神獣の名を持つアレ
皇紀2595年3月16日 ドイツ=ヴァイマール共和国
満蒙における戦線の膠着とその戦訓は大日本帝国陸軍の現地部隊へ帯同した列強各国の観戦武官から彼らの本国へともたらされ始めた。
当初は大日本帝国側が観戦武官の帯同とその情報収集を拒んでいたのであるが、各国が報道記者に擬装した武官を戦場付近に送り始めたことに気付くと各国にその活動を把握していること、場合によってはスパイ容疑で拘束するとやんわりと釘を刺したことで政治的妥協の結果、観戦武官の帯同が認められたのである。
妨害されることのない情報収集が出来るようになったことで列強各国は”最新の戦争”を徹底して調査していたが、やがてどの国家も一つの真実に至ると興味を失うことになる。
「欧州の戦場と異なりすぎて役に立たない部分が大きい」
「列車砲の集中運用もやはり制限があり、思っているほどの効果が期待出来ないかも知れない」
「戦線の構築という意味があるのか?」
各国の観戦武官は常識的な欧州での戦争という枠組みから満蒙及び支那での戦争というものが理解出来ない状態であったと言っても良いだろう。
どこまでも広がる平原、砂漠、森林など欧州の戦場には存在せず、また道路や鉄道というインフラすら満足に存在しない満蒙において兵站の点からも期待した以上のものがないことに落胆した。
だが、そんな中でもドイツだけは違っていたのだ。
帝政派、ナチ党、社会民主党といった勢力に分断され政治的に安定性に欠けるドイツではあったが、ドイツ国防軍は事情が異なっている。政治的には不安定ながらも外的要因で早急な再軍備が望まれていたのであった。
英独間の外交交渉の結果、バルト海を抑えるという名目でザイドリッツ級襲撃艦6隻の正式な認可とそれとは別にシュレスヴィヒ・ホルシュタイン級戦艦を置き換えるという名目での戦艦建造を大英帝国によるお墨付きを得たのである。
軍縮条約は実質的に骨抜きになっていたこともあり、建造隻数の制限こそついたがその設計はほぼフリーハンドを得ることになったドイツ国防海軍はこれ幸いと史実におけるビスマルク級をすっ飛ばした格好での公称4万トン級、実質5万トン級戦艦を画策していたのだ。
2万トンを超えるザイドリッツ級襲撃艦は防御力において理想的とは言い難いが、少なくとも砲戦能力、雷撃能力、速力において十分なものではあったが、やはりそれは格下相手にという条件がつく。
それに対して新戦艦はフリーハンドを得たことで満足出来る性能で仕上げることが出来るとドイツ国防海軍は笑みを浮かべていた。そして、机上プランでしかなかった戦艦建造計画はすぐさま実行に移されたのであった。
ブルーム・ウント・フォス社のハンブルク造船所で1番艦が35年1月に起工され、国営ドイチェヴェルケ社のキール造船所で2番艦が同じく1月に起工された。引き続き、3番艦がヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠で、4番艦がホヴァルツヴェルケ社旧フルカン造船所でそれぞれ年内に起工されることが確定していた。
「これら戦艦群は海の上を征く列車砲たらん」
ドイツ首相アドルフ・ヒトラーは帝政派と政治的妥協の末、この建造計画を国会において承認させ建造をスタートさせたのであるが、国防海軍の艦隊派の首領とも言うべきエーリッヒ・レーダー大将は嬉しさと悔しさの混じった微妙な表情で建造命令書を受け取ったのであったが、それでも38年頃にはこの4隻の大戦艦が出揃うことを考えれば海軍戦略に無関心無理解の首相閣下の戯言など聞き流せるものだった。
「我らが大海艦隊が再び出揃う日まで臥薪嘗胆の日々であるが、それもあと3年の辛抱だ。そう、あと3年で我らは世界に冠たる海軍国へ返り咲くのは約束されたのだ」
レーダーは力強く海軍本部において演説を行うと彼のスタッフは同様に士気を高め、その興奮はそのままドイツ国防海軍全体に伝播していくこととなるのだが、それはまた別の話になる故割愛しよう。
いずれにせよ、大艦巨砲主義がこの世の春を謳歌していると言うことは陸軍国にして潜水艦大国であるドイツであっても例外ではないということだ。男の浪漫というものは理屈を超えたものがあり、それに道理を説いたところでつまらぬことを言うなの一言である。
さて、伍長閣下が海の上の列車砲という認識を持ったのは仕方がない部分がある。バルカン戦役でイタリア製の列車砲が最終局面において大きな役割を果たしたと同時に、満州及び支那において列車砲の集中運用というそれが大きく戦局に寄与した事実がドイツ軍部を通じてヒトラーの元へ届いたのだ。
