陸軍の派閥争い
皇紀2595年2月26日 帝都東京
史実における2・26事件まで1年となったこの日であるが、史実のような皇道派の青年将校によるクーデターまがいなそれが起こる素地はない。皇道派も政治的行動をする素振りは一切見せず、あくまで陸軍内における旧来藩閥体制の打破にだけその権力闘争を志向していた。
帝国議会における統帥権干犯問題が結果としては皇道派領袖たちの暴走を食い止めたことになるが、そもそも派閥領袖の荒木貞夫大将にはそんなものに拘るつもりなど全くなかっただけに、自分の与党を形成する永田鉄山、小畑敏四郎らが勝手な行動を控えさえすれば英雄将軍の思想に共鳴する一派閥に過ぎないのだ。
荒木は政敵となるであろうはずの有坂総一郎の元に出向き、機動砲の開発を命じるなど柔軟な姿勢を見せ、試製砲であったがバルカン戦役に投入することでバルカン平定に大きく貢献したこともあり文字通りダークホースとなっている。
統帥権の独立思想にかぶれていない荒木は陸軍大臣に就任すると帝国議会において統帥権について以下を明言していたのだ。
「帝国憲法では建前上、統帥権は天皇に属するが、実際には政府の元で運用されている」
「軍部が好き勝手に戦争を始めるなら、それは統帥権を干犯しているのは軍部そのものだと言えるだろう」
「現下における満蒙での戦でもそうであるが、戦費を供出しているのは帝国政府であり、大蔵省や他の省庁である。これは兵を動かすどころか一発の弾に至るまで政府による指揮下にあるというのに統帥権が独立しているなど寝言と言わざるを得ぬ」
尤も、これは一種の詭弁である。
陸軍は政府予算を得ずともある程度は自分たちで資金を得る手段を有しているからだ。不要兵器の払い下げ、輸出を昭和通商というフロント企業を使って行っているからだ。また、特務機関を使って阿片の密売、武器の密売、外貨偽札流通を行っていることから資金源は別にあるのだ。
だが、正規ルートの予算を通しているものは少なくとも政府のコントロール下にあるというのが陸軍大臣としての荒木の言い分であった。そこは海軍大臣である大角岑生大将とある意味では共同歩調を取っていた部分になる。
ただ、荒木は同時に法の抜け道を用意していた。
「結果として軍は政府の方針に従うことになるが、在外邦人の保護についてはこの限りではない。ことは一刻を争うことがある。その場合、会議が踊る閣議や帝国議会の承認を得る暇などないからだ」
実際、超法規的行動が許されないどこぞの平和国家はひとたび有事になった際には身動きが取れないと言われて久しい。それに比べれば荒木の言い分は軍人としての正しい見解であると言えよう。
荒木は糞真面目に自分の答弁に忠実にあろうとした。それは参謀本部と陸軍省の並立ではなく、陸軍省>参謀本部という図式にしてコントロール下に置こうとしたのである。当初、参謀本部はこれに抵抗を示したが人事権によって参謀本部内に自分の与党を送り込み主要なポストを抑えたことで抵抗を排除して平時の統制は陸軍省の優越、作戦内容の共有を認めさせたのである。
ある意味では東條英機総理大臣兼陸軍大臣が史実で苦悩したそれを条件付きとはいえども達成したことは荒木の大きな成果であっただろう。東條は参謀総長を兼任することで強引に達成したが、それに比べれば遙かに穏当なそれだ。
こういった事情もあり陸軍による暴走のそれは殆ど抑えられていた。しかし、それは皇道派への反発へと繋がっていた。
参謀本部の陸軍省との並立関係を従属関係に変えたことは皇道派に属さない将官たちにとって面白くないことであった。陸軍の主役を自任する彼らにとって屈辱であったし、作戦立案に陸軍省が介入することは迷惑以外の何物でもなかった。
指導者という存在がない状態であったが、反皇道派が成立するのは自然の流れであった。多くの将官がこれに属するとともに陸軍中央の奪還を狙って政治工作を始めていたのだ。その中心にあったのが寺内寿一大将、林銑十郎大将、杉山元中将、梅津美治郎中将などであった。
深刻な対立というそれではないが、皇道派を失脚させるべく策謀が巡らされていた。反皇道派の主要な将官たちはガードの甘い真崎甚三郎大将をスケープゴートにすべく宮中工作に乗り出していた。
史実では既に教育総監から更迭されて陸軍中央から追放されているが、この世界では荒木の盟友側近として参謀次長として未だにその立場から大きな権力を握っている。だが、残念なことに真崎は荒木ほどの人望がなかった。これが彼の命取りになったのだ。
「参謀本部の人心一新を図るべく真崎甚三郎大将の参謀次長職を解く。合わせて各部長職の入れ替えも行う」
参謀本部の人事刷新という形を取って真崎の更迭が行われた。その際に参謀総長である閑院宮載仁親王殿下の意向という形で杉山が航空本部長から転任して参謀次長へ就任した。
杉山が参謀次長となった裏には人事局が反皇道派に寝返った経緯があった。人事権などは人事局にあるが、そこへ真崎の恣意的な介入があり反感を募らせていたのだ。そこを反皇道派の宮中工作などによる圧力をそれとなく伝え、以後の優遇を引き換えに人事発令に繋げたのである。
人事権を握ってしまえば後は簡単であった。理由や左遷先は適当な理由を付けて辞令を出し、陸軍大臣決裁を得ることで公的な手続きをクリアしたのだ。真崎は不満を口にして抵抗を示したが、軍事参議官へ親補されることとなり荒木が決済をした後であったために杉山に引き継ぐことを認めざるを得なかった。
同時に永田を軍務局長、小畑を陸軍大学校校長へとそれぞれ転任させる形で皇道派のホープに待遇の差を付けて仲違いするように仕向けたのだ。これには小畑が永田の陸軍中央居残りに不満を抱くことになり反皇道派の思惑通りにことが進んだのである。
無論、永田は身に覚えがないものであり、小畑の疑念を解消すべく何度も彼の家を訪ねるが、頑なな態度を取る小畑に今度は永田が反発したことで関係悪化が決定的になっていった。これを放置する荒木ではなかったが、小畑から人事の撤回を望まれたことを断ることで小畑は本格的に失望してしまったのだ。
「皇道派が空中分解し始めた」
ほくそ笑む反皇道派の面々であったが、今度は自分たちが共通の敵を失うことで分裂の危機にあることをまだ知らない。彼らは政治的連帯でもなければ思想的連帯でもなく、皇道派という目障りな存在を駆除するという利害の一致しかないのだ。
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