その名はKGV
皇紀2596年1月1日 大英帝国
36年1月1日、大英帝国ニューカッスル・アポン・タインにおいて1隻の戦艦が起工された。同時にバーケンヘッドにおいても同型艦が起工。36年度中に更に4隻の同型艦が英本土各地で建造開始される予定である。
この戦艦は列強海軍における新世代戦艦の最初の艦であると大英帝国では公言されていたが、実際には伊勢代艦の建造に遅れること4年経ってのそれであった。伊勢代艦の竣工が間近になったことから大日本帝国海軍は内密に大英帝国海軍へ建造の事実と就役を通告したのが35年の夏頃のことであったが、その時点で大英帝国海軍もまた新戦艦の建造計画を通告し相互承認する形で共同歩調を取ったのである。
その密約は日米英における戦艦保有の不均衡が日英間の結束を高める原因となっており、旧伊勢型のイタリア王国への譲渡とイタリア新戦艦の就役が間近に迫ったことから欧州における海軍力のバランスを取るためという世界戦略的な意味合いがあった。
無論、大英帝国も大日本帝国を信用しているわけではなく、共通の利益を持つパートナーとして視ているため、インド洋の押さえという意味でも新戦艦建造に踏み切る必要があったのである。特に旧伊勢型をイタリア本国海域ではなく、東アフリカ地域を拠点として活動させることとしたイタリア王国のインド洋への覇権確立を警戒していたのだ。
幸いにして旧伊勢型とイタリア東洋艦隊は文字通り東洋派遣され、東シナ海海域に駐屯していることから当面の危機は遠のいていると大英帝国は考えているが、ムッソリーニが大ローマの復興だのエチオピア侵攻だのと言っている間はそれでも良いが、インド洋そのものに目を向けるのも時間の問題であると考えていた。
「愛すべきドゥーチェは確かに好人物であると思うし、大ローマの栄光とその精神の具現化を果たす姿勢は立派であると考える。だが、それとイタリアの覇権主義は別である。彼らが地中海世界にだけ目を向けるようにしなければならない。そのためには英伊関係は非常に重要である」
ウィンストン・チャーチルは在野にありつつも多方面に影響力を保っていた為、政府にもそういった直言をしイタリアを日英の陣営から離脱させないように外交的に懐柔するように図っていた。
大英帝国は日没なき帝国と言われるだけに地球上の至る所に植民地や海外領土を持つ。それだけに目を配る地域も多く、利害調整こそが帝国の維持に必須であったのだ。そういう意味でも大日本帝国を極東の番人として扱う必要も有り、イタリア王国には大ローマの復興という幻想を抱かせる必要があったのである。
だが、それだけでは安心が出来るわけではない。国家間の取り決めは紙切れでしかない。具体的な利益をもたらさなくなればいつでも破り捨てるべきものであるだけに、大英帝国はシビアであった。自分自身が二枚舌三枚舌を使うだけあって国家間関係を信用などしないのである。
信用出来るのは自身の力だけ。故に大英帝国は植民地各地へ艦隊を派遣し、また現地民族同士を敵対させ、多重支配を行う。そういう意味でも目に見える形の武力と威信に戦艦というそれは実に効果的であった。それ故にインド洋には本国艦隊に次ぐ規模の艦隊が駐屯しているのである。
だが、いざ新戦艦を建造となると彼らを縛るモノが存在した。
そう、軍縮条約の枠組みである。
巡洋艦の枠組みを自ら超巡という条約破りによって有名無実化しただけあって戦艦で同じことは出来なかった。今度それをやるとアメリカ合衆国が黙っていないことが明白であったからだ。
それ故に条約に抵触しない範囲の戦艦建造が必要であった。
キング・ジョージ5世級と後に命名される本型式は、軍縮条約の枠内に収まるように3万5000トン級と称され主砲は14インチ砲が搭載されることで設計が完了したのが35年の夏のことであった。
当初は15インチ砲を計画していたが、その場合、排水量制限に抵触し装甲が薄くなることが明白であり、打たれ強い戦艦を望んだことで設計が変更され結果的に14インチ砲搭載となったのである。
だが、そこからがまた迷走する原因となったのだ。
従来の大英帝国海軍の戦艦は15インチ砲を採用しており、14インチ砲の場合、砲戦能力で劣ることが明白であったのだ。そのため、不足する砲戦能力を砲門数でカバーすることが考案され、12門搭載案が提案されるのであった。
しかし、今度はその配置が問題となったのである。従来通りに4基装備の場合、結果的に15インチ砲8門装備とそれほど違わないことが判明し、排水量の面や装甲の面でも問題となったのである。
では、4連装3基装備ではどうかという話になったのだが、今度は弾薬庫防御の面で問題が発見され設計案を改訂し防御性能改善のために重力削減を迫られたのである。これによって1基を連装砲塔として合計10門というそれに落ち着いたのだが、そこは大英帝国海軍、転んでもただでは起きない。
「どうせ14インチでは不満が残るんだ。16インチへ換装出来るように予備設計もしてしまえ」
結果、予備設計で増えた分の重量は誤魔化してしまったのだが、これで不満の残る砲戦能力を16インチ砲3連装3基9門へと換装することで結果的に15インチ砲連装4基8門を上回るという三段論法で自己正当化してしまったのである。
だが、この三段論法と3万5000トンという枠組みはこの新戦艦の構造的弱点になってしまう。軽量化のために砲塔が小型化されたことで非常に窮屈になったのである。当然弊害が生まれ、故障や信頼性の低下に繋がったのであるが、就航後にそれが判明しても、そこはそれ、16インチ砲換装する時に改善すれば良いと海軍上層部は竣工後に割り切ってしまったのである。
妥協の産物だらけであったが、ある程度形が出来ているモノを一からやり直すのも時間が掛かることと3万5000トンという枠組みでは土台無理があるため妥協出来るところは妥協しようと割り切るしかない。
ネルソン級での失敗を活かした形で従来型の機関を採用することで機関性能は信頼性を回復しまた英戦艦で初めてのシフト配置が採用されたが、これは結果として生存性を高めることに寄与していたが機関重量の増大を招いた弊害も出ていた。また、想定よりも航続性能は高くなく要求水準の半分程度であった。
しかし、妥協だらけに思えるそれであるが、装甲防御は一切の妥協をしていないのである。同世代戦艦に比べると十分な装甲厚であり、全体的な装甲に関しては近代化改装を行った長門型やコロラド型よりも優れているのだ。
だが、シフト配置と機関の軽量小型化に失敗したことで舷側から機関隔壁までの余裕が日米の戦艦に比べると少ないことが弱点になり得るとは認識されていた。しかし、それは高速性能を発揮する船体にするには細長い形状にする必要があるためで、妥協せざるを得ない点ではあった。
キング・ジョージ5世級 諸元
基準排水量3万8000トン 公称3万5000トン
満載排水量4万2300トン
全長227.1m
最大幅31.5m
吃水8.8m
主缶海軍式三胴型重油専焼水管缶×8基
主機パーソンズ式オール・ギヤードタービン×4基
推進器スクリュープロペラ×4軸
出力11万馬力
最大速力28ノット
航続距離
10ノット 7000海里 《13000km》
20ノット 5700海里 《10600km》
兵装
Mark VII 14インチ砲×10
Mark I 5.25インチ連装両用砲×8基
40mm8連装ポンポン砲×4基
クリエイター支援サイト Ci-en
有坂総一郎支援サイト作りました。
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明日も葵の風が吹く ~大江戸デベロッパー物語~
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