Series96<3>
皇紀2595年 三菱新型機開発の顛末
再び各務原の大空に九試単戦が舞う。
海軍側からは航空本部や航空廠などから多くの高官が試験飛行に立ち会っている。だが、その面々は離陸直後から九試単戦”改”が叩き出し続けるその記録の数々に皆一様に驚きの表情を浮かべている。
驚きを見せつつも各人の内心は穏やかではない。
「なんだ、あれは!」
「発動機カウルの大きさが違っている。あれは海軍指定を無視している」
「中島に続いて三菱までも海軍を虚仮にするというのか」
だが、堀越二郎が設計し三菱チームが改造を施した九試単戦”改”はその実力を発揮し、海軍関係者の怒りを嘲笑うかのように最高時速500キロをあっと言う間に超えて見せたのである。
「あんなもの認めるわけにはいかない。あれでは我々が求める性能と異なるではないか」
そういった非難の声が上がるが、しかし、それをも九試単戦”改”はあっさりとその秘めたる性能で力を持って黙らせてしまう。
1号機は複葉戦闘機の九五式艦上戦闘機との模擬空中戦では速度差を活かして相手を振り切り、追いつけなくなった頃合で反転しそのまま逆落としに一斉射して撃墜判定をもぎ取る。更に、どうやって手に入れたか分からないが、陸軍謹製と思われる12.7mm航空機関銃が翼内装備され、代わりに機首機銃が廃止されていた。海軍の要求をガン無視している設計であると言えるだろう。
2号機に至っては7.7mm機銃を機首装備だけでなく翼内装備までして合計4門装備している。しかし、その性能は1号機に後れを取ることはなく、同じく時速500キロを軽く超えて見せた。こちらは海軍側の要求に近づけているが、それでもレギュレーション違反しているのは変わらない。
「一体、三菱は何がしたいのだ。海軍に喧嘩を売って取引停止にされたいのか?」
怒り心頭の三菱担当の監督官はそう言ってやさぐれる。本来、彼を通して三菱側から海軍へ話を持ち込まれるべきだが、三菱側はそれすらも敢えてしなかったのである。
「監督官などと言う現場も技術も分からない人間に話しても無駄である」
三菱側の開発チームは公然と海軍に反旗を翻してしまったのだ。そこには中島飛行機で開発中の試製九六式戦闘機がライバル企業である三菱の金星発動機を採用して陸宮当局がこれを問題なしと決裁したことが後押ししている。
「馬力も足りない、発展性もない寿など最早時代遅れだ。それを分かっていながら海軍の要求に従ったのがそもそもの間違いであったのだ。これからの三菱は筋を通した設計しかやらん」
堀越が本気を出して今の時点で出来うる限りの全力を持って設計したそれは欧米に一歩も譲らない戦闘機に仕上がったという自負があるからこその海軍への挑戦であったのだ。
これには海軍側がその内部意見を四分五裂したことで結局は採用の可否判断を先送りすることに繋がった。この時、35年11月のことである。
中島飛行機が金星発動機を用いることで即席ではあるけれど連合チームが出来たことで三菱側の意思はより固まり、海軍の非現実的な要求を無視し、採用なくば戦闘機開発から降りると明言したのは試製九六式戦闘機が群馬県太田の中島飛行機本社工場の空を舞ったその日のことであった。
これには海軍当局が大混乱へと突き落とされ、泡を吹いて何事かを喚く将官が海軍省や航空本部で散見され一部は急病として海軍病院に収容されたという。
「儂はどうも考え違いをしておったようだ・・・・・・戦闘機無用論など世迷い言を信じてしまうとは」
そんな混沌と化した海軍省で澄み切った瞳をした男が一人、静かに呟く。その名を大西瀧治郎という。階級は大佐。史実では神風特別攻撃隊の生みの親と言われる人物で、海軍航空の推進者である。
「中攻が完成間近でその速度を聞き双発の高速爆撃機に単発の戦闘機が追いつけるとは思っていなかった。だが斯様な秘めたる力を見せられると自身の不明を恥じるほかない。高速戦闘機、しかも重武装というのは今後を考えると非常に良いのではないか」
元々、大型機による敵地侵攻とそれによる大きな打撃力を信奉し、高速爆撃機の実用化あればその実現となると考えていた大西にとって九試単戦”改”の出現は爆撃機の高速性能に疑問符を突きつけてしまったのだ。
