Series96<4>
皇紀2595年 三菱新型機開発の顛末 その周辺
「話によると九試単戦の量産が決まったそうだ」
年の瀬も迫った頃、艦政本部から直接市ヶ谷の有坂本邸へ公用車で乗り付けてきた平賀譲造船中将は開口一番、機密に関係する事柄を告げる。
「閣下・・・・・・」
「何気にすることはない。どうせ、源田サーカスを利用して大蔵省に予算獲得を迫る腹なのだ。帝国の航空技術は列強にも一歩も後れを取っていない・・・・・・とな」
平賀はそう言うと外套についていた雪を払ってから女中に手渡すと早速本題に入りたいとばかりに奥へ通せと視線を向けてくる。
「さ、ここではなんですから奥へ・・・・・・平賀さん、今夜はお泊まりになりますか?」
「いや、用件だけ伝えてすぐに帰る。正月返上覚悟で今は仕事をしているからな」
この時点で平賀が関わっている仕事と言えば一つ。アレしかない。
「あぁ、アレですか。確かにアレは大仕事。気を抜くわけにはいきませんな」
有坂総一郎も事情を察して頷く。アレこそ男の浪漫であり、本物を見ることが出来ぬ悔しさを感じずにいられないそれが、今自分たちの手によって形になろうとしている。それに一枚でも噛むことが出来たそれに総一郎の心は童心のそれに似たものでいっぱいであった。
「旦那様、アレは貴方の玩具ではありませんのよ?」
隣にいる有坂結奈は冷めた視線をワクテカしている夫に向けるが、なんのその。浪漫に燃える男たちにそんなモノは何の役にも立たない。
「ははは。結奈君、そうは言うが、アレは男の魂を揺さぶるモノなのだ。それが分からん連中が海軍でも最近は随分と羽振りを利かせているが、まぁ、連中は同じことをまた繰り返しておる」
平賀の言葉には海軍航空主兵論を唱える一派を指している。それを結奈も理解していたが、内心こう思っていた。
――同じことを繰り返しているのは平賀さんも、うちの旦那様も一緒よね? 後生に昭和三馬鹿と伝わるそれを嬉々として建造しようとしているじゃない。ホント、男って馬鹿ばっか。
彼らは自邸とは言え、女中などが居るそばで平然と軍機についてアレという表現で会話を続けているのだが、本来は憲兵隊にしょっ引かれてしまう重大な秘密漏洩である。だが、その憲兵隊の大親分が仲間内にいることから処分などされていない。
尤も、情報漏洩にも程度があるし、漏れていても意外と外部にはその全体像を掴ませていないことがある。これはこの時代の特有の日本人らしさが発揮されていることもあって防諜は意外としっかりしているのだ。
例えば、呉軍港で大和が建造された時、呉の人々は海軍がとんでもない戦艦を建造していることを知っていたが、そのことを口外することはなかった。それは憲兵隊に睨まれると言うこともあったが、軍に関することを平気で口外するのは社会の敵であるというそれであったからだ。
また、呉線や横須賀線など軍港地帯を走る列車は、軍港に近づくと窓を閉め、鎧戸で目隠しするというそれに乗客が協力していたのだ。
こういった時勢なだけに、有坂邸の中で働く女中たちもここで行われている会合の多くが軍機に触れることであったり国家機密に属することが行われていることを知っていたのだ。
当然、機密漏洩を防ぐための処置を講じているが、そもそも協力的であることもあって下手にスパイが潜り込んでもすぐに露見するというそれであった。尤も、スパイ活動をしている女中を敢えて泳がせてどこの誰が黒幕かをあぶり出すと言うこともしている。そういった場合、女中の隣で機密を匂わせるのは割と効果的であったりするのだ。
「さて、落ち着いたところで九試単戦であるが・・・・・・金星ではなく、瑞星を積む2号機が採用されることとなった。ただ、連中はまた駄々を捏ねだしてな、馬力に余裕があるから中型爆弾を・・・・・・具体的には250キロ爆弾を搭載出来ないかと言いだしおった。まぁ、言い出した奴は誰か言わずとも分かるな?」
平賀はいい加減にしろと言わんばかりの表情で溜息を吐く。本来、艦政本部に努める造船家である彼でも頭を抱えるそれであったようだ。
