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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2595年(1935年)

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激震

皇紀2595年(1935年)4月中旬 世界情勢


 極東シベリアは兎に角寒い。4月だからといって舐めてはいけない。ヤクーツクではさっと最高気温がマイナスを脱する頃合に過ぎないのだ。


 そんな極限の地で鉄道建設などというイカレた真似をする連中が正気なはずがなく、夏季に集中工事を行うことで遅れた工期を取り戻そうと必死になる。尤も、モスクワにいる連中やイルクーツクにいる連中などはそんな現地の都合など知ったことではなく、比較的温暖なヨーロッパロシアやウクライナなどから文字通り人狩りを行って工期圧縮のためにベルトコンベア式に送り込んでくる。


 送り込まれた方も受け入れる方も態勢など整っていないから衣食住がまともに得ることが出来ず、労働力として機能する前に死に絶えるというのは日常茶飯事である。


「やってられるか」


 そう叫んだ直後にチェーカーによって粛清される者もいれば・・・・・・。


「なんだ女がいるじゃねぇか、ちょっとこっちに来いヤッてやる」


 酒に酔った勢いと欲に猛って振る舞ったことでチェーカーがやってくる前に周囲の男に袋叩きに遭って死ぬ。


 そんなことは日常の出来事であった。


 特にヤクーツクとオホーツク沿岸のマガダンを結ぶコルィマ道路の建設は32年から始まっているが白骨街道と言われるほどその建設は過酷を極めている。この不毛の大地を縦貫する道路や鉄道が建設されたことにはとある鉱山開発は切っても切れない関係にあり、またそれはこの世界においてアメリカ合衆国の存在がやはり関係している。


 元々旧帝政時代に金鉱山が発見されていたが、これを開発するには環境が過酷であった為、半ば放置されていたが革命が起こるとは事情は一変した。


 政治犯を強制労働の対象としてシベリアへ送り込んだことで開発が一気に促進したのである。文字通りただ働きさせることで開発が進められ、また政治犯はいくらでも出てくるのだから補充は容易であった。都合が悪ければ、適当な罪状をでっち上げて一族郎党送り込んでしまうのだからコルィマ金山の開発は一気に加速したのであった。


 特にシベリア出兵によって極東共和国が崩壊、代わりに正統ロシア帝国が成立し、緩衝国・不凍港を失ったことのダメージを回復する意味でもコルィマ金山の開発は優先度の高いものであったし、対日政策を考える上でウラジオストクの代わりの港湾を手に入れることは重要であった。


 だが、そうは言っても世は大恐慌へ突入していた。金の需要は一気に減り、ソヴィエト連邦にとっても金山開発は重荷になっていたのである。


 しかし、長引く不況の中でアメリカ合衆国の上海利権グループは権益がぶつかり合う日本への牽制の意図もありソ連へ接近を試みた。彼らの出した条件はカムチャツカ半島の実質的な租借権と北太平洋航路を活用した対ソ投資権益であった。


 アメリカ側の提示する内容では流石にソ連を指導する同志書記長(スターリン)は「ダー」と言わなかったが、いくつかの条件を再提示すると今度は「ニエット」とも言わなかった。


「アメリカから搾り取れるだけカネを出させるのだ。いくらか甘い汁を吸わせてやっても良いが、全てが整った後は没収してやるのだ」


 結果、概ね権益は6:4とソ連側に有利になる形で決着し、次々と合弁会社が設立されることになった。


 手始めに太平洋岸のペトロハブロフスク=カムチャツキーには大規模な港湾施設が形成され、同時に工業団地が造成されることになった。その後、鉄道建設が始められ、山越えによってオホーツク岸のオクチャブリスキーまで開通するとそこからはひたすら北へ向かって延伸が続けられている。35年3月までにはウトホロクまで線路は延び、途中のウスチソポチノエと合わせて対岸のマガダン航路の結節点として機関区や操車場、港湾施設が稼働し始めていた。


 カムチャツカ鉄道はアメリカ資本の影響が大きく、1524mmロシア標準軌ではなく1435mm国際標準軌を採用している。それだけにアメリカ本土から機関車や貨車を直接運び込みすぐに運用可能であった。また、信号システムなどもアメリカ鉄道界の雄であるペンシルバニア鉄道、ニューヨークセントラル鉄道が競い合って自社システムを売り込んでいたが、結果としてペンシルバニア鉄道が勝利したことで自然とペンシルバニア鉄道の影響力を受けた性格に変質していくのであるが、それは別の話だ。


 山岳路線と厳寒地域という特性から当初から蒸気機関車ではなく電気機関車を用いることで牽引力確保と安定運行を狙っていたのだが、この目論見は半分達成したが半分は未達成に終わり、結局は蒸気機関車も並行して運用することになった。


