シベリア戦線異状アリ!
皇紀2583年9月18日 ビキン北方
この日、ビキンに駐留する第7師団の深部偵察小隊がビキン北方約70kmに位置するヴァーゼムスキーに極東共和国軍とパルチザンの2個混成旅団相当の兵力が展開していることを確認したのである。
数日前の深部偵察ではこの敵兵力は確認されておらず、16日か17日に展開したと考えられている。
さて、史実には深部偵察小隊などという戦闘序列は存在しない。だが、この世界では真崎兵団によって機動旅団が実現されており、浦塩派遣軍もこれに倣い、オートバイ兵の育成と拡充を進めていたのである。
編制は以下の通りだ。
深部偵察小隊
軽装甲自動貨車2台(運転手4名)
サイドカー3台(6名)
小銃分隊2個(20名:分隊長など含む)
小隊幹部(3名)
浦塩派遣軍は豊富なトラックやオートバイを物資輸送だけで用いることなく、偵察や強襲戦力として運用することを考えつき、一部の部隊を改変したうえで運用している。
この運用によってガソリンの需要が高まっていることが目下の問題点であると浦塩派遣軍は本国へ報告書を出したのだが、陸軍省や参謀本部などはその報告書を検討する間もなく被災し、震災の後始末で浦塩派遣軍のことまで気が回らない状態となっているのであった。
さて、この深部偵察小隊によって発見された敵集団の狙いはどこにあるのか……。
また、同日夕刻ダリネレチェンスク(イマン)のウスリー川を挟んで対岸にある虎頭に所属不明の大集団が存在すると報告が浦塩派遣軍司令部に届く。
虎頭といえば、史実において東満州の国境防衛拠点として有名な虎頭要塞が鎮座する土地である。もっとも、この時代にはただの寒村が存在するだけだが、ここは戦略的要衝であるのは変わらない事実である。
虎頭要塞のソ連参戦時の大激闘を知っている者ならば理解が早いと思うが、ここはイマン川鉄橋を狙い撃ちに出来る場所なのだ。仮に鉄橋まで射程が届かないとしても、川を押し渡り平押しすればダリネレチェンスク(イマン)はすぐそこにあり、同時に鉄道を封鎖することが出来るのだ。
そう、史実において虎頭要塞はその地理的理由からソビエト連邦に大きな脅威を与えていたのだ。そして、戦時中にシベリア鉄道はより奥地へ敷設され、虎頭要塞の射程から離れたが、それを黙って見過ごす関東軍ではなかったのだ。
届かなくなった射程は、届くようにすれば良い。ただそれだけのことだ。内地で埃を被ったまま放置されていた試製四十一糎榴弾砲を移送し、据え付けたのである。
この巨砲によって射程はさらに延伸され、迂回鉄橋が再び射程内となり、いざソ連参戦となった時、この巨砲がシベリア鉄道と侵攻するソ連軍へと降り注いだのである……。
その虎頭の地に所属不明の戦闘集団が集結しているという情報は浦塩派遣軍に大きな衝撃を与えたのだ。司令部の目と鼻の先に正体不明の存在がいる。しかも、渡河してくる素振りさえ見せているという。
「荒木を呼べ!」
司令官である立花小一郎大将はこの事態に荒木貞夫少将を司令部へ出頭させるように命令を下した。




