海軍航空行政の迷走<1>
皇紀2594年 12月25日 帝都東京 海軍省
意外な話に思われるかも知れないが、帝国海軍の航空戦力整備は一歩後れをとっている部分があった。史上初の空母戦闘団とも言える欧州派遣艦隊をバルカン戦役で運用したにも関わらず新型機開発はそれほど進行していなかったのである。
それというのも海軍予算そのものが製鉄能力、造機能力、造船施設拡充へ重点を置いていたことによるものだったが、大角岑生海軍大臣が航空主兵論者に対して左遷人事による横槍を入れて邪魔をしていたことも大きい。
山本五十六少将が航空本部技術部長になった30年はロンドン軍縮会議が事実上お流れになってしまったことで世界は確実に大艦巨砲主義をひた走っていた。談合破りの日伊海軍協定による既存戦艦と建造枠の交換、またアメリカ合衆国以外の列強による準列強への旧式戦艦の譲渡というそれは航空戦力整備というそれを世界規模で遅れさせるのに十分な理由であった。
31年のオーストリア動乱に始まるバルカン戦役に大日本帝国は積極介入し、欧州派遣艦隊として装甲空母2隻、巡洋戦艦4隻を中心とする打撃艦隊を編制、これとともに陸軍師団を送り込んだのであるが、これは陸軍航空隊が展開出来ない地域に長距離砲、砲兵の代用として艦載機を運用すること、内陸部偵察を行うことがその最初の任務であり、帝国海軍の認識では欧州大戦における青島要塞攻略戦における若宮からのファルマン機などによる攻撃の延長線であったのだ。
だが、多数の航空機を運用可能な航空母艦の展開は当事者の想定以上に効果を発揮したのである。
沿岸部の砲撃において偵察支援だけでなく、敵の司令部や監視哨、物資集積所などを先制攻撃して無力化することに成功するなど本命の艦砲射撃の効果を上げる助けになったのだ。また、魚雷艇などの襲撃に対する哨戒任務にも重宝し、未然に攻撃を防ぐ役割を担うこともしばしばであった。
だが、真にその効果を発揮したのは陸軍師団の強襲上陸が始まって内陸へ戦場が拡大し始めた頃合いだった。
内地から続々と試製機動砲が送られていたが、潤沢な火力支援が出来ると言うほどではなく、市街地におけるゲリラ戦や峠などの要衝における籠城線ではその能力も封じられる。それを支援する様に2隻の航空母艦から総計150機程度の航空戦力が発進する。空母から飛び立った海鷲たちは空中から焼夷弾や榴弾をゲリラの潜む都市や山林などに次々と投下しユーゴスラビア軍、人民解放戦線といった敵対勢力を容赦なく追い詰めていったのである。
これらの成果は多くの教訓を帝国海軍航空隊や英独伊の軍関係者に与えることになったのだが、定数90機の航空母艦を4隻も有する帝国海軍にはそれらを維持することの多大なコストがのしかかることにもなった。
「羽布張りの棺桶に3人も詰め込まれている。海軍は棺桶すらケチっている」
大型爆弾を搭載出来る艦上攻撃機部隊の損耗が激しく、空飛ぶ棺桶扱いだった。焦土空襲の結果、襲来する航空機でも一番足の遅い艦攻が狙われ、地上からの機関銃乱射で搭乗員が戦死、または発動機が故障しての墜落などによって未帰還機は後を絶たなかったのだ。
そうなると機体の補充がどうとかというレベルではない。人的損失の埋め合わせが追いつかなくなってきたのである。それもそのはず、一三式艦攻をマイナーチェンジした九〇式艦攻では結局は史実の九二式艦攻とそれほど違いがなく、200km/hそこそこの最高速度であり腕の良い一部のゲリラ狙撃兵にとっては的でしかなかった。
一三式艦攻の置き換えを狙って配備された八九式艦攻に至ってはイスパノ発動機の不調や故障の頻発、カタログスペックよりも鈍重という救いようのない状況で帝国海軍が絶望したことで九〇式艦攻が開発されるというそれは史実同様の流れであった。
ただし、九〇式艦攻も八九式艦攻に比べてマシという水準で広廠発動機もまた問題を抱えており、欧州派遣艦隊の装備機体はイスパノ社から発動機のオリジナル品を購入して装備し直すという事態にまで発展していた。
