町田忠治内閣成立
総選挙は与党立憲大政会の勝利に終わったが、大財閥連合による幣原新党たる大政進歩党が都市部を中心に支持を伸ばした。
普通選挙の実施が見送られている為、選挙権及び被選挙権保持者が少ないために自然と地方選挙区では地元の名士が幅を利かせることになり、都市部では比較的高額所得者のサラリーマン層が財閥系若しくは自社と付き合いのある候補者に投票するという結果になっている。
文字通り出来レースと言った様相ではあるが、無名の泡沫候補や知名度だけで政治家としての役割を演じきれない存在は淘汰排除され、選挙区において当選した後に責任を持って国政または地方への利益誘導を行える候補者のみが立候補出来るようになったのだ。
結果としては大正期の我田引鉄を上位互換することとなったが、それは必ずしもマイナスとなることはなかった。地方に産業が誘致されることで都市部に流出する人口を地元へ引き留めることとなった。
また、ラジオや新聞広告による通信販売が普及したことで地方に住んでいても数日後には欲しい商品を全国どこでも手に入れることが出来るようになっていたことも人口動態に大きく影響を与えていた。
これは経済にも大きな影響があり、地方に工場があっても広報によって全国を商圏とすることが出来るというメリットが生まれ、また鉄道貨物輸送のコンテナ化と貨物列車の標準ダイヤ化で配送や受発注が容易になったのだ。
コンテナによって戸口輸送も可能となり、部品製造企業は工場敷地でコンテナへ荷詰めし地域の鉄道管理局の戸口貨物担当に連絡すればそこで指定された駅へ時間までにトラック輸送さえしておけば後はダイヤに沿って運行される貨物列車にコンテナが搭載される。受け取る側も到着時刻と駅の連絡を受けてトラックで取りに行けば良い。
また、個口配送の場合も従来運行されている荷物列車の運行ダイヤと駅留めで受け取るだけでよく、別途料金を払えば駅から自宅まで郵便配達してもらえるのである。
こういった商圏の拡大は都市部と地方の格差障壁を取り払っていった。そうなると人件費の安い地方へ工場が進出していくのは道理で、特に農業の機械化で人余りが生じている東北、北陸、甲信越は帝都からも近いことから積極的に企業が工場移転を進めていくのであった。
進出する先で世話をするのが地元の顔役たる代議士や名士であり、そこに人が集まることになるのは道理であり、結果、それはそのまま票田となり、選挙へと影響を与えるという循環を促していくのである。
逆に企業進出を上手く世話してやることが出来なかった代議士や名士は地元での信を失い次回の選挙で淘汰されるという循環もまた生み出していたのだ。
逆に都市部においては流出していく企業を食い止めることや別の雇用の創出、産業や学校の誘致というそれを期待されるようになる。特に豊富な労働者を得ることが出来るというだけしかメリットがなく交通の(特に鉄道貨物輸送の)便が悪い立地であった場合、企業にとってそこに居座るメリットがないわけでさっさと工場をたたんで移転を考えることが多く、そういった地域の代議士は選挙の度に顔ぶれが変わるという有様であった。
だが、そういった地域でも高い得票率でトップ当選し続ける人物もいたのである。滋賀県に地盤を持っていた堤康次郎だ。大正期から滋賀県で当選していた堤は東京府へ殴り込みを掛け、経営危機に陥った武蔵野鉄道を抱える沿線の選挙区で熱弁を振るったのだ。
その裏で武蔵野鉄道の株式を買い集め、自身の設立した多摩湖鉄道と合併させるに至り、中島飛行機や陸軍省との関係を深めていた堤は鉄道省が建設を進めていた八高線との短絡線を建設し貨物列車の直接乗り入れを行うことで中島飛行機の本拠群馬県と陸軍飛行場や中島飛行機の工場がある所沢などへヒト、モノ、カネを流すそれを行ったのである。
陸軍、中島飛行機を相手に商売や雇用先とする人が集まり、またそれを運ぶ鉄道、それらを金のなる木とみてさらなる循環が生まれたことで、堤が殴り込める基盤が整ったことで彼は前回の32年総選挙で東京府7区においてトップ当選を果たし、今回の降って湧いた総選挙も同様にトップ当選で当地の実業家代議士として地歩を固めることとなるのであった。
また彼と同じく実業家代議士として盟友となる中島知久平も中島飛行機と自動車部門を独立させた富士重工業による大票田を活かし群馬県1区において勝利を決めている。
総じて都市部において安定して当選を決めている代議士の多くは官僚出身、実業家、元軍人といった存在である。そこが幣原新党たる大政進歩党が躍進出来た理由と言えるだろう。彼らの票田もまた官僚やそれらとつながりの深い企業であるからだ。総じて選挙結果は親方日の丸、文字通りの実力主義によるものといった様相になったのであった。
斯くして総選挙後の5月9日、町田忠治が立憲大政会総裁に就任し、同日夜、町田に大命降下し組閣が命じられたのである。
町田忠治内閣
総理大臣 町田忠治 立憲大政会
大蔵大臣 高橋是清 子爵 立憲大政会
外務大臣 重光葵 立憲大政会
内務大臣 後藤文夫 貴族院
陸軍大臣 荒木貞夫 陸軍大将
海軍大臣 大角岑生 海軍大将
司法大臣 小原直
文部大臣 川崎卓吉 貴族院
商工大臣 櫻内幸雄 立憲大政会
農林大臣 山崎達之輔 立憲大政会
逓信大臣 久原房之助 立憲大政会
鉄道大臣 中島知久平 立憲大政会
拓務大臣 児玉秀雄 伯爵 貴族院
企画院総裁 結城豊太郎
興亜院総裁 高橋是清 子爵 立憲大政会
内閣情報調査局総裁 伊藤述史
総裁候補として中島、久原が激しく争っていたが、そこは政界の寝業師と異名を欲しいままにする松野鶴平と大麻唯男が裏で梯子を外した格好にし、侍従長鈴木貫太郎、内大臣牧野伸顕らの内諾を得た形で宮中工作を進め町田を総裁とすることで妥結させたのである。
論功行賞は閣僚ポストのそれで示される通り、財政政策は継続、派閥の領袖などが一部貢献度において閣僚や党重役に用いられることとなった。
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