 カムチャツカ鉄道の延伸とマガダンへの最短距離の渡海というそれによってオホーツク海航路を通年で利用出来るようになったことはウラジオストクという不凍港を失ったソ連にとっては大きな利益となったが、問題はマガダンから先である。


 シベリア鉄道本線をタイシェトから分岐した形で建設されているバイカル=ヤクート鉄道は途中からはレナ川の水運を利用することでヤクーツクまで運用されている。ヤクーツクから先はコルィマ道路でマガダンまで連結されることになるが、これがまた難物である。


 道路の建設と鉄道の建設は似ている部分もあるが大きく異なる部分が多い。特に山岳地形においては鉄道建設は道路建設よりも遙かに過酷さが増す。そして、資材運搬が分断されていることで思うように進まないという問題もあったのだ。


 しかし、通年マガダン港を利用出来るようになったこの35年春からは事情が変わり始めるのであった。アメリカから流れ込んだ資材が凍り付くオホーツク海というそれを克服して運び込めるようになったからだ。


 相変わらずアメリカ経済は低空飛行を続けていることが対ソ投資へと前のめりになる理由であったが、それ以上にアメリカ大統領の対日敵視というそれもあった。


「黄色い猿がつけあがりおって・・・・・・今に見ておるが良い・・・・・・デラノ家の庭を荒らし回ったツケを支払わせてやる」


 文字通り私怨である。彼の母方の実家であるデラノ家は支那において巨万の富を築いた一族であるが、その手法はお世辞にも綺麗とは言えない。阿片の売買もその事業に含まれている。


 だが、そんなデラノ家の十八番を奪うかのように日本側は史実以上に満州産の阿片を支那へ流しているのである。買う側である青幇や紅幇も安定した大量供給で尚且つ品質も良いとなれば商売相手を切り替えるのに躊躇はない。


 青幇と手が切れてしまうとデラノ家やその係累による上海ルートは次第に日干しにされ、欧州列強との関係悪化も相まってアメリカ企業の支那権益は急速に失われていったのである。基盤を失った彼らによる対日憎悪は常軌を逸しているレベルだが、アメリカの普通の市民にとっては黄色人種への偏見などデフォルトであるため普通の感情であると思われていたのだが、向けられる方はたまったモノではない。


 そう言った意味ではお互いに私怨によって日本へ向ける感情が同じだと理解した人間同士が手を結ぶのは自然なことであったかも知れない。だが、細い糸と言っても良いが、アメリカ西海岸-カムチャツカ-マガダン-ヤクーツク-シベリア鉄道-ソ連本土が結ばれたことは彼らの結びつきを更に深める機会になったのは間違いなかった。


 ルーズベルトが政権を獲得してすぐに米ソ国交が結ばれたが、それから丁度一年が経った34年末に米ソ首脳会談を駐米ソ連大使館が申し込んできたのはそういった事情が下地にあったのだ。


「では、オホーツク連絡船の船上において首脳会談を行うということで如何か」


 アメリカ側の返答に駐米ソ連大使は二つ返事で同意し、その場で了解が取れてしまったことにアメリカ国務省は驚きを隠せなかったが、同意が為されてしまった以上は交渉を進めるほかなかった。


 交渉を進めていくことで時季を考えて6月ないし7月に開催することをソ連側が提案しこれをアメリカ側が了承したことで史上初の米ソ首脳会談が開催されることとなったが、これは列強各国に衝撃を与え、公表された翌日の朝刊は各社ともトップ記事であり、社説や解説に相当な紙面を費やしていた。


「合衆国、ソヴィエトと合作か」


「米大統領、乱心か?」


「帝国、米ソによる挟撃の標的とされる」


「満蒙情勢、支那情勢への影響は計り知れず」


「欧州列強の反応は如何に」


 錯乱気味だったのはなにも新聞社だけではなかった。政界にも激震が走り総理大臣もまた情勢について行けずに政権を投げ出すことになったのである。


「米ソの情勢は理解不能・・・・・・資本主義と共産主義が手を結ぶなど手に負えない」


 三土忠造は内閣総辞職し、立憲大政会総裁を辞任する旨を総理官邸で発表し、同時に衆議院解散総選挙を行うことを発表した。以後は選挙管理内閣として選挙結果が出るまでその任に当たると声明を出したのであった。

クリエイター支援サイト Ci-en

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― 新着の感想 ―
[一言] 史実でもソ連時代だった1970年代、現代の2009年にルート修正して再開しましたが10年以上たっても完成してないんだからいくら米帝の力とスターリンの独裁力でも3年じゃまだ完成には程遠いですか…
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