シーレーン防衛と水中雷撃機への道
皇紀2594年 9月25日 世界情勢
事情を知ってしまえばソ連内部における政治闘争やノウハウの問題であったが、ガングート級戦艦の大西洋渡洋は各国に大きく影響を与えることになるのであった。
日本国内で言えばバルティック艦隊の再来なのかと陸軍を中心にざわつくことになった。逆に海軍は返り討ちにしてやると息巻く始末である。海軍の自信は尤もであり、所詮は欧州大戦前の旧世代戦艦に過ぎず41cm砲に統一されている海軍からすれば赤子の手を捻るよりも容易い相手である。まして、日本海海戦時と違って艦隊の規模がそもそも違う。負ける要素が見当たらないのだから仕方がない。
しかし、陸軍にとっては別であった。
「日露戦争の時みたいに旅順艦隊や浦塩艦隊が神出鬼没に襲ってくるんじゃないか?」
一種のトラウマである。ある意味では海軍よりも現実的な脅威を感じていたのは陸軍の方であると言えた。通商破壊による被害とその可能性は常に満州戦線における補給の途絶という不安を陸軍に与えており、当時よりも遙かに海上交通の重要性が格段に上がっているこの時代において陸軍が感じた脅威は日露戦争当時よりも遙かに大きかったのだ。
その脅威論は陸軍省のみならず参謀本部でも真剣に討議されるに至る。
「連中の真の目的が太平洋への回航であるならばこれは重大な問題だ」
「母港にするのであれば恐らくペトロハブロフスク=カムチャツキーだが、その行動半径を考えると本土近海は再び奴らが跳梁跋扈することになるぞ」
「いや、仮に米ソが接近によってフィリピンに租借地でも造られたらもっと厄介だぞ。こちらから手を出せぬ」
「フィリピンなら九二式重爆の航続距離の中だ。九二式重爆に大量の機雷を積み込んで機雷封鎖というのはどうだ」
「合衆国を敵に回しかねん。それは表だって口に出来ん」
三宅坂の参謀本部では終日議論が尽きることがなかった。彼らにとって今戦っている相手でもある以上、海上戦力とは言っても海軍よりも本気で対応しないといけないと鬼気迫っていたのである。だが、容易に結論が出ることはなく情報収集の継続と海上輸送体制の防衛計画を策定することで会議は散会することとなった。
一方楽観視している海軍関係者の中でも平静を装い無敵海軍を連呼しつつも焦燥感に駆られている人物がいた。大角岑生海軍大臣である。
彼は副官を呼ぶと情報収集を命じるとともに陸軍同様に通商破壊の可能性を検討させるように指示を出していた。だが、表向きはソ連艦隊何するものぞと自信に満ちあふれた姿勢を示している。宮様総長を軍令部に戴くだけに海軍大臣が動揺を見せてはいけないというそれであったが、海軍の弱腰とみられたら今後の建艦計画にも支障が出かねないからだ。
「奴らが動くなど想定外だ……」
誰もいなくなった大臣執務室で彼はこぼす。転生者の誰であってもソ連艦隊がこのタイミングで動くなどと思っていない。そもそも、史実ベースなら海軍という名の海上警備隊が関の山だと知っているからだ。
「少なくともあと3年は動けないと思っていたが……」
大角が描いた戦時プランではソヴィエツキー・ソユーズ級戦艦の登場は早くても42年、それ以外の艦艇が揃い出すのも41年と想定していたのだ。無論、それは36~37年頃に建艦計画がスタートするという前提でのものだ。これはソ連の海軍工廠や造船能力からほぼ間違いないと確信があったからであるが……。
「ソ連海軍がまともに海軍の体をなすのは43年以後と考えていたのだが……これは拙いことになった」
ぶつぶつと思考の沼に嵌まっていた大角を現実に引き戻したのは艦政本部からの電話であった。
「私だ……あぁ、平賀君か……丁度良い、後でここまで来てくれないか」
相手は平賀譲造船中将であった。渡りに船とばかりに大角は彼を呼びつける。流石の大角も軌道修正の必要性が出て来ただけに誰かに相談したかった。だが、気軽に相談など出来ない。転生者や転移者は孤独である。腹の内を明かすことが出来るのも同じ穴の狢以外にはない。尤も同じ穴の狢であっても容易に腹の内を明かすことは難しいのだが……。
いくらか時間が経った頃、ノックの音がすると扉が開く。
「大臣、遅くなりましたな。しかし、困ったことになりましたのぅ」
ちっとも困ったという表情ではない平賀に大角は若干の苛つきを感じるがそれに八つ当たりしても仕方がない。
「平賀君、これでは建艦計画がすべて狂ってしまう……どうしたら良い?」
「どうにもなりませんな。現行の計画はそのままやるがよろしい。それこそ、振り回されて計画を変更しても間に合わないのですからな。ただ、予定よりも多用途艦を増やすべきでしょうな。それでいくらかは対応出来るでしょう」
大角は素直にそれに同意する。通商破壊に対応するには護衛艦艇こそが最も有効な手段であるのは言うまでもないからだ。
「それであれば、艦隊型駆逐艦を建造中止して代替建造すれば良いから予算上もそれほど問題ないだろう。大蔵省も予算効果が上がると頷くだろう」
「あとは哨戒型潜水艦の配備ですな……」
平賀の提案は大角にとって意外だった。
「潜水艦は逆に通商破壊に使うべきではないのか?」
「そうですな、それが効率が良いでしょう。しかし、敵母港近くで潜んで哨戒をしておれば早期発見による抑止が可能となりましょう。また、いずれソ連も潜水艦配備に力を入れるでしょうから、敵潜水艦の退治もやらねばなりません……そうなった場合、哨戒型潜水艦……水中高速潜水艦は大きく戦局を左右する存在になるでしょうな」
「言わんとするところは分かるが……間に合うか?」
「此度のバルティック艦隊にはどう足掻いても間に合うわけがありませんな。しかし、この先5年、10年後を考えるとやる価値はあるでしょう……A標的と71号艦……そして潜高型をお忘れかな?」
「なるほどな」
大角はその瞬間笑みを浮かべる。
「奴の出番……末次を焚付けるとするか……」




