千鳥、大空を舞う
皇紀2595年11月 中島飛行機太田工場
年末も近づき風が冷たくなってきた11月下旬、中島飛行機太田工場において数機の新型機がロールアウトし、工場併設の滑走路から銀翼に輝くそれが飛び立ったのである。
――仮称九六式戦闘機
その機体は陸軍においてはその様に呼称されていたが、中島飛行機社内では”千鳥”と呼ばれている。
社内愛称が”千鳥”となったのは、シロチドリがユーラシア大陸と日本を往復していることから、新型機が想定戦場となる大陸へ赴き活躍するであろうことを願ったことに始まる。
陸軍当局側も長ったらしい正式名称よりも発音で3文字、漢字で2文字で済む”千鳥”を好んで用いるようになり半ば公式愛称と化しているが、文書上では仮称九六式戦闘機またはキ27という名称が用いられている。
当初、中島側は全て内製品で固めようと考えていたが、陸軍当局がソ連戦闘機が時速500キロに達しそうであることから新型機の要求を時速500キロに設定したため、それを実現可能な発動機を選定し直すこととなった。
自社製発動機である単列9気筒ハ1は馬力不足で時速470キロが精々であるため、単列9気筒ハ8が候補に挙がったが、850馬力で想定計画値時速480キロと陸軍当局の要求に達せず、複列14気筒950馬力のハ5が候補に挙がったが、重量増加分が足を引っ張り時速490キロが精一杯であると判定された。
そうなると自社製発動機では計画要求を達成出来ず、社外発動機を考慮するほかなく、機体のバランスを考えると候補に挙がるのは三菱の金星40型系統であった。
設計主務の小山悌は悔しさを噛み潰し名古屋へ赴くと三菱の深尾淳二発動機部機械課長に頭を下げて協力を依頼したのだが・・・・・・。
「どうか、三菱の金星を使わせて欲しい。陸軍当局はこちらで説得する」
「小山さんに頭を下げられてはこちらとしても異存はありません。実を言えば、海軍当局は私どもが金星を独自設計したことが気に入らない様子でね、まぁ、それは陸軍サンも一緒なんですが、陸軍サンの場合、まだ話が通じる人が多いからこちらでも根回ししましょう」
「ありがとう。これで、500キロを超える足の速い、そして格闘戦が可能な機体に仕上げることが出来る」
「ほぅ、500キロですか、それはまた陸軍サンの要求も厳しいモノですな。さぞご苦労があったでしょう。ウチも海軍サンの九試単戦で苦労しておりますが、陸軍サンのに比べ
れば400キロとまだ要求が緩い分マシですが、陸の上のそれと海の上では違いますからなぁ。堀越君らも苦労しておるそうですよ」
「お互いに苦労が絶えんことですな」
和やかに技師同士が抱える苦労話を小一時間続けて両雄は固く握手を交わし、小山は車上の人となった。途中、発動機換装による微妙な機体再設計と深尾から渡された発動機の詳細を下に計算をし直し少しでも時間を節約しようとしていたが、静岡を越える頃には小山も疲れからウトウトと寝入ってしまった。
翌朝出社した小山は早速金星を取り付けるための機体改造を始めるのであった。発動機のサイズが異なる以上、機体の整形が必要であった。当初から頭でっかちである”千鳥”を空力的に適したそれにするための改造である。
「小山さん、一つ提案があるのですが良いでしょうか?」
「おう、なんだ糸川、何か思いついたのか?」
新任技師だった糸川英夫は”千鳥”設計の段階で前縁直線翼を発案し、小山にそのアイディアを採用されたのであるが、当年東京帝大を卒業したばかりの糸川を抜擢した小山の先見の明と冴え渡る勘による成果であったと言えるだろう。その糸川が何か言い出そうとしていることに小山は期待の表情で先を促す。
「ええ、発動機の排気なんですが、どうするのです? 集合排気管を採用するのですか?」
元々不採用になったキ11の経験を活かして設計された”千鳥”は空力学的に洗練されているのだが、発動機サイズが若干小さくなった割に多少重くなった分のバランス取りと馬力が大きくなった処理を行う必要があった。
「糸川はどう思う」
「はぁ、排気管からの排気をそのまま摩擦抵抗に利用出来ないかと・・・・・・」
「よし、従来の排気管仕様と糸川の言う通りのそれでやってみよう改造は簡単に出来るように考慮しておけよ」
