試製九四式軽戦車
皇紀2594年 8月 大日本帝国
34年夏の時点において大日本帝国の戦車が製造可能な工場は概ね東日本地区では三菱重工業の丸子工場と相模原工場、そして東京工廠、西日本では佐藤造機揖屋工場と大阪工廠にあった。
自動車メーカーや重工メーカーを差し置いて佐藤造機が食い込んでいるのは驚きであったが、自然な流れであったとも言える。立地条件が他社によりも恵まれていたことが佐藤造機を軍需メーカーへ成長させる原動力となっていたのである。日産財閥傘下にある安来製鋼所と隣接し、鋼材の供給が容易であったのだ。安来製鋼所もまた隣接するフォード・ジャパンとの取引関係から史実を大きく上回る規模に成長し、鋼材供給能力が非常に高かったのだ。
また、日本海が事実上の内海化したことで環日本海経済圏の成長が著しく、北満州及び沿海州からの鉄鉱石や石炭、砂鉄の供給が安定して行われていること、太平洋岸よりも防備が堅いという点で陸軍側から評価され、戦車製造工場指定を受けていたのである。
境港の港湾施設も同様に強化され、境線からの引き込み線を埠頭地区まで延伸し、船舶鉄道連絡によって貨物取扱量も増大していることから陸軍側にとって重要生産拠点と考えているのは正しい認識であろう。
しかし、同じように環日本海経済圏に属する小松製作所もまた、陸軍指定工場として戦車製造委託を狙っていた。陸軍の本命はむしろこちらであったが、佐藤造機ほどに恵まれていないこともあり時流の乗れなかったのだ。しかし、生産規模はこちらの方が上であり、また装軌車両の製造経験も一日の長があった。そういう意味では中日本唯一の戦車製造が可能な工場ではあった。
陸軍にとって戦車製造が可能な工場が増えることは望ましいものであったが、金食い虫である戦車や自走車両の製造は予算が厳しい陸軍には未だ自動貨車の調達で四苦八苦しているだけに緊急性の低いものであり、当面は三菱が担当していれば十分であったのだ。
そのため、三菱丸子と相模原では八八式中戦車と八九式軽戦車がそれぞれ量産を継続していたが、生産数は徐々に絞られつつあった。理由は単純であった。
「陳腐化著しい両戦車をいつまで製造し続けるのか」
陸軍中央では八八式、八九式ともに事実上の戦力外通告が出されていた。しかし、十分な数が揃っているわけではないため生産が継続され部隊配備を続けている状態であった。これも予算不足と自動貨車製造、各種機動砲製造が優先された結果であった。
砲兵戦力の強化と自動貨車の配備によって投射火力が格段に強化されたことは、北満州ハイラル近辺における散発的なソヴィエト連邦軍の侵攻をことごとく食い止める結果を生み、同様に北緯五五度線(正統ロシア-ソ連国境)における小競り合いにおいても効果を上げていた。
これらによって中途半端な性能で速度性能においては自動貨車牽引の機動砲にすらおいていかれる八八式や八九式に不要論が囁かれるのは当然の帰結であった。
しかし、かといって、歩兵からしたら移動トーチカでもある戦車の直協は是が非でも得たいものであり、製造及び配備中止に反対の姿勢を崩さず、調達が継続されていたのである。
「いい加減、まともな戦車を造るべき」
「いや、今は砲火力の充実だ」
「騎兵連隊の捜索連隊化こそ急務だ」
陸軍省、参謀本部、造兵廠、兵器廠、技術本部はそれぞれに立場から活発な議論が交わされるのだが、実際には議論ではなく我田引水と言うべきものであったのだろうか。
繰り返される会議室での応酬に誰もが行き詰まりを感じる中、とある人物が口を開いたのであった。
「技本から一つ良いでしょうか?」
中佐に昇進したばかりの原乙未生が満面の笑みを浮かべて口を挟む。その笑顔の裏にあるものは一体何か?
「中佐風情が何事か」
頭に血が上って持論を述べていた将官が原をにらみつけるがどこ吹く風の原はそのまま言葉を続ける。
「イタリアがエチオピアへの再戦を志向しておりますが……彼らには戦車が不足しております」
「我々も不足しているがな」
ボソッとだが、明らかに不満を持った声が出るが原は受け流す。
「技本で研究、試作が殆ど終了している試製九四式軽戦車を輸出してみては如何でしょうか? 試製九四式の性能に陸軍省は不満をもっておられますが、捜索連隊の騎兵戦車としては十分な性能を有していると先程の議論からも結論は出ております。イタリアをたきつけて試製九四式の方向性が正しいか実戦でそれを証明させ見てはいかがでありましょう」
「馬鹿を言うな。我らの手の内をイタリアに晒せというのか?」
原に件の将官は食ってかかる。
「性能は十分に達しておるというのに採用しないのでは手の内を晒すも何もありますまい? それとも、捜索連隊用としてだけでも試製九四式を採用してくれるのですか? 我らもすぐに量産出来る状態まで整えておるというのに審査で承認を得られないなら国庫支出の無駄遣いとの誹りを受けかねません。ならば、欧州のように兵器輸出をしてカネにかえた方が余程良いというものです」
「確かに原中佐の言う通りだ」
賛同の声が上がると原はさらに続ける。
「連中に売りつけた試製九四式になんらかの問題が出るようであれば、我ら技本がより洗練された新型戦車を作り上げることが可能となります。どちらに転んでも我らに損はありません。兵器は使ってみなければ真価を発揮しませぬ」
原の意見への反論はそれほど見られず、そのまま通過することになり、三菱重工業を通じてイタリア大使館に売り込まれた。イタリア側から武官が派遣され、技本において調査が行われたのは8月の終わりであったが、その時の原の表情は終始ニコニコ顔であったことからその結果は分かるだろう。




