重巡洋艦の建造促進
皇紀2595年 1月1日 大日本帝国情勢
列強各国は新たなる戦争へ向かって突き進んでいた。それは各国指導者が望んだことでも、軍部上層部が望んだことでもなく、結果としてそうなっているに過ぎない。
彼らにとっては日常の業務の一端に過ぎず、新技術や新理論を調達兵器に適用して自国の政策や国家戦略に基づいて開発を進めていたのだけなのだ。だが、それは間違いなく次の戦争に備えるものでしかないのだが、それでも彼らは彼ら自身の求められた役割に従い、今日もまた新兵器の開発、新理論の実践を行う。
航空機の分野では時速500kmのそれが目下の指標であり、それが達成出来たならば時速550km、600kmと要求水準は次第に上がっていくのは技術者にとっても軍部にとっても自然なものだった。
また、大艦巨砲主義の花が咲き乱れる列強海軍にとって、軍縮条約による制限は既に解除され、紳士協定で自粛しているだけであり、誰かが一定水準の戦艦を建造したら追随するという一種の談合破りを望みつつ下準備に勤しんでいる。
大英帝国の始めた超巡規格のそれはアラスカ級戦闘巡洋艦というそれで一定の水準まで達していたが故に各国は制限いっぱいまで超巡規格を整備しつつあるが、その流れを横目に造船施設拡充に集中し、余分な建造を控えていた大日本帝国にとっては満を持しての建造再開の時機到来と言った感がある。
34年も年の瀬が迫った頃に拡張された舞鶴工廠において同時に4隻の重巡洋艦の建造が開始された。帝国海軍は先に建造開始されている最上型を上回る砲戦力を有した機動戦力として、八八艦隊でお蔵入りしてしまった艦名を象徴として採用し高雄型と命名した。また、史実の高雄型を思わせる余裕のある大型艦橋が特徴的であるが、これは司令部機能を充実させることを目的とした結果、そうなたという結果論である。だが、平賀譲造船中将が意図的にデザインしたという部分もまた事実であった。そして、大きな艦橋構造物に戦闘指揮所が導入された。いわゆるCICだ。
艦隊や艦載機、偵察員や電探・水測員からの情報を集約して司令官や艦長への指揮補佐を行うためのそれであるが、この設備は史実においては第三次ソロモン海戦における事例を待つ必要がある。だが、欧州派遣艦隊のバルカン戦役における戦訓で従来艦における従来の指揮能力では不足することが判明し、帝国海軍はいち早くそれを採用したのだった。
特に航空戦を行うに当たって敵情の分析や、地上戦力との連携において従来の指揮系統では明らかに判断の遅れや目標選定の間違いなどが頻発したことは優勢な航空戦力を適切に扱うことも出来ず、また艦上攻撃機の被害増大に繋がったが、このことは海軍部内で大きく問題となり、結果として旗艦設備、司令部機能の充実が望まれたのである。
既存の従来艦ではこういった施設の充実は艦内容量の都合で難しいと判断され、方面艦隊や分艦隊規模で活動する際に旗艦任務を引き受ける重巡洋艦が適当だろうという判断がなされ、建造直前であった高雄型にその第一号艦として設置が決まった結果、元々余裕のある艦橋をいくらか大きくしその容積を確保することでそれが実現したのだ。
だが、戦闘指揮所の設置による犠牲が航空艤装と水雷兵装だった。
元々の計画では水上偵察機3~4機程度の収容する格納庫と整備甲板が設置予定であったが、そのスペースがそのまま戦闘指揮所のそれに宛てられることになったのだ。後部第三砲塔の直前にそのスペースはあるのだが、砲戦時にカタパルト上の搭載機が破損する可能性が浮上してきたことで航空艤装を撤去することが検討されていたのである。
これは三陸沖や日本海での行われていた海軍大演習において、古鷹型巡洋艦に搭載された水上偵察機が主砲斉射によって破損したことで最上型や高雄型に設置される航空艤装に疑念が生じたのだ。これらの事情が重なった結果、高雄型の建造開始は34年の夏頃に予定されていたが、改設計のために年末にずれ込んだのである。また、最上型も高雄型同様に建造中であるが航空艤装の撤去が進められ、戦闘指揮所の設置スペースに充てられることになった。
