大魔王の憂鬱
皇紀2594年 10月15日 アメリカ合衆国
アメリカ国内情勢はニューディル政策により一部の業界が動き出したことでいくらかの回復を見せていることで安定化しつつあるように見えていたが、あくまで効果は史実と同じく限定的だった。
それを資本家たちは感じ取ってはいたが圧倒的なルーズベルト人気の前に口に出すことはなかった。投資家たちもそれを反映するかのように証券市場への投資を手控えているためかニューヨーク株価はほぼ横ばいであった。
この状況に苛立ちを見せるルーズベルト政権であったが表面的には自分たちの政策の成果によって株価が安定化していると炉辺談話を通じて発表していた。この炉辺談話はフランクリン・デラノ・ルーズベルトが自身の言葉で直接国民に語りかけるというスタイルは彼の支持率向上に直結し、また政策の信頼度へと繋がっていたのだ。そのため、一種の大本営発表となっている部分があったのだ。
政権2年目になる34年だが、そろそろ具体的な成果を上げなくては36年に行われる大統領選挙に影響が出てくるため二期目を狙うルーズベルトにとっても重要な時期でもあるのだ。しかし、株価は政権発足時よりも上がったとはいえども大恐慌前に比べれば全く回復した感じを見せない。さらに財政出動を行ったことで財政赤字が増えているが、それを担保するほどの税収に結びついているわけでもなかった。
故に親ルーズベルト派の実業家が離反しかねないことに神経を尖らせていたのである。相変わらず対ソ輸出は増えているがそれ以外の列強諸国向けの輸出は振るわず、属国的な立場にあるはずの中南米諸国も保護貿易によって貿易額は減少する傾向にあった。
アメリカという国家は多くの資源を自給自足出来ることから資源の輸入などに頼ることをしなくても済むが故に経済を自己完結出来るのだが、市場が限られる以上は購買能力も限定される。造りすぎても売る相手がいないのでは企業が利益を得ることは出来ないのだ。
結果、大恐慌以来の生産と購買意欲の萎縮という負のスパイラルを抜け出せていないのである。
特に中西部における公共事業による開発で資金の投入と労働環境の改善は政権の目玉的な政策であるが、それだとて大恐慌による貯蓄志向によって購買マインドへ繋がることなく銀行へと資金が流れるだけであり、市中への資金供給が滞っていることが最新の統計でははっきりと示されていた。
有坂総一郎や有坂結奈など現代社会を経験した転生者・転移者がアメリカ国内情勢を分析したらこういうことだろう。
「失われた30年だな、銀行や企業に資金があるのに市中に出回ってないんだからそりゃあ経済が回るわけないさ。アクセルとブレーキを一緒に踏んでるような馬鹿な真似をしてどうにかなるとでも思うのか?」
「国民揃って宵越しの金は持たぬってのを気分じゃなく、実際にそうなってるんじゃ景気が良くなるわけないだろ、だって今カネがないんだから買いたくても買えないのは当然さ」
「企業だってカネを溜め込むのは潰れないためだ。溜め込むために一番簡単なのは出るカネを絞ることさ。奴隷制度を採用すれば簡単に実現出来ることだよ」
まさにアメリカ国内情勢はそうなっていた。
銀行はカネ余りでも借主が出ないため溜め込むか国債を購入している。企業はリストラという建前で賃金抑制と内部留保の増強を実行し資金が外に出て行くのを渋っていたのだ。そして作っても売れないために事業所を閉鎖し生産力の調整を行い企業規模を適正化していくが、その過程で多くの雇用が失われたのである。結果、五大湖工業地帯を中心に失業率は高止まりとなっているのだ。
これが株価が横ばいになっている理由であり、新事業立ち上げなどの資金流動がなくなっている根源的な問題であったのだ。
だが、新聞などのメディアでは中西部における公共事業による成果が大きく取り上げられることで実態以上にニューディール政策が成功しているかのように錯覚させられていたことからルーズベルト政権の支持率が落ちていないのである。
「合衆国市民の目を逸らさねばならない」
ルーズベルトは新しい統計によって現実を国民に気付かせないために別の餌を用意しないといけないと考えていた。政権浮揚の必要性はないが、一つの真実によって不満が爆発しては自身の地位が危ういからだ。ソヴィエト連邦や支那のように死の危険はないとは言えども、政治的に死ぬことは耐えがたいものである。そう、自身が追いやった前大統領のようになってはならないからだ。