若い新進気鋭の技師に重大な仕事を任せる。中島飛行機の気風である。やってみたいと思うことを自由にやらせることでその成果が出れば採用し、成果が出なくてもそれはそれとして受け入れる懐の深さがそこにはあった。経験の不足はベテランがカバーすれば良いのである。
「さぁ、三菱から発動機が届くまでに仕上げてしまうぞ。露助どもに好き勝手にさせないためにもこの”千鳥”の完成度を高めてやろうじゃないか」
小山の宣言にスタッフの士気は上がる。責任ある仕事を任された若手は野心に、ベテランは責任感に燃える。
その後、三菱から深尾らの渾身の作である金星が届く。三菱側のスタッフも一緒に太田工場へやってきたことで中島・三菱が一体になって”千鳥”を完成へと導いていったのである。
そして迎えた11月18日。
三菱発動機チームの全面バックアップの下で初飛行において当初予定よりも早く飛行試験が行われ、順調に成績を収めていった。陸軍当局も初飛行での成果に満足し、また糸川の発案による推力排気管は設計チームの弾き出した数字よりも10キロもオーバーする最高速度を叩き出したのである。
「ほぅ、中島は良い飛行機を造ったもんだな」
前評判を聞いていた杉山元中将は所沢まで態々出張って来て初飛行を見学していた。航空本部長としてその仕上がりが非常に気になっていたこともあって出向いていたのだが、その性能の一端を知るとすぐさま所沢飛行場へ連絡させて教導飛行団に太田工場まで出向かせ、在来機と”千鳥”とで模擬戦闘を命じたのである。
「複葉機相手にあの格闘戦性能とは・・・・・・それにあの速度はやはり優位であるな。あのキ11よりも遙かに性能が上だ」
キ11は不採用でありながらも次期主力戦闘機のつなぎとして生産されていたが、輸出用という名目で生産されたモノを横流し的に帝国陸軍航空隊が使っているという実態であった。故に正式名称はなく、試製と設計順序を意味するキ11のままなのである。
また、当初530キロを目標としていたが、ハ5の高出力化が難航していることで、性能を落としたという経緯を知っていただけに杉山は中島の方針転換を歓迎したのである。
「我が輩も出来ぬことをせよとは言えぬ。だが、工夫が足らぬのであれば工夫せよと申す。それが今回の結果を出したのであれば、我が輩としても、陸軍としても満足である。直ちに量産体制を築くように。陸軍内の手続きは我が輩が請け負おう」
結果として1年前に中島側が示した時速530キロという目標数値を上回るそれを示していたキ27:仮称九六式戦闘機”千鳥”は航空本部長のお墨付きを得て拡大試作の名の下に量産が指示されたのであった。
若鳥を祝福するような日本晴れの空にいつまでも”千鳥”は舞っていた。
試製九六式戦闘機(中島:キ27) 性能諸元
全長:7.53m
全幅:11.31m
全高:3.28m
主翼面積:18.56㎡
全備重量:2100kg
動力:空冷複列14気筒発動機 三菱金星44型
出力:1000馬力
最大速度:528km/h
航続距離:1300km
武装:ホ103 12.7mm機銃×2
※:航続距離が過大とのことで指摘があったために1000kmに下方修正。適当な数字をはじき出せたら受け入れるので連絡して欲しい。
※2:一応根拠があっての1500kmであったけれど、改めて手持ちの資料では、純正の九七式戦闘機でも増槽1個と機体内のタンクで1200kmは飛べると再確認。無論、これも多少の誤差はあるという前提だが、それとは別の資料も再度収集したが、増槽+タンク全容量596Lで1700kmという数字もあると確認。
※3:再度、1500kmで問題なしと判断し、ただし、金星に換装しての燃費悪化分を誤差修正して航続距離を1300kmに再修正。
※後述のキ28における設定の兼ね合いから一部性能を下方修正。
1,金星発動機出力を1100馬力から1000馬力へ
2,最高速度を540kmから528kmへ
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有坂総一郎支援サイト作りました。
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