こういった事情は海軍当局にとっては頭痛の種でしかなく、海軍上層部には航空機と航空兵という存在は矢鱈とカネの掛かる有人砲弾に映っていたのだ。
「効果は認めるが、出撃すると最低でも1割は減少するなど兵器としてどうなんだ?」
そう言った声が上がるのもまた自然のことで、低性能な航空機しか開発されないそれに見切りを付けるべきだという主張が次第に大勢を占めることになるのであった。
「それを言うならば、魚雷などもっとカネの掛かる代物だろう。一発でいくら掛かると思っているんだ。それに比べれば命中率は格段に上であるし、駆逐艦1隻分の魚雷で航空機2機を買えるのだぞ」
当然の反論である。だが、これには大きな誤りがある。酸素魚雷の価格が概ね4万円程度と言われているが、それに対して零戦が15万円程度であるという。これは史実のある時期のものであるからインフレ率などをさっ引いての話だと思って欲しいが、単純計算で甲型駆逐艦の4連装魚雷発射管×2基の常備16本で零戦が4機買えるのだ。しかし、あくまでそれは兵器単体における計算である。当然、取り扱う人間の経費など計算には入っていない。
そう、問題はそこであった。
「おいおい、君は兵学校や海兵団で促成栽培出来る兵科の連中と航空兵のそれを一緒に考えていないか? 連中は一人一人が気難しい職人や匠みたいなもんなのだぞ? それを育てるのにどれだけ掛かると思っているんだ。そうそう死なれちゃ困るんだよ」
彼ら海軍部内における論争は激しさを増していくのである。
「八八艦隊の断念で多少の人余りを起こしているんだ、航空隊へ適正のある人材を転科させて補充するのはどうだ?」
尤もな意見ではあった。だが、そうなると予科練のそれらなど縦割り行政の乗り越えるべきものがいくつもあった。また、艦艇の量産を前提に造船能力の拡充を進めて来た帝国海軍にとって機関学校など増員も課題であり航空兵の増員ばかりに力を注げない状態であった。
「大臣、あなたは如何にお考えか?」
バルカン戦役後の会議において紛糾を続ける中で、帝国海軍における最大与党を率いる大角に下駄を預けた格好になるが、それらも艦隊派による根回しの結果だった。
「当面、我が海軍の出番はない。今は新型機の研究を続けるしかあるまい。合衆国との間に隙間風が吹き抜けている以上、太平洋の戦局を左右することも十分にあろうし、技術の進歩は日進月歩だ。ここのところの三菱や中島の発動機性能が一段と進歩したと聞く……今は下積みをすべき時であろう」
早計な判断をしないという慎重な言い回しをしたが、その実、航空戦力の整備も行うべしというものだった。
「そう言えば、山本君が国産・全金属・単葉と方向を示していたがその方向で進めるのが良いと思う。だが、くれぐれも無茶を要求することだけはいかん。特に双発機に魚雷を積んで空中魚雷艇みたいな使い方など論外である」
これは海軍略称3MT5と呼ばれる双発艦上攻撃機の開発を暗に示しているものだった。旧型金星を2基搭載した複葉機であり、その開発目的は天城型・加賀型という大型航空母艦の就役に合わせて数トンの爆弾を運べる艦上攻撃機が欲しいと連合艦隊側から要望が出たことに端を発するものだった。
当然、そんなものが簡単に実現出来るはずもなく、開発に手間取る、問題が起こる、回収を行うということをしているうちに実用化などいつまでも出来ないということに気付いていながら始めたことをやめることすら出来ずにずるずると開発を続けているそれのことを大角は利用して航空主兵を主張する山本一派に掣肘するべく引用したのである。
「なんでもあれを陸上攻撃機として運用しようと考えていると聞いたが、陸軍の爆撃機の真似事を我々海軍がやる必要はあるまい? そうであろう、山本君」
眼光鋭く山本を睨み付ける。今は航空本部から離れ、第一航空戦隊司令官として赴任している山本だが、航空本部技術部長として陣頭指揮を執っていたことが彼への厳しい視線に繋がっていた。
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