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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2594年(1934年)

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盤上の黒幕論

皇紀2594年(1934年) 9月15日 帝都東京 有坂邸


 運ばれた料理に荒木貞夫大将は舌鼓を打ちながら満足げな表情で酒をあおり続ける。どうやら、彼は有坂総一郎が陸軍省へ連絡を入れてからずっと楽しみにしていたようであり、流石の総一郎もこうも美味そうに食べている荒木の邪魔をする気にはなれず、自分の膳に箸を付けていた。


 一通り味わって満足した荒木はちびちびと手酌で自分のペースで酒を飲み、残りの料理をつつく。総一郎の視点ではどうやら何かタイミングを計っているように見える。


「これから先は独り言になる……貴様は頷くな……」


 荒木がギリギリ聞き取れる声でボソッと呟く。その瞬間、総一郎は表情を引き締めると同時に客間の外を確認する。有坂邸における防諜は比較的高水準であるし、そもそも女中なども日頃ここで行われていることを察しているため不用意に客間や応接間には近づかない。だが、荒木が態々前置きまでしたのだから確認しないわけにはいかない。


 人払いが出来ていることが確認出来た総一郎は荒木に向かって頷く。荒木もそれに応じ、総一郎を手招きする。


「支那情勢は貴様が思っておるほど甘くはない……支那共産政府はソ連と繋がっておるが、奴はスターリンのそれで動いてはいない。武漢を捨てて今は西安に拠点を構えておるが、奴が軍閥勢力の空白地帯である陝西省を根城にしたのはどうも張学良の手引きがあったようだ」


 総一郎は目を見張る。史実でも満州事変後、張が策謀し、蒋介石を西安に呼び出し監禁、その上で国共合作に導いたことを思い出したからである。


「……では……」


 荒木は無言で総一郎を制する。あらかじめ頷くなと言っていたからだ。返答してはいけないのがルールだ。


「張軍閥は北京北洋政府に属しているが、明らかに南京国民政府と通じておる。その証拠に奴の軍は内蒙古が侵攻されても兵を出して追い出すこともせず、北京周辺を他の軍閥の兵が通過することすら妨害しておる……そしてソ連とモンゴルが兵を引いた後、蒙古連合自治政府の勢力圏である内蒙古全域に兵を出し、占領し始めておる……無論、天津に逃げた徳王には天津からの退去も要求しておる。支那共産政府は張軍閥が張家口に13日に進出するとあっさりと引き渡してしまったが、国境のエレンホトと大同を結ぶ線で東西分割する腹のようだ。11日に大同を抑えた張軍閥が13日に支那共産政府に引き渡したことでそれは明らかだろう」


 元々、山西省は閻錫山率いる山西軍閥の勢力圏だ。北京周辺を抑えている張軍閥に次いで北京北洋政府では第二の勢力を誇る。山東省に拠点を置く山東軍閥の馮玉祥と連携することで実質的な北京北洋政府の屋台骨であった。実際、旧直隷派の多くの文官などが山東・山西両軍閥へ合流していることから行政能力があると欧州列強には見なされている。


 その山西軍閥のお膝元であり、資金源である石炭産業の要である大同もまた侵攻してきたソ連・モンゴル連合軍によって略奪されていたが、兵力を温存していた張軍閥によってソ連軍が撤退後に解放されていたのだ。


「大同は石炭供給地で有り、欧州列強もここに資金投下して莫大な利益を得ておったが、これで水の泡となった。代わりに支那共産政府は運び出す能力があるかは別としても石炭を得た。貴様もよく知っておる通り、石炭は鉄と並んで国家を養う大切な資源だ。そして鉄鉱石から鉄を鋼鉄を作るのに必須のものだ……山西軍閥が北京北洋政府で力を持っているのは鉄が作れるからだ……だが、その一大産地が落ちたことは北支における力関係を大きく変えてしまう」


 荒木の表情は重いものだった。北支の安定こそが満州の安定確保に影響することを陸軍大臣としてよく理解しているだけにこの現状は非常に危険であることを憂慮しているのだろう。


「これはあくまで仮定の話だ。陸軍内でもこの考えに至っておるのはそう多くはおらぬ。そうだな、参謀本部の永田や小畑くらいなものか……とは言っても、儂の気付きをそやつらに話して可能性を検証した程度のことであるがな……」


 そう言うと半分笑ったようにも見える困った表情を見せた。


「儂らが相手をしておるのは張学良でも毛沢東でも蒋介石でもない、スターリンやジューコフですらないかもしれん……」


 荒木の言葉に総一郎は明らかに困惑の表情を浮かべる。


 荒木の独り言の途中から支那大陸の地図が卓上には置かれている。そこにはいくつかの駒が置かれ、情勢を可視化している。いわば即席の参謀本部といった風味だ。有坂邸謀議ではよく使われるが、荒木相手には今回が初めてである。しかし、その盤上の駒が自分たちの相手ではないと荒木は言う。


 荒木は駒をいくつか取り、それを上海とフィリピンに置く。白い駒だ。また、日本本土と台湾、朝鮮、満州にも置く。これには青い駒を。さらに仏印、香港にも駒を置く。これには薄い青の駒。それから支那各勢力の駒の色をそれぞれ薄い赤と薄い青、黄に変える。そして最後に赤い駒をソ連とモンゴルへ置く。


「さて、これで盤上の駒は増えたな? 見るべき視点は広げなければならん」


 それぞれの配色は政治的連携の具合を示していることはすぐにわかった。


「南京、武漢、西安、北京をそれぞれ黄色とすると、ほれ、薄い青が囲まれおった」


 山西軍閥の太原、鄭州、石家荘、山東軍閥の青島、済南は薄い青だが、確かに囲まれている。


「儂らは北京は薄い青、武漢と西安が薄い赤だと思っておるが、これが黄色であれば、話は違う。これらは儂ら日欧への楔であり、ソ連へのそれでもある」


 荒木の理屈で言えば、奉天-天津の幹線鉄道という首の皮一枚で北京北洋政府はなんとか生きながらえていることになる。しかも、満州からの栄養は張軍閥という名の癌を育てていることになる。


「貴様もここまで語れば分かるだろう……そして盤上にその黒幕がいることに……」

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― 新着の感想 ―
[一言] 史実だとかなり賛否ある人ですが本作の荒木貞夫は英雄で清濁併せ呑むなかなかの切れ者に描かれてますね。
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