東條の謀略
皇紀2594年 9月9日 満州総督府領 関東州 大連
北満侵攻事件以来、満州及び北支方面はピリピリした空気が漂い、開放感あふれる大陸の玄関口である港町もまた例外ではなくどこか落ち着かない。市中を歩く住民もまた戦渦に巻き込まれるのではないかと怯えた様子である。
住民が怯えているのは仕方がない部分があった。市内の至る所に関東州警察や関東憲兵隊の警官・憲兵が配置され、分隊単位での巡回が定期的に行われているからだ。関東憲兵隊の司令部庁舎として看板を掛け替えた旧関東庁庁舎から陸軍制式である九三式軽装甲車の憲兵隊仕様車両が数台車列をなして走り去っていく。慌ただしく何事かが起きている証拠だった。
関東憲兵隊の主はこの春に赴任したばかりの東條英機中将。東條は自身が陸軍中央から遠ざけられた形で満州に送られたことをよく理解していたが、憲兵隊の指揮というのは個人的には性に合っていた部分があるのか、滅多にない現場勤務に心新たに転勤してきたのだが、転勤早々に北満侵攻事件が発生し、彼の執務机の上には各方面からの報告や依頼が山積みになっていたのだ。
「折角の現場勤務だというのに、これでは帝都におったときと変わらぬではないか」
書類仕事は元来嫌ではない東條であるが、こうも次々と報告が送られ、まして各地で頻発する野盗や赤化ゲリラによる被害の増大には頭を抱えていた。
元々、東條に関東憲兵隊勤務が命じられた背景には皇道派による左遷人事という意図もあったが、関東大震災、それに続く赤狩りという功績からソ連赤軍やコミンテルンが背後にあると思われるゲリラへの対処が望まれたからであった。
徹底的に押さえ込むことに成功した内地と違い、流石に外地である満州の地では流石の東條も手を焼くことになったのだが、しかし、確実に着任後数ヶ月で成果を積み上げていったのである。
これには関東軍の総参謀副長である岡村寧次少将の協力が大きくあった。東條は陸軍中央では技術本部や憲兵隊、陸軍士官学校、陸軍大学校などに影響力を有していたが、逆に言えば派閥となり得る存在は陸軍省本体や参謀本部には少なかった。だが、岡村はバーデンバーデンの密約の一件以来、東條のことをかばい、また融通することで彼を助けていたのだ。
岡村によって関東軍の実情や内情を教えられた東條はまずは軍将校の赤化を疑い、持ち物検査を抜き打ちで行い、疑わしい将校だけでなく無作為に数名を憲兵隊へ検挙連行したのである。無論、無作為で選ばれたものは簡単な事情聴取を行い慰労の上で解放されたが、本命であった疑念付将校は長時間拘束や家族の拘留によって徹底した捜査を行ったのである。
結果、同時期に抑えた将校の相当数が大なり小なり赤化思想を有していることが判明し、赤化進度によってその処罰を与えた。多少感化された程度の赤化具合であれば重営倉・営倉送りで済む者が多かったが、レーニン語録だのスターリン語録だのナントカテーゼだのと持っていた赤化具合が酷い水準の者は流石に営倉送りなどで済ませるわけにはいかず、警察に引き渡し治安維持法違反で刑務所送りとなった。また、一部の重度赤化と見なされた者は軍法会議に基づく銃殺刑となった。
軍内部の大掃除が終わったタイミングで北満侵攻事件が発生したことに東條はゲオルギー・ジューコフが関東軍の内情を相当に入手していると判断し、また、関東軍総司令部もこれを重く見た。だが、東條は敢えて一部の重度赤化将校を司令部に残し泳がし、岡村もそれを承知して監視を付けていたが、これによって重度赤化将校は関東軍の機密情報を中継スパイへ引き渡し情報流出のルートを東條たちに教えてしまったのである。
総参謀長である西尾寿造中将は筒抜けになった情報を逆手にとった陽動作戦を別に用意し、熱河地方において包囲殲滅を計画していたが、この包囲殲滅戦において東條率いる関東憲兵隊は熱河地方のゲリラの掃滅を依頼されていた。
「どうしても比較的安全な地域から憲兵隊を引き抜いて展開させねばならん……各地の情報から潜伏しているゲリラの居場所は概ね把握しているが、そのすべてを殲滅するのは容易ではない……」
これが東條を悩ませ多忙にさせていたのだ。
「一計を案じるにしても時間がなさ過ぎる……さて、どうしたものか……」
考えがまとまらず頭を捻っていた東條の禿げ頭を海からの少し生ぬるい風が撫でていった。その時、何かを思いついた様に執務室の窓まで歩いて行く。
「そうか、あれだ」
彼の視線の先にあったのは大連港に陸揚げされたばかりの九四式軽戦車が満鉄の臨時貨物列車に載せられて満鉄埠頭線の操車場から満鉄連京本線へ向かって移動していた。
「今朝届いたばかりのイタリア向け第二陣があれだな……よし、満鉄とイタリア総領事館に掛け合ってアレを利用しよう」
東條はゲリラ殲滅の一計を思いつくと副官を呼び出し外出の用意をするとすぐさま満鉄本社へ向かった。