「はぁ、もう一つのサーカスの方ですね。ええ、わかります」
予想がついていただけに平賀が頷くのを見てうへぇという表情を浮かべてしまう総一郎であるが、仕方がない。人間欲を出せばどうなるか、そんなもの嫌というほど見てきただけにまたかと思ってしまったのだ。
「まぁ、問題はサーカス野郎じゃない。そんなもの大した問題じゃない。技術屋が無理だと言い返せばそれまでだ。だが、あいつはいけない」
平賀は心底うんざりした表情である。
「また、山本が要らん口出しをしたのだ。燃費がどうとか言い出してな・・・・・・付き合いのある三菱の人間に聞いたのだが、瑞星の案は輸出用を目論んで意図的に性能を制限したそれであったそうだ」
「はぁ、いわゆるモンキーモデルという奴ですね。輸出相手国のそれが脅威にならんようにする意図のものですな」
「うむ、そうだ。海軍向けには金星搭載案が本命で、金星の方が優位性があると堀越君は示したかったようだ・・・・・・だが、何を考え違いしたのか、あの馬鹿は斜め上の回答を引き出しよった」
平賀の形相は更に凶悪さを増していく。文字通り親の敵を見るようなそれだ。
「その上、あの馬鹿は、艦政本部長である中村大将に”砲戦が行われる前に飛行機の攻撃により撃破せられるから、今後の戦闘には戦艦は無用の長物になる”などと言いよった。確かに前世はそうだっただろうな。だが、それはあの馬鹿がそういう戦に誘導して自滅した結果じゃ! 使い方を間違った奴が何を言うのか!」
「では、平賀さんの機嫌が悪いのは・・・・・・」
「あぁ、そうだ。あの馬鹿が”九試単戦みたいな燃費の良い航空機が空を舞うようになれば戦艦など要りません。A150計画などさっさとやめて空母でも設計なさってはどうです”と会議の帰りに上機嫌でイヤミを言いに来たのだ」
総一郎は平賀に同情を示す。前世の教訓を活かして大戦艦建造に取り組み、列強の戦艦を薙ぎ払うべく全力を尽くしている男に脳天気なイヤミなど聞かせればこうも荒れるのは仕方がない。
「それで、A150は如何で?」
「あぁ、問題ない。来年の3月に呉と長崎で1号艦、2号艦が、来年の8月に横須賀と大神でそれぞれ3号艦、4号艦という予定に内定しているが、それに変更はない。情勢によっては前倒しされるだろう」
「大角さんが建造施設拡充を図った成果が遂に火を噴くと・・・・・・」
「あぁ、そうだ。それで、結奈君、前に頼んでおいた火砲の生産設備拡充についてだが・・・・・・どうだね?」
総一郎はなんの話か分からず首を捻る。だが、結奈はすぐに頷いて応じる。どうも平賀と結奈との間では話が通っていて、既に段取りが出来ていることのようだ。
「北満、北鮮の製鉄拠点からの直送を考えて鳥取の境港に生産拠点を構築中です。ここなら島根の安来からの特殊鋼を手配しやすいですし、水深も深く大型船が入港しやすいですし、鉄道路線も整備されていますから海路陸路ともに都合が良いかと。舞鶴工廠へも海路で一日と掛かりませんからね」
結奈がすらすらと答えるそれを見て総一郎は憮然とする。
「新工場の話など聞いていないのだが・・・・・・」
「旦那様には言ってませんからね。言えば、列車砲の増産とか寝言を宣うに決まってますもの」
結奈の言葉に絶望の表情を浮かべる総一郎であった。いつの間にか自分の名において決裁が行われ、その上自分はタッチ出来ない工場、しかも、浪漫禁止を言い渡されてしまったのだ。
「有坂よ、貴様、本気で列車砲の増産とか考えていたのか」
「いや、だって、本家が戦車のシャーシを使って列車砲を自走化とか言い出して・・・・・・」
総一郎の言葉は続かなかった。
「だ・か・ら! それだから言わなかったのです」
「であろうな。今回の新工場が何故か窓口は結奈君であったのは不思議に思っていたが、その判断は正解であったようだな。結奈君、この阿呆の暴走を今後も食い止めてくれよ」
結奈の力強い頷きと相反するように総一郎は肩をがっくりと落としていた。
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