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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2594年(1934年)

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国防の本義と企業の都合

皇紀2594年(1934年) 8月 帝都東京 三菱重工業丸子工場


 丸子に三菱が工場を構えるのは史実では37年のことであるが、この世界では事情が異なる。


 史実において自動車両産のための工場として丸子工場が設立されたのであるが、後に戦車製造の一大拠点のなるのであった。名車九七式中戦車チハやそのシリーズは主にここで生産され、各戦場へと送られていったのである。


 さて、この世界でも事情は似ている部分がある。だが、設立の主目的が土木重機と牽引機械であった。


 戦車の父こと原乙未生が魔改造したフランス製戦車ルノーFTはブルドーザーとなり、一定の成果を示すとともに試作直後に発生した関東大震災において、その能力を遺憾なく発揮し、瓦礫だらけになった帝都一帯を更地にするために大いに活躍したのであった。


 その活躍ぶりを原は陸軍省広報を通じて大々的に宣伝し、各事業者に商機と煽ったのであった。その結果、三菱重工業、小松製作所、久保田鉄工所、山岡発動機工作所が早速飛びつき、事実上の土木重機元年となった。


 その後、井関農具商会、佐藤商会(後に佐藤造機)が参入するが、この2社は陸軍から提示された技術情報取得がメインであり、実際に試作型をつくるが先行各社よりも企業規模が小さいこともあり早々にブルドーザーから手を引くと同時に他社が手を出していない農業用トラクター開発に注力することになる。


 ブルドーザーが世に出始めて帝都の各所で目につくようになり話題となった頃、原は陸軍省において記者たちに囲まれての会見を行ったのであるが、その時のやりとりをダイジェストで紹介しよう。


「別に事業参入しなくても、技術を習得すれば他のことで使えると考えるならそれで良いと思う。よく考えてみな? 他の人間がやっていないけれど、今ある技術を使って別のものを作ればそれは儲けの種になるわけだろう?」


 原はそう言うと人懐っこい表情で笑ってみせる。


「例えば、三菱さんみたいにさ、事業規模が大きいところなら、一大事となったとき戦車製造に転用出来るわけだし、無論彼らも兵器を扱う会社だから、その辺を考えているはずだよ?」


「だったらさ、ユンボって言ったかな? あぁ、君は知らないだろうな。私も洋行して初めて知ったくらいだから……有坂さんっているだろ? 新橋の。そう、彼が欧州にはそう言うものがあって、これから普及していくだろうから特許を押さえてまともに使えるものをでっち上げてしまえば良いと言ったんだよ」


「まぁ、それで、そのユンボってのも欧州じゃあ珍しいものでまだ普及どころかまともに使えない代物なんだが、これの概念というか原理を聞いたら、いや実に面白くてね……ほら、窓の外見てごらんなよ、ちょうど工兵の連中が野戦築城しているだろ? あれをさ、たったの一時間で終わらせてしまうくらいの代物なんだ」


「そうそう、驚きだよね? だけれど、そんな代物をさ、出遅れた佐藤商会など後発の零細企業がこさえたらだろうか? 彼らにとって大きな武器になるよね? まぁ、その辺は彼らにも話したんだけれど、今の君よりも興味津々でね、その日はホラ、アレをやりながら一晩中語り合ったんだよ」


 記者たち相手に原は饒舌に語りつつ、有坂謹製の大吟醸の空瓶を指さして一杯飲む仕草をしてさらに語る。


「君らも不思議だろうな。だったら、後発の企業がまだそれらしい製品を公表していないのが。実際にはもう出回っているよ。けれど、君たちが知らないんだから目にしていてもただの機械にしか見えないだろうからね」


「そら、来た。工兵の新兵どもに土木重機の凄さを実演してやろうと古参兵が乗ってやってきたよ。見てみたまえよ。アレを……どうだい? あっという間に工兵たちが一生懸命作っていた陣地が更地に変わっただろう? で、今度は同じように塹壕を……ホラ、あっという間だったろ?」


