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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2583年(1923年)

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甘粕事件

皇紀2583年(1923年)9月15日 帝都東京


 政府官公庁はこの段階で仮復旧を果たし、有坂重工業から届いたプレハブ小屋による仮設庁舎において通常業務を再開した。震災関係での対応業務は震災翌日の2日には始まっていたが、さすがに通常業務は後回しにされ、ある程度落ち着いたこの日となったのだ。


 この頃は未だ震災に便乗した騒擾が帝都周辺の被災地で発生しており、政府、内務省、自治体は頭を悩ませていた。


 特に支那人、朝鮮人の不逞の輩が徒党を組み、押し込み強盗を行うなど治安の悪化とそれに伴う自警団の結成、そして流言飛語による行き過ぎた私刑の頻発といった問題が各地で発生していた。


 実際に被災地を巡視していた帝国陸軍の斥候兵が不逞集団によって取り囲まれ殺害されるという事件も発生し、帝国政府も戒厳令を頼みに治安回復を優先する構えであった。


 この不穏な情勢下で赤狩り弾圧を逃れた共産主義者、社会主義者が決起し、暴動を発生させるという匿名のタレコミが警視庁にもたらされ、警戒を強めていたところ、社会主義者らは葛飾に集まり謀議を行っていることが判明、10日朝、憲兵隊の突入によってこれらを一網打尽にすることが出来た。


 憲兵隊司令部において彼らの取り調べが行われ、全員が留置されたが、12日の夜に首謀者格の数名が行方不明となったのである。


 憲兵隊は脱走と憲兵隊内部による不当な私刑の両面の可能性を疑いつつも行方不明者の捜索を行ったが、憲兵隊司令部の使われていない古井戸からまとめて発見されたのであった。無論、遺体となって……。彼らは全員が斬殺されていた。


 このことから憲兵隊司令部は事を重く見て調査を開始したが、すぐに犯人が判明した。10日朝に突入して検挙した憲兵隊を指揮していた甘粕正彦憲兵大尉の指示によるものであり、彼と彼の部下の犯行だったのだ。


 甘粕はこの犯行について多くを語らなかった。


「私の考えで、指示を出し、部下に殺害させました……部下の責任は問わないでいただきたい……」


 彼は自身の責任であると明言し、関係した部下を庇う言動をする一方で、自身の犯行に至った理由や考えを語ることはしなかったのである。


 この事件の結果、憲兵司令官と東京憲兵隊長は停職処分とされることとなった。また、戒厳司令官も引責によって更迭されることとなったのだ。


 だが、彼によって行われたアナーキストの一掃によって、現時点における帝国政府を脅かす赤化勢力は事実上一掃されたのであった。


 事件後、甘粕は軍法会議によって禁固刑に処せられることになる。

史実とは少し違う形で同じような役割を演じる事件を当該人物に担ってもらいました。

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