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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2583年(1923年)

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鉄橋はつながっているか?

皇紀2583年(1923年)9月19日 ダリネレチェンスク(イマン)


 浦塩派遣軍司令部をある種の恐慌状態に陥れた正体不明の戦闘集団がウスリー川を渡河しようと行動を開始したと斥候からの報告が入った。


 斥候の報告では最低でも1個旅団相当の集団であり、浦塩派遣軍も1個師団を送り邀撃する必要があると判断されたが、敵情が良くわからないことと、ウスリー川の対岸は張作霖軍閥の支配する地域であることから不用意な軍事行動は張作霖を刺激することから完全に渡河を許してからの応戦という形を取ることとなったのだ。


 参謀や第8師団長小野寺重太郎中将は渡河を完全に許すことに反対したが、浦塩派遣軍司令官である立花小一郎大将の決定は覆らなかった。


 これによって浦塩派遣軍司令部は第8師団にウスリー川とイマン川の合流地点にある陣地まで進出を指示、邀撃に向かわせたのである。第8師団は機関銃を多数装備し出撃したが、彼らの邀撃は空振りに終わったのだ。


 斥候の報告では川の合流地点三角地付近に上陸しているというものだったが、第8師団が現場に到着した時には、正体不明の戦闘集団はいずこかへ去っていたのだ。


 第8師団が警戒のために1個大隊を残し、ダリネレチェンスクへ戻ってきた時、彼らはイマン鉄橋のある方角で立て続けに爆発とそれに伴う爆発煙が上がるのを目撃。小野寺は敵性集団の目標がイマン鉄橋にあることに気付くが時すでに遅し。悔しそうに膝を打ち忌々しそうに虎頭の方角を見た。


 鉄橋攻撃の第一撃を目撃した歩哨が司令部に駆け込み、司令部直属となっていた第8師団から分離した2個大隊がイマン川鉄橋へ向かうが鉄橋の一部が損壊しており、鉄道の運行に支障が出る損壊状態であることが判明する。


 鉄橋攻撃した敵性集団の捜索を開始したが、既に遅く、敵性集団はウスリー川まで逃亡を果たしていたのである。三角地に布陣していた1個大隊から敵性集団がウスリー川を渡河し、虎頭へ退却していったと報告が入るのはそれから間もなくのことであった。


 時を同じくし、ビキン北方に布陣する極東共和国軍も行動を開始、ビキンへ向けて進軍を始め、同日夕刻にダリネレチェンスクの司令部へ報告が入ったのだが、鉄橋が使用不能になっているため補給に影響が出ていることに浦塩派遣軍司令部は頭を抱えてしまったのである。


「敵もなかなかやるのぅ……そろそろ真崎の出番じゃな」


 ビキンから呼び戻された第8旅団長荒木貞夫少将はほくそ笑んだのであった。

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