新型戦闘機開発の顛末<1>
皇紀2594年 11月20日 帝都東京 陸軍省
この日、帝国陸軍においてとある戦闘機開発がスタートした。
キ27とキ28と仮称された試作機開発である。キ27は中島飛行機が指名され、キ28は川崎航空機が指名された。史実で言うところの九七式戦闘機の開発である。
史実においてこれらの試作開発は帝国海軍の九六式艦上戦闘機の登場に刺激されたことで三菱重工業に陸軍機仕様の改造を施して納入を命じたことに始まるのだが、この世界では経緯が違う。
新型戦闘機開発のことを語る前に現時点での陸軍航空隊におけるそれを把握する必要があるだろう。まずは、お聞き願おうか、陸軍航空隊新型機開発に至るまでの一席を。
元々次期戦闘機計画は水面下で協議されていたのだが、格闘戦重視にするか高速性能重視にするか、大枠で言えばここで大きく揉めていたのだ。
32年時点で旧式化著しい九一式戦闘機を代替するべく川崎のキ10と中島のキ11が競作となりキ10が採用され九三式戦闘機として採用されていたが、これは陸軍サイドは勿論メーカーサイドもその場しのぎでしかないことをよく理解していた。
故に複葉機であるが運動性や上昇力で勝り、オーソドックスなキ10を選定していたのだ。だが、これは川崎にとってもある意味では不本意だった。持てる技術力や発想を注ぎ込んだわけでもなく、手堅く設計を纏めることで確実に陸軍の受注を得るためだけのものだったからだ。
逆に中島は低翼単葉、胴体は金属、翼は木金混合骨組み、枕頭鋲で機体表面をなめらかにして空力性能に配慮している先進性があったのだ。また、搭載発動機を史実の寿ではなく、光に変更したことで馬力の向上によって最高速度は400kmから430kmへと増速している。
また、競作に勝ったキ10も採用に際して液冷発動機ハ9ではなく、同様に光へと換装を命じられている。これは液冷発動機という難物を川崎が安定し供給出来るか、そして性能そのものへの疑問符が付いたことによる。だが、これは結果としては正解だった。稼働率の向上と多少ではあるが最高速度が向上し、400kmから420kmまで増速したのだ。これには陸軍当局も満足のいくものであった。
「武人の蛮用に耐える良いものが出来た」
航空本部長である杉山元中将は制式化成った九三式戦闘機を視察すると満足げに頷いたという。
33年に入ると九三式戦闘機の量産が開始され、戦雲たなびく満州方面と北千島方面へ優先的に配備され、警戒配置についていた。配備が行われると地上で行われる定期的な小競り合いと同様に空中でも散発的に小競り合いが発生する。警戒飛行中であった九三式戦闘機へI-15がちょっかいを出してきたのだ。鎧袖一触、性能で遙かに上回る九三式戦闘機の敵ではなく、格闘戦へ引き摺り込み瞬く間に撃ち落としていったのだ。
「我に追いつくポリカルポフなし、満州の空には敵影など見えず」
所沢教導飛行団の指導教官であるエルンスト・ウーデットは調子に乗って装備されている簡易無線機で基地へ向かって放言するが、文字通りの初陣での完勝に地上においても歓声が上がっていたのである。
だが、34年に入ってからは厄介な相手が出来たのだ。
格闘戦に持ち込めばなんとか相手出来る存在ではあるが、逃げ足が速く、I-15の時と同じように戦うことが困難な相手が出て来たのである。
I-16の登場であった。
数はそれほど多くなく、こちらが束になって掛かればなんとか撃退出来るが、一対一ではベテランであっても不覚をとると撃墜されることが多くなってきたことで現場からはI-16へ対抗出来る航空機の配備を強く求められたのだ。
「あいつら格闘戦に応じない。なんと卑怯な奴らだ。逃げ足は速いし、闇討ちなんて武人のやることではない! こっちも同じ速度が出るなら絶対に負けない」
現場からはこういった声が聞こえることもしばしばであっただが、その中でも一人の航空士官が激昂するパイロットたちへ声をかけるとすぐに静かになったのであった。
「まぁ、そういうな。連中だって生き残るのに必死なのだ。戦い方を改めないといけないと言うことなのだろう。なに、技量では我らの方が数段上だ。それは貴官らもよく分かっているだろう?」
若手士官の言葉に一同揃って頷く。彼らの自尊心はそれで満たされた部分が多かった。だが、それはそれ、理屈では分かっても感情は納得しない。
「速度で負けるのなら、俺たちは二人一組、四人一組で戦えば良い。挟み撃ちや助太刀は卑怯なことでも何でもない。それを空中でやるだけだ……。そうだな……新型機などそうそう出来ないのだから工夫して乗り切ろうじゃないか、今後は性能は悪いが無線機で情報共有を積極的に行おう……そうすれば自分で把握していない敵にも味方が知らせてくれることで難を逃れることも出来ようからな」
そう言って穏やかな顔で白い歯を見せ笑うのは加藤建夫中尉だった。
翌日、無線電話の性能向上と新型無線電話受領を希望する電文が陸軍省・参謀本部へと送られたのであった。
「所沢教導飛行団の大金星がそう言うのならなんとかしてやろう」
陸軍中央では繰り返される空中戦によって戦果を上げ続ける加藤隊のそれと加藤隊を見習う別の隊が同様の戦果を上げ始めたことから本腰を入れて対応を始めたのだが、彼らを支えることになるのは神奈川県城ヶ島に引き籠もっている科学者たちであった。
「俺たちの時代が来た。時代は電波技術だ!」
依頼を受けると彼らは研究中であったトランジスタ式のそれを惜しげもなく投入したのである。トランジスタラジオは既に一定性能を得ていたことから無線機にも積み込めば性能向上に繋がると踏んだのだ。無論、軽量化という意味合いもあったのだが。
数ヶ月経ち、新型無線電話が完成され、城ヶ島の技師は現物とともに満州へ送られたのであった。これが活躍するのはまだ先になりそうであるが、現地の航空隊にとっては概ね満足が出来るモノだった。
「以前よりも雑音も減った。感度も良くなった。交信しやすい」
今よりも少しでも改善出来ればそれで戦いやすくなるはずだ。それが彼らの生還率に関わるだけに、彼らは地上で、空中で、それぞれに新型無線電話の練習を欠かさなかった。機械の癖や扱いに慣れることは誰から命令されなくても優先課題と認識していたからだ。
そして迎えた北満侵攻事件。
大興安嶺要塞を抜くかと思われたその局面で投入された護衛のI-15、I-16を伴ったTB-3の編隊を捉えた加藤隊以下の直掩部隊は習熟した無線電話のおかげで有効にロッテ・シュバルム戦法を駆使して全機撃墜という戦果を上げたのである。
これはゲオルギー・ジューコフ元帥失脚に繋がる要因の一つになるが、それを大日本帝国の側はなんら理解していなかった。ただ、侵入した敵を殲滅した一大戦果として本国向けの広報に活用しただけであったのだ。
九三式戦闘機(キ10) 性能諸元
全長:7.55m
全幅:10.02m
全高:3.3m
主翼面積:23.0㎡
全備重量:1650kg
動力:空冷単列9気筒発動機 中島「光」
出力:850馬力
最大速度:420km/h
航続距離:1100km
武装:7.7mm機銃×2
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