失ったのだ。


 だが、川崎航空機の開発陣はキ28の開発の方向性には一定以上の満足と確信を得ていた。そのため、不採用という結果を受け入れることにそれほど抵抗感はなく、むしろ、キ28の洗練化をする良い機会と捉えていたのである。


「ハ9は既に枯れた技術。これ以上の発展は最早無理である。しかし、我らも発動機メーカーという意地がある。中島のキ27のように三菱の金星を受け入れて高性能化という様な屈辱感を早々受け入れたくない。まして、我々は液冷の川崎だ」


 川崎開発陣の考えは川崎という企業にとっても同様であり、いくら受注を得るためとは言っても安易に他社の製品を受け入れてしまうのはためらいがあった。そこで、同じドイツ系の液冷発動機で開発が進んでいたそれに目をつける。


「確か、有坂がドイツのダイムラーと組んでいたな。あそこなら独立系であるし、発動機技術の移転に協力的だ。DB601の輸入とライセンス権の購入を打診しよう」


 当時、ドイツで液冷発動機の経験が豊かであったのはダイムラー・ベンツ・アリサカとBMWとユンカースであった。しかし、そのBMWの液冷発動機BMW116、BMW117はいずれも開発が難航し打ち切りの可能性が高くなっており、液冷発動機に見切りをつけドイツ航空省からの命令を受けて開発を進めているBMW801という空冷星型発動機を本命視しつつあった。


 そうなると川崎が頼れる先は自然と日系資本の入ったダイムラー・ベンツ・アリサカとなる。ユンカースにも声を掛けてはいるが、それとて未だJumo211の開発中と回答を得るだけで現時点で手に入る発動機はDB600とDB601くらいなものだった。


 特にDB601はドイツ航空省の肝入りでモーターカノン搭載型が存在し、20mm機関砲を装備可能であると噂されていたことから翼内銃よりも集弾率が良いと考えられ、将来の戦闘機の大口径化にも対応可能であると川崎開発陣の気を良くしていたのだ。


 35年の秋に川崎は交渉人員をベルリンへ送ると同時にダイムラー・ベンツ・アリサカへ接触を図り、資料提供や工場見学などを求め、ダイムラー・ベンツ・アリサカ側もビジネスチャンスとこれに応じ便宜を図った。


「いや、あれは失敗作だよ。依頼がなければあんなもの開発しない。悪いことは言わないからDBA601にしておけ。あれならモーターカノンの分を無視して性能向上が可能だ。それにこう言ってはアレだが、DB601のライセンス権を与えても良いが、貴国で使いこなせるのか? BMW-Ⅵすらまともに習熟出来ていないと我々は聞き及んでおるのだが、どーなんだカヤマ」


 ベルリン駐在の川崎社員がダイムラー・ベンツ・アリサカの本社での交渉の席上でそう告げられ、カヤマと呼ばれたダイムラー・ベンツ・アリサカの日本人役員もそれに応じる。


「本国の有坂本社からの話を聞く限りではハ9の信頼性が競作機の不採用に繋がったと聞いております。ですので、DB601は流石に手に負えないと思いますよ」


「加山さん! 我々にも誇りもあれば自負心もある。その言い草は同じ日本人として失礼ではないのですか」


 川崎側も流石にそこは譲れない。三菱が手を引いた今、液冷発動機を一手に引き受けるのは事実上川崎一社である。それだけに「はいそうですか」とは引き下がれない。


「こう言ってはアレですけれど、工作機械の普及率で最大手と言われる有坂本社でもDB601は精巧過ぎて手に余ると言われておりますから、それに当のドイツ航空省がBMW801へ意識を向け始めておるので、早晩更なる新型へ改良を進めなければならないでしょう。そうなると、帝国でDB601がまともに使えるようになった頃には時代遅れとなっておるわけです」


 カヤマこと加山光一上級役員は大日本帝国の実力不足と将来展望を見据えた上で拒絶の意志を示したのであった。


「では、DBA601はどうなのですか。そのお話ではそれでも荷が勝ちすぎると感じざるを得ない」


「DBA601は若干重くなっているが、極力代用材を用いて、尚且つモーターカノン装備を排して各部を強化、工程の簡素化がしてある。当然のことだが、若干の出力低下が引き起こされているが、それでも整備性と生産性が高いことで航空機メーカーの評価はこちらの方が高い」


「具体的には?」


「DB601よりも5%程度重い。ただし、稼働率、整備性、生産性などは格段に良い。これが資料の一部だが、開示出来る範囲ではあるが参考にしてみると良いだろう」


 加山の言葉に川崎側の交渉団は随行してきた技師の意見を問うが、許容範囲内の数字だと彼は答え、川崎側はDBA601のライセンス購入の意思を明確にした。


「これならば良い機体になりそうだ。早速現物を10基、部品を20基分、製造に必要な機械や治具の手配を……」


 この交渉によってDBA601が年明けとともに船便で届き、それまでに図面などで改良可能な点を出来るだけ仕上げていた川崎開発陣は待望の新型発動機が届くやいなや早速装着させて実働体制に移行したのである。


 本来ならば慣らし運転などやるべきことはいくつもあるが、それらは全て省略し、ドイツ側からの提供資料を基に動いたのであるが、同時に実機への装着をしない分はすぐに全力運転や耐久運転試験に回されて提供された資料との差異や組み立て、分解、整備のノウハウづくりに活用されることとなったのだ。


 彼らにとって時間こそ勝負だった。まずは習熟して発動機の構造に精通し、特性を把握すること、また耐久運転を通して整備の経験を積むことが最優先であった。その経験はBMW-Ⅵやハ9で得られた経験を上回るものであったが、ただでさえ精巧精緻なドイツ系発動機のそれにてんてこ舞いの日々を続けることになるのであった。


 そして迎えた紀元節。


 カラッと晴れ渡った冬空に先端が尖った形状が特徴の航空機が舞い上がったのである。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ・・ [一言] ・・・ ・・・ ワタシは液冷が悪いとは思わない。 でも、倒立V型12気筒という形状そのものに不信。 エンジンオイルはどこに溜まるのか? 当然、ピストンの隙間からシリンダ…
[気になる点] 前倒しでDBか、しかも、簡素化して無駄なモノを省いたと。 さて、やんちゃ集団がどう出て来るかな。
[良い点] 最新話待ってました。 長かった...。 [一言] 川崎キ28にDB601を前倒して搭載。 この時点で空冷エンジンに変更では、川崎も面白くないよね。 ライセンス生産するDBA601のAは有坂…
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