荒木の要望
皇紀2594年 9月15日 帝都東京 有坂邸
アルテミス・フォン・バイエルラインが有坂本邸の洋館に閉じ込められていた頃、本館である日本家屋では荒木貞夫大将が居座っていた。
「それで閣下、本日は……」
有坂総一郎と荒木は政敵同士の関係であるが、どうも荒木はその意識が低いらしく、陸軍御用の政商に一人という認識のようである。
「有坂よ、そう急くでない。ほれ、アレ……」
荒木はそういうと土産用の大吟醸と今から呑むためのそれを逆に急かしてくる。
「用意をしておりますから、それで……」
「まずは酒じゃ、舌が乾いたままではな?」
総一郎は意図するところを理解する。だが、流石に酒だけ出すわけにはいかない。料理も一緒に出さねば健康にも悪い。
そもそも、荒木の来訪は19時頃と想定していたこともあり、それに合わせて料理を作らせているためだが、荒木は自分の言葉通り退庁後すぐにやってきたものだから、用意が出来ていないかった。
「閣下、まだ料理が出来ておりませんから、流石に控えて下さい」
用意が出来るまでの間、酔っていなくても話せる話題をいくつか行うことになった。荒木は陸軍大臣就任以後、宇垣一成陸軍大臣時代と同様に軍縮方針を堅持、代わりに軍の近代化を図っていた。師団数の維持によって人件費を徹底して増やさない方針をとっていたが、逆に機動砲の積極採用、自動車増強による馬匹の漸減、量産化による製造コスト低減などを示していたのだ。
これらによって宇垣-荒木軍縮という名の軍制改革が進められたことで、世界有数の優勢火力ドクトリンを掲げる陸軍となったのだ。
これは後に諸兵科連合ドクトリンへとつながっていくのだが、現在は騎兵連隊の捜索連隊への改編中であり、また九四式軽戦車の採用による戦車連隊の再編という動きが始まったことで弾みがついていく形となりそうである。
「九四式軽戦車の生産を前倒して推し進めねばならんが、つい先日までの諸兵科対立が此度の北満侵攻事件で一気に霧散したことでその障害がなくなった。大阪工廠、相模工廠、三菱重工業だけでなく、貴様の有坂重工業においても生産体制を早く築いてもらわねばならん。機動砲化を進めたことで八九式軽戦車などが役立たずになったからのぅ」
「確かに閣下の推し進めた機動砲のおかげで我が帝国陸軍は圧倒的に火力優勢で戦況は優位に立てている部分がありますが、これは攻勢時においては必ずしも寄与しているとは言いがたい状態ですね」
「うむ。そこでだ、貴様には機動砲の次に自走砲の開発を依頼したい。これは技本でも話が出ておるが、技本は中戦車開発に取り掛かっておるからそんな余裕はない。よって、貴様が頼りだ」
荒木は饅頭を頬張りながらそう告げる。
「自走砲と言われましても、はいそうですかというわけにはいきますまい。我が社も九四式軽戦車の量産をお命じになりましたし、生産能力はすぐに向上するものでもありません。まして、我らは設計能力などありませんよ」
「だが、研究はしておるだろう? 儂の目は節穴ではないぞ。技本に技師を派遣して学ばせておるではないか。なにもすぐに使えるものを出せと言っておるわけではない。3年後に使えそうなものが仕上がっておれば良い。そのくらいの期間があれば十分であろう?」
「なかなか難しいところを突いてきますね。出来ないことはないが、一概に出来るとも言い難い微妙なところを……」
「出来ぬとは言わせぬ。貴様の場合、先回りしたかのような都合が良いものを用意しておるからのぅ。腹の内にはあるのだろう?」
荒木は値踏みするかのような表情でそう言うが、総一郎も是とも非とも言い難い。転生・転移している人間には知識があるからこそ、前提条件をクリア出来れば可能性があることを知っている。
実際、荒木の言うところの自走砲ではないが、現行のものを使ってそれに準じるものはでっち上げることが可能だ。ただし、いくつかの条件を満たしていないことから頷けなかった。無論、条件を満たしていても頷くことは難しいが。
総一郎が返答に窮していると女中が料理を運び込んできた。途端に荒木の表情は緩み、目の前に並ぶ料理や大吟醸に満足げな表情を浮かべていた。
「さぁ、閣下、お待たせ致しました。存分にどうぞ」
矛先が料理と酒に移ったことで返答せずに済んだことにほっとする総一郎であった。




