(変態)紳士と(変態)職人に囲まれた(変態)粋人の国
皇紀2595年4月 フランス共和国
ドイツにおいて革命的とも言える装軌車両の開発加速が進んでいる最中、隣国にして宿命のライバルとも評されるフランスはどうかと言えば、史実におけるストレーザ戦線と呼ばれる英仏伊三国の連合が成立することなく、実質孤立化を深めていた。
とは言っても、彼ら自身がそれで困ることは全くなかった。英独の接近、イタリアとの建艦競争は確かにフランスの孤立を意味してはいたが、それは軍事的緊張を生み出すほどのことでもなく、そもそもドイツ側の再軍備宣言はソ連を筆頭とする東側諸国という存在への対処によるモノで大英帝国の後ろ盾があってのことだった。
正直言ってフランスは国外のことに注意を振り向ける余裕はなかった。故に大英帝国がドイツを支援していようが、イタリアが日本と接近して東アフリカに視線を向けていることも許容出来たのだ。
「連中が東方や野蛮人を相手にするというのなら放っておけば良い。ドイツの目がアルザス・ロレーヌに向かないのであれば我らにとって直接の脅威にはならん。同様にイタリアがエチオピアを欲しいというならくれてやれ、ただし表向きは反対であると公表してジブチにでも亡命政権を立てさせてやる。その後は店子としてその家賃をがっぽりいただくがな」
まさに本音と建て前。33年に起きた一大疑獄事件スタヴィスキー事件による政界の混乱は未だに尾を引いて国民の政治不信と政党間の小競り合いと言った問題を片付けられないフランスにとって取り得る最善の手が傍観と建前論の展開だった。
短命が続く各政権で共通の施策は国民支持率の向上という文字通りばらまき政策であった。これは労働者たちに受けは良かったが、反面資本家たちにとっては利益が減少するもので容認出来ず国外への資本流出を招く結果となった。しかし、大規模な公共事業の展開、軍備増強といった政策はフランスの国力を高めるものであり、旧市街を避けたバイパス道路の建設によって交通のボトルネックが解消されるとともに自動車社会への転換を果たすことになる。特に過剰投資によって経営破綻に陥っていたシトロエン社にとってはこれは好機であった。
「過剰な生産力が転じてこれからの自動車社会に適合出来るようになった。政府の道路政策を支持する」
シトロエン社はバイパスに近い風光明媚な地に大規模な分譲戸建て住宅街を開発し、系列の自動車販売店やカー用品店をバイパス沿線に配置、タイヤメーカーで親会社のミシュラン社との協業だけでなく、ミシュランガイドを利用した自動車と衣食住の接近を訴えていく戦略を展開したのである。この方針は大成功し、競合他社もそれにならった形での展開を進めることになる。
だが、インフラへの投資とそれによる自動車化社会の到来はフランスの鉄道へ深刻な問題をもたらす結果となった。
ドル箱路線であるパリ近郊を含んだ大都市近郊区間において乗客の自家用車による通勤へ切り替わり、これに伴って長距離客は兎も角、短距離通勤通学の利用率の悪化が顕著となったのである。国土の南北を貫くパリ・リヨン・地中海鉄道は沿線にパリ、リヨン、マルセイユ、トゥーロンと大都市や軍港などが続く路線を中核とするが、それだけに長距離都市間輸送だけでなく、近郊輸送の割合も多かった。その為、自動車化社会の最大の犠牲者となったのである。
「政府の自動車産業との癒着は目に余る!」
「旧市街が空洞化する原因だ」
「鉄道に死ねというのか、政府は雇用を守ると言うが、これは逆ではないか!」
パリ・リヨン・地中海鉄道は社員たち労働者を利用してインフラ政策を撤回しようと画策し、パリを含む大都市で一大キャンペーンを展開したのである。あくまで労働者たちがデモを行っているという体で・・・・・・。
戦国末期に伊達政宗が葛西大崎一揆を煽動したそれに酷似しているが、事情は一緒であり、失地回復というそれを狙ってのモノだから仕方がない。
だが、これはフランス政界における左翼勢力に格好の材料になった。
「全国の鉄道を国有化して国土の総合的なインフラ整備と交通行政を行うべきだ」
「労働者たちの雇用は守られなければならない。そのためにも国有化は是が非でも」
そうなると黙っていないのが軍部である。国有化出来るなら自分たちも一枚噛んで影響力を得ておきたいと思うのが人情である。
「そういうことなら、軍事輸送を担うのも鉄道の役目、我々にも一枚噛ませて貰おうか」
「先の欧州大戦や普仏戦争で鉄道の役割は大きかったことを忘れて貰っては困る。それを保護し戦時輸送を維持するのは軍部の負うべきところであろう、管轄は我々が・・・・・・」
そうなると縄張り争いである。陸軍省、大蔵省、運輸省がそれぞれ口を出し自分の縄張りに引き込もうと画策し、政界工作が活発化していく。結果的にこれが政界疑獄へと発展し、内閣総辞職、新内閣樹立へと繋がっていくのだが、新内閣において運輸省への帰属とフランス国鉄の創設が決定され、鉄道疑獄は終結を見たのである。
これによって以下の各鉄道がフランス国鉄として合同することとなった。
東部鉄道:パリからナンシー、ストラスブール、ドイツ方面への鉄道を運営
フランス地方鉄道:パリからブルターニュ方面への国有鉄道を運営
パリ・オルレアン・南部鉄道:パリからボルドー方面への鉄道を運営
北部鉄道:パリからカレー、ベルギー方面への鉄道を運営
パリ・リヨン・地中海鉄道:パリから地中海方面への鉄道を運営
元々別々の鉄道会社であったために機材など統一規格がないため当面の間は旧来の組織構造を利用した上で東部、西部、南部、北部、中央鉄道管理局と各社の名称を変更した上で運用を行うこととなったが、旧パリ・リヨン・地中海鉄道である中央鉄道管理局の規格に合わせた上での全国展開を行うことに決定されたのである。
初代国鉄総裁は就任演説においてスピードアップ、定時運行を明言した。明らかにこれは大日本帝国における弾丸列車、列島改造を意識したものであったが、231G形蒸気機関車などは最高時速130kmであり、現代日本でも十分な高速力であるが、古くからスピードに挑戦してきたお国柄、その意気込みは200kmを目指すと演説したところからもうかがい知れるだろう。尤も、有坂総一郎や島安次郎などが帝国議会で列島改造論をぶち上げた頃には将来において最高時速300kmと公言したこと分に比べれば幾分と現実的だったが。
しかし、史実において最高時速150km設計の電気機関車で最高時速330km程度を50年代において達成していることを考えても彼らにその実力が十分に備わっていることを示している。
「誰が速度の挑戦者であるか、開拓者であるか、東洋の黄色い猿に教えてやる」
発足間もないフランス国鉄においてそれが合い言葉となり、そして彼らの挑戦は始まったのである。
始まりは政界疑獄、シトロエン社の経営不振から軍部や省庁を巻き込んでの鉄道国有化、そして速度挑戦とフランスの迷走は続く・・・・・・35年の春のことであった。
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