艦政本部<2>
皇紀2594年 5月 帝都東京
大角岑生大将が海軍大臣となって10年近い時が過ぎた。
加藤高明内閣の頃、列強からの外圧で軍縮を行うと幣原喜重郎外務大臣が独断で声明を出したことから統帥権干犯問題が発生した。この一件で政府と海軍の間に亀裂が生じ海軍の立場を主張して財部彪海軍大臣が辞職することとなった。そして海軍側が大臣を出さないという手段をとった際に海軍次官として政府側と折衝を行っていたが、結果としてこの時のことが大角を海軍大臣へと登り詰めさせる契機となった。
無論、それは彼にとっては決定的な好機であったが、それ以前から彼は海軍内部で加藤友三郎海軍大将の側近として仕えるなど着実にそして堅実にキャリアを積んでいた。
軍縮会議の際にも加藤の側近としての働きを見せ、艦隊派を抑えるなど功績があった。しかし、それは艦隊派にとって仇でもあると言えるものだった。
しかし、統帥権干犯問題は大角にとってまさに好機であった。
政府から詫びが入った際に巡洋艦4隻の予算を手土産に和解申し入れがあったが、これを造船施設拡充に充てるというウルトラCを政府に提示したのだ。これによって帝国政府は軍縮に前向きであり、海軍を説得したという実績を得ることが出来た。そして帝国海軍は軍縮を受け入れただけでなくさらに自主的に主力艦削減を提案したという美談をでっち上げることに成功したのだ。
無論これは艦隊派にとって望ましいものではなく、反発が大きくあった。しかし、大角はこれを逆手に艦隊派の懐柔に成功するのであった。
「今、巡洋艦4隻を諦めればダース単位で手に入れることが出来る。未来への投資で得られるモノは大きい」
これは艦隊派にとって甘美な響きであった。八八艦隊を諦めたばかりの帝国海軍が再び同様の夢を見るチャンスを与えられたからだ。
元々八八艦隊計画は夢や浪漫としてはこの上ない甘美なモノであったが、現実を考えれば建造計画の半分を達成出来れば上等ということは誰の目にも明らかであった。毎年の戦艦建造、他の補助艦艇の建造、現有戦力を数倍するものが実現出来るとは誰も思っていなかった。
しかし、今度はそれを達成出来る可能性があった。造船施設が強化されれば、巡洋艦どころか戦艦を多数同時に建造出来ることを意味しているからだ。八八艦隊を一気に揃えることすら夢ではないことを大角は匂わせていたのだ。
強硬派である末次信正少将(※当時)や加藤寛治大将を飴と鞭で同意させると艦隊派は事実上大角の与党と化したのである。これに海軍三長官を構成する連合艦隊司令長官である岡田啓介大将、軍令部長である鈴木貫太郎大将の同意も取り付けた時点で海軍の意思は固まったのであった。
逆に冷や飯を食うこととなったのは軍縮賛成派であり欧米協調を主張していた勢力であった。特に米内光政大将、山本五十六少将などの一派は梯子を外されたような状態になったのだ。海軍非主流派となった彼らに対して人事面での優遇などは期待出来なかった。
そして彼は海軍大臣へと登り詰めることとなったのだ。
その大角が平賀譲造船中将(※当時、少将)とつながりを持とうとするのは自然の成り行きであった。
「同一規格で大量に建造出来る船体、必要に応じて換装可能な交換式兵装……これを巡洋艦や駆逐艦などで実現出来ないか」
大角のこの言葉に平賀はこう答えていた。
「出来るか出来ないかで言えば、設計時点で考慮しておけば可能である、しかし、今の帝国における造船能力では量産効果を上げることは難しい」
この平賀の答えに大角はニヤリと笑みを浮かべて頷いた。
「わかった。平賀君には今の仕様で試案を作ってもらいたい。今すぐに必要ではないが、何れ必要になる。そして君と藤本君は軋轢があると言うが、帝国海軍のため、御国のために曲げて和解してもらいたい。君の経験と藤本君の先進的な考えはどちらかが欠けてはならん。協力してもらいたい。そして藤本君の技術的な危うさを補うよう頼みたい」
「それはご安心頂きたい。私も腐っても技術屋ですからな」
「なら、安心だ。では、多用途艦艇計画、頼むぞ」
このやりとりから10年近く経ったが、まさに機は熟せり。
「大臣、お待たせ致しました」
「おう、中村君。済まなかったな……親補職であった君に格下げ待遇とさせてしまった……だが、来月には親補職に戻ってもらう。本職を軍事参議官、兼職で艦政本部長とし大将へ昇進だ」
大角が待っていたのは中村良三中将、艦政本部長であった。史実よりも少し違う経緯であったが、中村に艦政本部長として就任してもらう理由があったのだ。故に鎮守府長官職を解き、就任させたのである。
「いえ、親補職は確かに名誉ですが実務ではこの艦政本部の方が重要です。その要職に私を就けたということは……」
「あぁ、すべての段取りが整った。あとは君に任せる。先日の図上演習の時同様にあっと言わせる出来のフネをよろしく頼むぞ」
先日の図上演習……これは艦政本部長に就任する前職である呉鎮守府長官の際に仮想敵の司令官役を担ったことを意味している。
中村が指揮を執る敵艦隊は帝国海軍の艦隊運用をことごとく手玉にとり従来の漸減作戦運用を出し抜いたのである。これに判定役だけでなく帝国海軍の指揮官は揃って「非常識だ」と非難したものの「私はアメリカ人である。日本人の都合で動く理由がない」と言って相手にしなかった。結局、同席していた大角の裁定で中村に軍配が上がる結果となった。
「君が主張した漸減作戦を君自身が打ち破るというのも面白かったが、敵の視点で考えるということがどうも我が帝国海軍には欠如しているようだ。そういう視点でフネを造って欲しい……だからこそ君を引き抜いたのだ。鎮守府長官などで遊ばせておく訳にはいかん」
大角の人事に含むところがないことは中村もよく理解していたが、自分をそこまで買ってくれていると思うと悪い気分はしないもので笑みを見せていた。
「艦政本部にはニクロム線がいるが、アレを使いこなして欲しい。才能の無駄遣いなど許されん、頼むぞ」
大角はそれだけ言うと部屋を出て行く。退出する姿を中村は見送ると自席に腰をかけるが、その時に無意識ではあったが溜息を吐いたのであった。
「えらいことを任された気がする……」




