ルーズベルトの仕掛けた罠
皇紀2594年 9月9日 アメリカ合衆国
ニューヨークタイムズなど反日的な論調による日ソの対立報道が過激さを増すアメリカ合衆国であるが、意外なことに市民生活の面ではいくら反日的な報道が増えようとそれほどの違いを見ることはなかった。
日系移民に対する迫害は排日移民法の制定前後から顕著であり、特に西海岸におけるそれは悪化の傾向が続いていたが、だからと言って極端な反日に国民感情が流れていたわけではないのだ。市民生活において反日的になるとしたら勤勉で低賃金でも文句を言わずに仕事を引き受ける日系移民が米国市民の雇用を奪うときだけだったのだ。
排日移民法によって日系移民が減ってしまったことで彼らの不満のはけ口は日系移民から中南米系や黒人へ向けられることとなり目立ったデメリットはなかったのだ。逆に日系移民が出て行ったことで代わりに流入した支那系、朝鮮系移民が受け皿となったのであるが、彼らによって引き起こされる各種問題に頭を抱えることになるのであった。彼らはアメリカという国家や流儀に従うことなく、自分たちの文化や習俗を持ち込み、周囲との対立を引き起こしたのである。
「まるで寄生虫の如きそれは我が合衆国に相応しくない」
共和党の穏健派議員などを中心とした勢力は現況を憂い、アジア系移民排除法を提案したが、華僑やチャイナロビーの切り崩し工作とルーズベルト政権自体が冷淡な対応をしたことで成立に至ることはなかった。
「我が国は自由の国である。移民といえども合衆国の一員でありその自由を抑圧すべきではない」
大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトはラジオ放送で移民排除について国民に語りかける形で訴え、共和党などの主張を封じる手に出たのである。彼はこの炉辺談話という名のプロパガンダ放送を行い、国民世論をコントロールしていた。
文字通り、ホワイトハウスの暖炉端で安楽椅子に腰掛けながら記者の質問に応答し、また自身の政策に対しての説明や方向性を解説するというもので、官僚やスポークスマンが発表するというものではなく、大統領が直接国民と対話するという姿勢を示すことで人気を得ていたのだ。
「彼らは寄る辺を失い合衆国にたどり着いた殉教者の様なものであり、彼らを保護し、身内として扱うのは合衆国の建国の理念に合致する。そして、彼らが合衆国にすがるのは元凶があるからだ。悲しいかな我らが隣人である欧州世界は擬装された国際協調の名の下に悪行に加担している。その悪行こそ支那分割論であり、それを主催するのは大日本帝国であり、彼らこそが諸悪の根源である」
ルーズベルトはまくしたてると一息つき続ける。
「だが、帝国主義の時代であればそれも一つの論理であるから悪行だとまでは言えないだろう。しかし、私はウッドロー・ウィルソン大統領の唱えた民族自決の論理こそ新しい時代に相応しいと考えている。これは合衆国の建国理念ととても親和性のあるものだ。合衆国市民にとっても馴染み深いだろう」
記者は確かにそうだと頷くとルーズベルトに続きを促す。
「今、ソヴィエト連邦軍が南下したことで日本と権益を持つ欧州各国の間に軋轢が生まれ、戦火は拡大しているが、私は一つの提案をしたいと思う。どうだろう、日本帝国とソヴィエト連邦はそれぞれ、現在占領している満州を含む支那領域から撤退し、国際連盟にも加盟していない中立的な立場である我が合衆国が停戦監視と行政管理を行い、しかるべき時期に民族自決の論理に従い、満州人、モンゴル人による国家樹立を目指す」
記者はルーズベルトに追従し大いに頷き賛意を示すし、合衆国市民に向けて同意を促した。
「日ソ双方は撤退することで不利益を被ることになるだろうが、これは新時代への必要なコストであり、それを対価に支払うことで新時代における責任ある立場や指導的立場を築くことが出来ると私は信じている」
ルーズベルトが締めくくると陽気な楽曲が流れ放送は終了する。あとは翌朝の朝刊が世論を煽って政権側に都合が良い方向へ動いてくれるとルーズベルトは笑みを浮かべていた。
彼の目論見通り、朝刊には大統領の和平提案がトップ記事扱いとなり、それに対する各国大使館の反応が示されていた。




