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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2594年(1934年)

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大魔王の真意

皇紀2594年(1934年) 9月9日 アメリカ合衆国


 30年代前半、4発重爆撃機を実用化したのは日独ソの3ヶ国のみであった。大日本帝国が三菱/九二式重爆、ドイツ=ワイマール共和国がユンカース/G.38、ソヴィエト連邦がツポレフ/TB-3である。いずれも30~32年に実用化され、高価故に少数ではあるが量産が始まっている。


 無論、この状況を英米が放置するわけがなく、大英帝国はハンドレページ/ヘイフォードを開発し整備していた。ヘイフォードは双発複葉機で一部金属製という旧態依然としたものであるが、使い古された技術は確かであり、新機軸を投入した双発単葉機であるフェアリー/ヘンドンに比べ各性能で上回り王立空軍(RAF)の主力爆撃機として君臨していた。


 しかし、これではドイツのG.38に対抗出来る性能でもなく、早急に代替しうる機体を望んでいたが、彼らもまた巨人機の製造能力がなく日本が九二式重爆を採用した32年時点でやっと開発計画が持ち上がったのである。


 だが、まとまった開発計画は角張った胴体を持つ双発機で、胴体、翼等の主要部分はヴィッカース社独特の大圏構造であった。これは金属製の細い素材を籠状に編み、その上から羽布を張った構造であった。一見すると旧式な構造であるが、頑丈かつ軽量で多少の敵からの攻撃でも大きな破壊から免れることが出来る利点を有していた。しかし、高空での行動や生産性が悪いという問題を抱えていた。史実通りに進んでいたが、日英の技術提携(中島・ブリストル合弁)という利点から当初から比較的高馬力発動機を積むことに成功していた。


 史実では36年に初飛行し採用されるこのヴィッカース/ウェリントンだったが、発動機の開発が進んでいたこともあり34年の初め頃には初飛行に成功し、拡大試作と同時に量産が実質的に始まっていた。こうして大英帝国は4発重爆ではないが、対抗出来得る機体を手に入れた。また、双発軽爆として高速旅客機であるブリストル142を改修する計画も進んでいた。このブリストル/ブレニムも34年中には採用の目処がついていた。


 では、アメリカ合衆国はどうであったのか? 結論から言えば、開発は同じく32年頃から進んでいた。しかし、問題はアメリカ航空産業そのものがやはりまだ成長していないと言うことであった。


 32年から計画がスタートしたXB-10の開発も順調とは言えず全金属製、最高速度300km台というそれを実現するため悪戦苦闘してやっと形になったのが33年のことであった。採用の目処が立つと量産試作に移行したが、別枠で進んでいた爆撃機計画と性能が被ることもあって採用に待ったが掛かったのである。


 そう、XB-15である。


 33年にスタートしたXB-15は航続距離8000km、最高速度350km、爆弾5トン以上を目指すものであった。仮にこれが実用化した場合、XB-10の性能を遙かに凌駕するものであり、陸軍航空当局が本命視してXB-10に待ったをかけたのは頷けるものだ。


 だが、G.38や九二式重爆と同様に主翼を歩き回れ、発動機の整備が出来るというものであったが、あまりにも意欲的過ぎた要求が問題を引き起こすのは目に見えており、最高速度も航続距離も達成は困難であった。しかし、同様に意欲的に取り組んだ新機軸である自動操縦や補助動力などは一定の成果を上げており、今後開発される機体には標準装備される運びとなった。


 だが、最大の問題は性能を支えるべき発動機性能が追いついていないと言うことであった。全備重量で35トン以上にも及ぶそれであるにも関わらず、積まれた発動機はP&W製R-1830(ツインワスプ)系発動機14気筒850馬力4基であったのだ。


 同じR-1830(ツインワスプ)でも1250馬力を発揮する後期タイプであれば時速400km程度を発揮出来た可能性はあるが、R-1830(ツインワスプ)が開発されたばかりの時期であることから明らかにそもそもの計画に無理があったと言わざるを得ない。


 しかし、この世界では事情が多少変わってくる。XB-15の能力を航続距離3000km、時速350km、爆弾3トンと見直したことで無難な性能となったのだ。それでも全備重量32~33トン程度にはなるが2トン以上の重量削減を行ったことで最高速度が改善したのである。


 この結果、実用範囲内に達したと判断され、35年中の量産開始という方針が打ち出されたのである。


「航続距離3000kmは絶対だ。必要ならば爆弾を減らして増槽を設置して3500~4000kmは望みたい」


 ルーズベルトは前政権で国務長官を務めていたヘンリー・スチムソン陸軍長官へ厳命していたのである。対日・対欧強硬派であったスチムソンを起用したことは国際的に孤立しつつあったアメリカ合衆国が軍事力に頼ることになった場合の実務者として適任であると政権発足時から任用していたのだ。


「閣下、それでは爆弾がそれほど積めません」


「構わない。長官、マニラから半径2000kmの円にどこが入るかね?」


「概ね、北から上海、沖縄、台湾、香港、ハノイ、サイゴン、シンガポールがすっぽりと入りますね」


「では、上海からだとどうだね?」


「東は東京まで入りますね……」


「もう分かったと思うが、そういうことだ。分かったのであれば、私の意図を実現すべく発破をかけてきたまえ」


 スチムソンは目の前にいる男は戦争を望んでいるとはっきりと自覚した。自覚させられた瞬間であった。海軍拡張を指示しつつ、同時に長距離爆撃機の整備を要求するそれは明確に対日戦争を意識したものであり、同時にその原動力が支那(ラスト・フロンティア)にあることは明白であった。


「ラスト・フロンティアは私の……いや、我ら(合衆国)のものである。辻斬りや強盗や似非紳士などに盗られてたまるか」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 大魔王が目覚めたね。 さあ、これからどうなるんだろう。
[一言] 米英の4発重爆開発が加速しましたか……。 全航空機の製造数「だけ」を見れば史実より減るでしょうが、戦闘機による迎撃はより困難になるでしょうね。 空襲や機雷の被害がおぞましい事になりそうで…
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