「あぁ、そうそう、欧州じゃあアレのこと誰もユンボって言ってなかったんだ。なんで有坂さんはユンボなんて言ったんだろうな? 不思議だよな。訛っていたのかな?」


「もうこんな時間か、済まないね。件の有坂さんとこれから会わないといけなくてね。また何かあれば時間を作るから来てくれたまえよ」


 そう言うと原は右手を軽く挙げて会議室から出て行く。記者たちは椅子から立ち上がると原にお辞儀をして口々に語り合う。


「いつも思うが、あの人は頭の固い陸さんの中では変わっているよな」


「いや、でも、あの人も機密に関わることは一切口外しないぞ?」


「だが、原さんの言うとおりだと、ユンボとやらの技術は帝国が列強よりも一歩も二歩も進んでいると言うことだろう……これは大事だぞ……明日か明後日の株価は……」


「オレ、株買おうかな」


「いや、よく考えろ、それは記者としてどうなんだ?」


「因果な商売をしているんだ、どうせマスゴミと言われて蔑まれているんだからこの程度誤差の範囲さ」


 冗談とも本気とも取れる会話をしつつも彼らの表情は皆一様に引き締まっていた。


 さて、そんなやりとりがあった23年の暮れに三菱重工業は丸子に工場を構えたのである。震災によって瓦礫野原、焼け野原になったところを区画整理と再開発の波が押し寄せ、三菱が社宅と託児所を併設する形で工場を建設、周辺住民を雇用することで抱え込んだのであった。


 品鶴線品川側から多摩川に沿って専用線が敷かれ、工場には日に数度貨物列車が資材搬入と製品搬出のために出入りしている。だが、ここまでなら普通の工場に思える。しかし、この工場は特殊であった。陸軍省が介入していたのである。


 1,盛り土を行い最低でも堤防と同じ高さとすること

 2,地下施設を建設すること

 3,地下施設は1トン爆弾の直撃、関東大震災程度の地震に耐えうること

 4,地上施設は従前と同様で構わないが防火設備を備えること

 5,十分な火除地を設置すること

 6,専用線は電化を基本とする


 通常であればこの様な要望が出ることはないが、丸子工場と同時期以後に大規模工場を新規設置する際には同じ要望を出していたのである。地震対策・避難施設という表向きの理由を主張していたが、明らかに軍需転換が可能な工場施設の機能保全が目的であった。


 しかし、三菱など企業側にとっては補助金で倉庫を造れるのでむしろ積極的にこの要望に従う傾向にあった。


「これで工場疎開を極力しなくて済むだろうか」


 発案者である東條英機(当時大佐)は無理矢理ねじ込んだことで陸軍予算が圧迫されたために批判の矢面に立つこととなるがそれでも毅然とした態度で相手の言い分を論破していったのであった。


「精神力は私も大事に思うが、精神力では工業生産は成り立たない。シベリア出兵でおわかりでしょう。敵を黙らせるには一発でも多くの弾を敵に撃ち込むことです。それを支えるのは工業力なのです。銃剣突撃は歩兵の基本ですが、敵が機関銃で待ち構えておるところに支援なしで突っ込めというのですか? 精神力を支える機械力、これこそ我が帝国陸軍に必要なのです。工業力に裏付けされた我が帝国陸軍が向かうところ敵なしなのは語るまでもないでしょう」


 東條は相手が将官であろうと佐官であろうと論破していき、「カミソリ東條」「カミソリみたいな切れ味のナタ」と恐れられることになるが、それはまた史実(前世)における反省もあったのかも知れない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 史実と真逆で防災に長けた設備投資している点。 [一言] 史実では鉄道連隊が訓練兼ねて内地の鉄道引いてましたが、以前にも道路不燃化を描写されていた通り公共工事強化は良いですね。 後訂正とお…
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