「大した護衛もなしに大型機が敵地へ侵攻することは敵要撃機によって容易に迎撃可能になるであろうことを学ぶ必要がありそうだ」
戦闘機無用論こそ撤回する方向性を示したが、その内心、彼は別のことを考えていたのである。
――双発機では性能向上に限界があるかも知れぬ。だが、四発機であればどうだろうか、合衆国が開発しているという例の超々重爆とやらに相当するモノならばあるいは・・・・・・。
彼の内なるドクトリンは一歩その歩みを進めることになり、彼と親しい関係にある陸軍の菅原道大大佐にその考えを伝え、それが陸海軍航空戦力へ新たな局面を開くことになるのはまだ先のことであるが、彼の覚醒は間違いなく海軍航空を変えてしまったのであった。
そしてもう一人、ニヤリと笑みを浮かべる男がいた。
「大西サンが”正しいことを正しいと認めることが大切なのであって何が国のためになるかで考え無節操と罵られようとも意に介すな”と言っていたが、まさにコレのことだ。九試単戦はまさに僥倖というモノ・・・・・・単葉機が複葉機の旋回性に劣るなど過去のことだ。その加速性能、上昇性能、特に余裕のある馬力によって武装の自由度が大きいことは我が意を得たりと言わんばかりのモノだ」
しきりに九試単戦の素晴らしさを語り、同僚だけでなく部下たちを布教して回るその姿は方々で気が狂ったかと言われたのだが、それも意に介せずに信じた道を突き進む航空参謀・・・・・・源田実大尉・・・・・・アクロバット飛行で有名な源田サーカスの親分である。
彼もまた自分が理想とする海軍航空を目指す存在であり、大西とは逆に小型機志向で戦闘機無用論とは対立していたのだが・・・・・・同じサーカスの名を冠する存在だけあって、同じ宿命を争えないのだろうか、急降下野郎であった。
「小型機でも馬力に余裕があれば搭載量に余裕が出来て大きな爆弾を抱えて突っ込める。そして爆弾がなければ格闘戦を演じて敵を圧倒出来る。しかも重武装なのだ。最高じゃないか」
日頃から唱えている単座急降下爆撃機論に都合の良い存在が出来上がって源田の機嫌が悪いはずがない。上機嫌に九試単戦”改”の出来を褒めて、従来の凝り固まった格闘戦優先志向に異議を申し立てるものだから彼の孤立化は一層進むのであるが、かと言って、源田の論や大西の論に敵う論理を持ち出せる人物が海軍航空当局には存在せず、この二人の論理がひとりでに歩き出してしまったのである。
大西と源田の理屈は本質的には噛み合っていない。しかし、表面的には方向性が同一に見えた格好となっていた。両者の論理が表面的に同じであることから次第に大勢を占め、これによって海軍航空関係者は海軍部内の要求を取り下げ、三菱の提案を本気で検討し重戦闘機へ踏み出しそうになっていた。
だが、議論はこの一言で再度迷走を始めてしまう。
「2号機の方も500キロ出ているのだから、こちらを正式採用して少しでも燃費を良くして航続距離を増やす方が良いのではないか? 空母で運用するに当たっても軽い方が何かと良いからな」
三菱が決死の覚悟で海軍にモノ申したこと、それを海軍航空の第一人者的存在によって上手く纏まりそうだったにもかかわらずだ。そしてそれを台無しにしたのも海軍航空の第一人者的存在であった。
「重油は捨てるほど余っているが、ガソリンは合衆国が出し渋っていて大英帝国からの輸入が主になっている。その貴重なガソリンを多少の性能差で無駄使いをするのはボクはどうかと思うんだよ」
その言葉が九試単戦の運命を決定づけることになる。以後、三菱に2号機を基本とした艦載機化改造が命じられ、量産化が決定、九六式艦上戦闘機11型と命名されることになる。
これを命じた人物こそ海軍航空にその人有りと言われた航空本部長たる山本五十六少将であった。
堀越はこの時の会議の結果を後に回想して悔やむ。
「あの時、2号機なんか作らなければ良かった・・・・・・」
※多少改稿しているので既読の方は読み直してもらえると良いかな。大筋ではなく補足と一部書き直ししただけだが。
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