ただでさえ、列車砲大国であるドイツにとって列車砲が戦略兵器としても戦術兵器としても活躍するというのは心躍り、魂が昂ぶるものだった。それはヒトラーだけでなくミスター列車砲、大砲王として名高いグスタフ・クルップもまた同様であった。老境にさしかかり健康状態が徐々に悪化していた彼であったが、満蒙戦線における列車砲の活躍は彼に生きる活力を与え、自社開発による新型列車砲の製作に取り組むことを社内に命じたのである。その赤字覚悟の社運を賭けた大事業に病身など全く関係なかった。
いや、大砲王に取り憑いていた死に神は彼の病的なまでの活力源に恐れをなして退散したと言って良いだろう。
「なにが起こったのか、今もよく分からないんだが、大砲王が列車砲を造ると言った日を境に健康診断の数値が日に日に良くなっていったんだ・・・・・・私は今でもこの数値が信じられない・・・・・・だが、誰が検査をしても同じ結果しか出てこないんだ」
主治医が驚愕し自信を失うのと反比例してクルップの健康状態は改善し続けた。一時寝たきりを心配されていたにも関わらず、益々彼の顔色は良くなる一方であり、それと同時にやる気がみなぎっていった。
「私の人生の中で最高傑作を生み出せそうだ」
高笑いをする彼であったが、それには一定の確信があった。
「列車砲が軌道上から動けいないのであれば、動けるようにすれば良い」
彼の発言にクルップ社の幹部は面食らった表情を浮かべるが、それも暫くのことであった。大砲王が問題点を一つ一つ説明し、同時に方向性を示し、具体的な問題解決を命じたことでクルップ社の幹部だけでなく技術者も一丸となってプロジェクトに突き進むことになった。
「なに、難しいことではない。あそこに転がっている失敗作を活用すれば良いだけのことだ290馬力で足りぬなら400馬力、500馬力出る発動機を積めば良いだけだ」
大砲王の方針提示に技術陣はすぐさま応えたのである。NbFzに積まれているBMW製のBMW-Ⅴa:290馬力をBMW-Ⅵ:400馬力へ換装することで容易に出力アップを図ることが出来ると回答し、また、構想を具体化するために履帯幅を38cmから66cmへ拡張することを提案していた。
また、転輪配置についても別の技術者グループから提案があった。小型転輪を使うと不整地走行性能が確保出来るが、高速移動に不適であるという面から高速移動に適する大型転輪を採用するというものだった。だが、そこには逆に不整地走行性能が悪化するという問題があると反論がなされた。
「では、両方の良いところを得る方法はないか?」
問題点は転輪の間隔であることは明白だった。そこを解消する方法を研究することとなったのだが、その目処がついたのが35年2月末であった。列車砲開発が始まってから1年以上が過ぎていた。その頃にはNbFzは新型戦車開発計画として実用化に問題有りと失敗作であることが明白になっていた。
「会長、我々の研究の結果、小型転輪と大型転輪の良いとこ取りが可能となりました」
「おぉ、そうか。では、一歩前進であるな」
大砲王は報告を受けると大いに満足そうな表情を浮かべると手渡された模型を不整地を模したジオラマで転がしてみたのである。
「我々の研究では、小型転輪、大型転輪ともに二律背反したものであり、両者の特質を得ようとすれば結果として両方失うというものでありました・・・・・・が、これならば特性を維持することに繋がりました。また、幅広の履帯にも適しているため、非常に好都合となったのです」
彼らの持ち込んだ成果が挟み込み転輪・千鳥足転輪というものだった。大型転輪を使用しつつも、一枚組の転輪と二枚組の転輪を交互にはさみ重ね合わせるようにしたことで、問題であった転輪の間隔を狭めることに成功したのである。
これら幅広履帯と挟み込み転輪の採用で接地圧の低減と走行性能の両方を一挙に解決を図ったのであった。その目論見は上手い具合に合致し、大砲王も満足する結果を生み出したのであった。
「大変結構。上物の重量を考えればまだまだ研究を怠ることは出来ん・・・・・・だが、大いに満足出来る結果を諸君らは示してくれた」
大砲王は満足そうに頷くと決裁書類にサインを認める。そこにはこう記されていた。
”ラントクロイツァー・スレイプニール”
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