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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2594年(1934年)

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電力問題<9>

皇紀2594年(1934年) 4月 帝都東京


 日本電力はここ数年間での大事業の連続で将来的な電源確保と需要の創出に成功したのだが、同時に財務状態は赤字にはならないが満足とは言えない黒字状態に陥っていた。言い換えれば、明日株価暴落でも起きようなものなら連鎖して倒産しかねない状態である。内部留保も相当に減っている。


 表向きは黒部川開発に全力投球、電力戦の消耗を癒やしていると経営陣は言い張っていたが、同じ電力業界の目を欺けるほど現実は甘くなかった。


 東京電力の統合によって関東全体で最大勢力となった東京電燈、中京の雄である東邦電力を指揮する松永安左衛門(電力の鬼)はこの状況に真っ先に手を打ったのである。


「日本電力が関東に有する地盤を引き渡すのであれば、東京電燈と東邦電力(我々)は黒部川開発の資金を提供するに吝かではない」


 日本電力が黒部川上流の仙人谷にダムを建設しようと考えているが、度重なる事業で推進出来ずにいたことを察した上での提案であった。


「黒部川上流は秘境も秘境、人間の手が入ってない想像を絶する地であると承知している。ここに分け入ってダムを建設するのは御社の今の体力では難しかろう。だが、我々が出資したならば資金と人員両方が揃う。計画が進行する頃には御社のダム建設も落ち着く。さすれば、我々と共同で総力を挙げての事業が可能になるのではないかね?」


 松永()の申し出に日本電力側は最初は自社の誇りにかけて丁寧に断りを入れていたのであるが、次の交渉時には財務状態に関する資料を提示され松永()の情報収集能力と本気度を認識させられ、三度目の交渉で遂に折れたのである。


「なに、儂は君らが憎くてやっているわけではない。御国のためを思ってのものだ。今の世は電力がなくてはならない世に変りつつある。電気の力は偉大だ。難工事に挑もうとする君らを支援してやりたいと思うのは同じ業界に生きる儂にとって当然のことだ。だが、ただでカネをくれてやるわけにはいかん。それは株主や顧客のそれを裏切ることになるのでな」


 満足出来る結果となった時、松永()は笑顔を見せていた。いつも険しい表情であったが、この時ばかりはとても晴れやかな笑顔であった。


 こうして仙人谷ダムの事業見通しは成り立った。


 第一段階として小屋平ダムから工事専用線が延伸され欅平まで延伸されることとなった。


 そこから先は勾配がきつく粘着式鉄道では建設資材の輸送が出来ないことからインクラインの建設が考えられたが、輸送効率を考えるとそれは否定された。代わって提案された縦坑のエレベーターに建設資材を積み込んだトロッコを入れて垂直移動させ、エレベーター出口に操車場を設けることで再び列車を再組成し建設現場である仙人谷へ向かわせるという方法がとられた。


 この工事専用線の建設に1年の歳月をかけ、35年夏にダム本体工事を始めることで決したのである。本体工事の工期は3年。38年夏の完工を目指すこととなったのであった。この時、史実よりも堤高を増やすことになり、65mとされた。これは下流の小屋平ダムにおける堆砂状況から出平ダム、宇奈月ダムでは排砂機能を追加されていたが、仙人谷ダムはより川幅が狭く勾配があることから堤高の嵩上げなしには発電能力喪失に繋がると判断されたのである。


 全体の工期を圧縮出来ないことから昼夜兼行での24時間態勢での建設促進が早い段階で決められ、またそれに対して国庫補助で人件費が出されることになり、日当最大16円が作業員に提示された。難工事故に実際の作業時間は1人4時間と想定されていたため実際には日当8円程度ではあるが、それでも破格の提示であった。これによって全国から作業員が集められたのである。


 こうして黒部川水系の30年代の開発事業が一段落付くことになるのであった。


 仙人谷ダム(黒部第三発電所):12万kW

 小屋平ダム(黒部第二発電所):8万kW

 出平ダム(音沢発電所・黒部第一発電所):18万kW

 宇奈月ダム(宇奈月発電所):2万kW


 合計で40万kWの発電能力を有することになる黒部川水系は日本屈指の発電地帯であった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] まだすべて完成していませんがこれで関西地方の電力に一安心といったところですかね。 [一言] 活動報告のエアコンのことで調べてみて1934年から日本でエアコンが作られていたことを知って驚きま…
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