さて、そんな高雄型であるが、先行する最上型の建造による問題点を建造延期による再設計期間で概ね解消することが出来、帝国海軍の巡洋艦の到達点と言われるそれとなったのである。
当初から50口径31cm砲を採用し、砲身内筒を25.4cm砲仕様にすることで条約破りを行っていた。これは最上型でも同様の手法を取っており、31cm砲用の内筒が呉工廠の倉庫に秘匿され、竣工後に時機を見て換装することを前提としている。
この31cm砲は史実で言うところの試製乙砲であり、その性能はヴィッカース社謹製の14インチ砲を射程以外では上回る性能を持ち、実質的には14インチ砲搭載の巡洋戦艦として機能するのだ。これは先行するアラスカ級戦闘巡洋艦というそれに十分対抗出来る性能であった。
ただし、装甲は14インチ砲へ対応するものにすると4万トン級に達することが予想されたことから12インチ砲に対応出来る程度とされた。また、ユトランド沖海戦やバルカン戦役の戦訓から水平防御には十分な配慮がなされ、500kg爆弾の直撃に耐えられる程度とされている。史実超甲巡には一歩劣るが、それでもアメリカの艦上爆撃機が常用する1000ポンド爆弾には十分に耐えられるものだ。
節約した装甲重量の分は砲戦能力向上に用いることとなった。最上型が連装砲4基8門であったそれを3連装4基12門としたのである。ただ、その代わりに重量増加は避けられず、最上型よりも高温高圧の新型ボイラーを積むことで出力向上に繋げ速力の低下を緩和したが、1ノット程度及ばない速力34ノットと計画されている。実速は32~33ノット程度へ低下すると予測される。過負荷時は36ノット程度が出せるであろうと予想され、実際の運用には差し支えなしと割り切られていた。
第一期建造艦として高雄、愛宕、摩耶、鳥海が、第二期建造艦として富士、三笠、蔵王、大雪が予定されている。第二期建造艦は新設なったばかりの大神工廠での35年度予算で建造が行われることになっている。
また、設計を流用し仕様を変更した妙高型8隻も計画されているが、これらは37年度予算での建造を予定、40年頃就役を見込んでいる。ただし、あくまでも予算上のそれであり、海軍部内では早期建造を望む傾向が強い。
速力は同様の34ノットであり、砲塔1基を減じ3連装3基9門としするもので従来と同様のロ号艦本式缶へと変更している。量産性と工期短縮を狙ったものだが、それでも最上型と比べれば砲戦能力は1門多い分上である。ただし、砲塔が減る分だけ戦闘残存性では劣る。
水雷兵装は戦闘指揮所の設置などの都合上、廃止する方向になった為、砲戦用の巡洋戦艦となったのである。
高雄型重巡洋艦
第一期建造艦:高雄、愛宕、摩耶、鳥海
第二期建造艦:富士、三笠、蔵王、大雪
基準排水量:32000トン
公試排水量:35000トン
全長:240m
全幅:28m
機関:ロ号艦本式大型罐・高温高圧仕様8基
主機:艦本式タービン4基4軸
馬力:18万馬力
速力:34ノット
主砲:六〇口径九二式二五糎砲 3連装4基12門
高角砲:四十口径八九式十二糎七高角砲 連装8基
対空砲:五四口径九四式三七粍機関砲 4連装12基
妙高型重巡洋艦
妙高、那智、足柄、羽黒、伊吹、三瓶、白根、鞍馬
基準排水量:28000トン
公試排水量:31500トン
全長:210m
全幅:28m
機関:ロ号艦本式大型罐8基
主機:艦本式タービン4基4軸
馬力:18万馬力
速力:34ノット
主砲:六〇口径九二式二五糎砲 3連装3基9門
高角砲:四十口径八九式十二糎七高角砲 連装8基
対空砲:五四口径九四式三七粍機関砲 4連装12基
クリエイター支援サイト Ci-en
有坂総一郎支援サイト作りました。
https://ci-en.dlsite.com/creator/10425
ご支援、お願いします。
明日も葵の風が吹く ~大江戸デベロッパー物語~
https://ncode.syosetu.com/n1452hc/
こちらもよろしく。




