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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2595年(1935年)

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Series96<8>

皇紀2595年(1935年) 中型攻撃機の顛末


 軍縮会議によって規制が掛かってしまった主力艦及び補助艦艇を補うための海軍航空当局は空中水雷艇構想を打ち立てた。


 これには一定のストップが掛けられたが、航空主兵論者たちはそれを押し切る形で開発計画を続行していた。それには理由があった。元々空母艦上から飛び立つ双発艦上攻撃機としてスタートしたそれは結局艦上運用が出来ず九三式陸上攻撃機として採用されたが、そもそも無理のある開発であったため正式採用されたものの量産化には結びつかなかった。


 それを反省して、広廠七試特種攻撃機が試作開発されこととなり、ロレーヌ系液冷発動機の最終形態である広廠九四式九〇〇馬力発動機を搭載した双発機として開発が進められたが、その重量11トンにも及ぶ巨大な航空機なだけあって当時最大出力級であった広廠九四式であってもその性能は芳しいものではなかった。


 結局、正式採用されることなく解体されることとなったが、その経験は九試陸上攻撃機に活かされることとなったのだが、海軍機メーカーとして開発能力があった三菱にこの難題が押しつけられる格好になったのであるが、これは同じく海軍機メーカーである海軍広工廠は七試特攻の失敗によってその設計能力への疑問が呈され海軍航空本部から干された形となったためである。


 広工廠にしてみれば航空本部の出鱈目な注文を可能な限り形にして見せたのだが、彼らにとっては性能が不服で自分の身勝手を顧みなかったのが不幸の始まりであったと言える。だが、逆にこれによって航空機設計開発ではなく、生産専門に特化することでその経験を活かしていくこととなった。ある意味では災い転じて福と成すと言えるだろう。航空本部の無理難題を無茶振りされずに済むからだ。


 さて、広工廠を通り過ぎた疫病神は今度は三菱へとそのターゲットを切り替えたわけだが、同時期に八試特殊偵察機と呼ばれる研究機を開発することを命じていたことに由来する。


 着眼点そのものは悪くなかったが、一足飛びの過大な要求が結果として大型鈍重に過ぎる非実用的な機体開発へ繋がったことを三菱側は学び取り、同様に陸軍九二式重爆の反省を活かす形でこれに応じることとしたのである。


 また陸軍新型重爆の開発というそれも内々に聞いていたことから共通化して量産体制に活かそうという意図もあった。そこで、設計主務に本庄季郎を就かせ、久保、日下部、加藤ら技師たちを動員して開発チームを立ち上げた。彼らは今まで扱ってきた機体の情報、各社の技術的資料を参考とする形で総合的には斬新に、航続性能と速度、運動性を優先課題として開発を進めることとしたのだった。


 34年5月の初飛行では従来機とは比較にならないほどの好成績を収め、翌6月に横須賀追浜に移送され海軍の各種テストに供されるとその研究目的を概ね達成することに成功したのである。


 魚雷型の空気抵抗の少ない機体は全金属モノコック構造を採り入れユンカース社由来の構造を活用することで重量の軽減や工程の簡略化を図り洗練されたモノとなっていた。


「これで我が社の社運が開けそうだ」


 本庄技師は不採用続きの三菱の沈滞した空気を一変させるそれに良い感触を掴んでいた。


 34年中は慎重に海軍と共同での研究や実験、試験飛行が続いたが、翌35年に入ると本格的にこれを攻撃機へと発展させることになった。八試中型攻撃機と改称されると、正式に航空本部から武装及び艤装を完備した試作機の開発命令が下りたのである。この瞬間が七試特攻の失敗を明確に海軍が悟り、概ね当初目的を達した八試中型攻撃機に未来性があると認識した時であったのだ。


 正式に九試中型攻撃機としての開発命令が下ったことで、三菱側は八試中攻の開発チームをそのままスライドさせ、更に高橋、福永、尾田技師を追加配属させることで総力体制でこれに応じた。


 基本的な設計は八試中攻を活用しつつ、実用機としての必要条件をクリアすべく再設計を加えた機体が完成したのは35年6月のことであった。


 この時、金星発動機の量産体制も整いつつあったことから金星41型1000馬力が装備され、最高速度390キロを達成、制式化の機体には金星46型1100馬力が搭載しが最高速度400キロが見込まれると三菱側は海軍当局へ内々に伝えていた。


 これは大西瀧治郎大佐などを歓喜させ、大型陸攻への大きな足跡となると確信させたのであったが、三菱側はあくまで普通の爆撃機として開発を行っていたに過ぎない。


「魚雷攻撃が可能な機体に仕上げてはいるが、これ以上の大型機に魚雷攻撃など無理ですよ。4発機に魚雷を積ませることは出来るでしょうが、それで攻撃なんて撃ち落としてくれと言っているようなもんです。違う使い方をするべきでしょう、本音を言えば、九試中攻も魚雷で対艦攻撃するより地上施設などを爆弾攻撃するべきだと思います」


 三菱開発陣から至極尤もなことを言われているが、航空主兵論者たちは聞く耳を持たない。彼らにとっては駆逐艦の代用品なのであり、空飛ぶ水雷艇なのである。使い方や考え方が異なっている以上、議論は平行線でしかないのだ。


 だが、それでも出来上がった機体の性能は抜群であり、欧州列強の同クラスの機体を観ても一流であったと言えるだろう。それ故に海軍当局が自信を深めてしまったのである。



 試製九六式陸上攻撃機(G3M)

  全備重量:8000kg

  発動機:三菱金星 1100馬力

  最高速度:400km

  馬力荷重:3.6kg/馬力

  翼面積:75㎡

  翼面荷重:106.6kg/㎡

  全長:16.45m

  全幅:25m

  航続距離:4400km

  機銃:20mm×1

  機銃:7.7mm×3

  爆装1:60kg×12

  爆装2:250kg×2

  爆装3:500kg×1

  爆装4:800kg×1

  爆装5:航空魚雷×1

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― 新着の感想 ―
[一言] このコンセプトの陸攻を ドイツが持ってたら、 イタリアが持ってたら 通商破壊はさらにはかどっただろうなぁ、航続距離4400kmが頭おかしいもの それだけ滞空して索敵できるってことでもあるし…
[一言] 九六式陸攻は史実通りのものになったか。 問題は次期機だね。陸攻は魚雷1本を運ぶために乗員6〜8人とか人的資源の無駄遣い過ぎる。 銀河の様に小型化して3人するか、そにまま発展して飛龍になるか。…
[良い点] 空技廠の弱体化。 [一言] 進言蔑ろにする悪癖まだ残っているんですね……。 連中には史実以上の失態で引責辞任して欲しいですがこのはと世界では少し難しそうです。 関連しそうなネタが。 …
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