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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2594年(1934年)

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立ち上がる人民

皇紀2594年(1934年) 9月11日 北京北洋政府領 内蒙古


 大興安嶺南部の西麓は内蒙古と言われ、シリンホトを境に北東部は草原、南西部はいわゆる砂漠とその地勢がガラッと変わる。


 いわゆる砂漠という表現が適切であるかどうかは地理学上でも議論があるが、内蒙古は概ねゴビ砂漠という地域になっている。地域とここで表現したのには理由がある。


 一般的に砂漠という存在は砂砂漠や岩石砂漠がその殆どであり、日本人のイメージする砂漠はサハラ砂漠などに代表される砂砂漠である。尤も、そのサハラ砂漠であっても大半を占めるのは岩石砂漠であるのだが。


 しかし、このゴビ砂漠とはそれらの概念も含んだ上での厄介な代物で、乾燥した荒涼な大地も含むのだ。要は草木の生えない更地が広がっているところもあると言うことなのだ。


 そして大興安嶺南部の西麓の場合、草原地域と乾燥して荒涼とした大地が広がっているのである。さらに西に進んでシルクロードに接する地域にいけば一般的な砂漠の概念に近いソレが広がっているのである。よって、ゴビ砂漠の戦場は地域を明確化しなければ誤ったイメージや認識を持たせることになってしまうため非常に厄介な地勢なのである。


 さて、そのゴビ砂漠地域の東端に位置するシリンホトは遊牧民たちが集まり活発な商取引を行う都市の一つであり、その中でも最大規模であった。


 満州事変以後、大日本帝国は満州(長城線・大興安嶺以東)と境界を接する北京北洋政府領内に傀儡地域政権を次々と樹立していた。内蒙古には徳王率いる蒙古連合自治政府、山海関・唐山を中心とする地域の冀東防共自治政府がそれである。


 蒙古連合自治政府は内蒙古に存在したいくつかの軍閥や王侯勢力を統合したものであり、その中でも最大権威であったチンギス・ハンから数えて30代目に当たる徳王を盟主として構成されていた。これは歴史的背景という論理から正統性を担保しつつ対日協力的な彼を利用することで外蒙古地域のソ連から分離を目指すものであった。


 徳王自身もモンゴルの王侯である自身の出自と支那国家への服属状態からの脱却という観点から大日本帝国への接近を図り、満州事変の際にはむしろ積極的に熱河地方やチャハル地方への関東軍の進出を支援し、その関東軍の武力を背景にライバルを吸収していったのだ。この結果、徳王は内蒙古の支配者として君臨することとなり、南西はオルドス、東は張家口・大同、北は大興安嶺西麓に至る広大な地域を実効支配するに至っていた。


 だが、その徳王は今、各国の租借地が存在する天津へと政府機能を移転させていた。理由は北満侵攻事件によってモンゴル人民共和国軍がソ連極東赤軍とともに内蒙古へなだれ込んできたからだ。


 彼の軍隊は騎兵隊を中心とする実質的には民兵や私設軍隊でしかなく、国家による常備軍ではない。これによって彼の近衛部隊以外の寄せ集めの軍隊はソ連赤軍の南下を知ると一目散にその所領へ逃げ帰り、また、馬賊へとクラスチェンジして先日まで治めていた領内の村や遊牧民の宿営地を襲う始末であった。


 チンギス・ハン30代目という誇りにかけて徳王とその直属軍は首都である張家口で迎え撃ったが、衆寡敵せず蹴散らされてしまい列強に泣きつくこととなったのだ。


 九二式重爆の奉天への進出が行われるとソ連極東赤軍の総司令官であるゲオルギー・ジューコフ将軍は奉天から1000km圏内への空襲を懸念、撤退を指示したが、その直後にジューコフの懸念は的中し、張家口へ空襲が実施された。これによって撤退前に略奪にいそしんでいたモンゴル赤軍とソ連赤軍教導部隊が空襲の餌食となったのであった。


 張家口空襲では焼夷弾と榴弾によって市街地の殆どは灰燼と帰したが、民間人の被害は少なかった。これは徳王が迎撃した際に難民となり住民が逃げてしまっていたからである。


 空襲によって赤色連合軍は残存部隊をまとめると略奪品を放棄して撤退を開始したが、そこに馬賊と化した元蒙古連合自治政府軍の一団が襲いかかるということが起こる。これには必死になって抵抗し結果としては痛み分けとなったが、赤色連合軍は苦しい撤退線を続け国境を越えたのであった。


 この被害には流石のジューコフも粛清によって引き締めるしかなかった。撤退命令を無視して略奪に時間を掛けたこと、戦力に劣る騎兵主体の馬賊によってさらに戦力を消耗したことはジューコフを激怒させるには十分であったのだ。


 しかし、これは意外にも内蒙古の住民にソ連や赤化モンゴルへの敵意だけでなく対日不信という結果をも生み出したのである。


 張家口はモンゴル民族と漢民族が混在する町であり、また、内蒙古と華北の結節点でもあるだけに経済都市でもあるのだ。そこにおいて略奪するロクデナシと容赦なく焼け野原にする存在は等しく敵と認識されたのだ。また、徳王やその政府が天津に移転したことも張家口の住民にとっては不信感を抱くこととなったのだ。


 難民となって張家口を離れた住民が戻り始めて被害の大きさに怒りに震えているところにある男が町の中心部に食品を並べ人を集め出したのである。


「同志たちよ、まずは腹を満たしてから私の言葉に耳を傾けて欲しい……この惨状に私は心を痛めているが、これを引き起こしたのは同志諸君がよく知っている。梨の実の味が知りたいのなら、自分の手でもぎ取って食べてみなければならない。本物の知識というものはすべて、直接体験する中で生ずるものだ……そして同志はそれを今体験している」


 何を言っているのかと人々が視線を向けるとその男はさらに続ける。


「知識を得たいならば、現実を変革する実践に参加しなければならない。革命とは暴力である。一つの階級が他の階級をうち倒す、激烈な行動なのである。今、同志諸君を苦しめた存在はこれからも変革なくば同志諸君を苦しめ続けるだろう。今こそ闘争を行うべきだ」


 聴衆の後ろ方から気勢が上がる。それによって徐々に熱気が狂気へと変わっていく。


「奴らを倒せ、追い出せ、人民の敵を叩き潰せ!」


 やたら額の広く恰幅の良い男は聴衆の熱狂に満足すると紅旗を掲げた。


「自ら働けば、生活には不自由しない。人々に奉仕する。一に貧窮、二に空白。歴史は人民が作るものだ。本当の金城鉄壁とは何か。それは大衆である。男女平等。打って一丸となる。党が軍を指導する。大衆から浮き上がる。大衆の中から出て、大衆の中へ入る。中国共産党万歳」


「共産党万歳!」


 熱狂が集団を支配した瞬間であった。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 赤いドラえもん? そう言えば、頼みの綱が居なかった様な。
[一言] はい、内モンゴルで毛沢東がアップを始めました。これは中国内戦がよりカオスになるのでは…
2021/06/11 09:09 退会済み
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