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バーデンバーデンの密約<2>

皇紀2581年(1921年)10月27日 ドイツ=ワイマール共和国 バーデンバーデン


 永田、岡村による説得によって小畑の抵抗を抑えることに成功した東條。


 前世において帝国の舵取りを誤った元凶ともいえる存在……荒木貞夫、真崎甚三郎……の梯子を外し、表舞台に出さずに葬り去る算段は付いた。


 特に荒木は2・26事件前後よりも、退役した後に近衛政権下で文部大臣となったその時の頃がより害悪といえ、早い段階で葬り去る必要があると東條は前世メモに記していた。


 この時点で東條は今後の歴史の推移も前世同様に進むであろうと予測していた。否、そうならざるを得ないと考えていたのである。なぜならば、彼は現段階で少佐に過ぎず、陸軍主流派ですらないのだから。


 彼に出来ることは、今後の時流を先取りすることであり、歴史を変えることではないのである。


「東條の言い分を認めて、荒木真崎両氏を薩長の連中と同じく追いやることにする……だが、統帥権の独立は譲れん! ここを譲っては我らが動く意味がないではないか!」


 永田は荒木、真崎の放逐と引き換えに統帥権の独立を譲るように迫った。


 東條の背筋に冷たい汗が流れた。


――ここで折れるわけにはいかない。ここで折れたら何の意味もない。


 永田が簡単に荒木、真崎の放逐に同意したのは、所詮は操り人形や神輿として利用するための存在であり、その程度であれば変わりはいくらでもいるからだ。


「永田さん、理屈屋のあなたなら少し考えればわかると思うのだが……総力戦を行うとして、その戦争指導を行う存在……政府首班は誰が担うのでしょうか? 他の誰でもない我々帝国軍人ではありませんか?」


 東條は自身が直面した統帥権という破り難い壁を思い出しながら永田に詰め寄る。


 永田は少したじろいだ。


 永田から見れば今まで東條は自分の意見……主義主張……を押し通すことは殆どなく、常に自身や小畑などの考えに賛同し、その主義主張に引きずられていることが多かったのだ。


 だが、今の東條は全く違ったのである。


――永田の総力戦思想は大いに役立つこと間違いないが、ここで統帥権の独立を阻止しておかねば、やがて陸軍部内だけでなく、政界にまで飛び火する。その果てには在郷軍人会や大陸浪人にまで伝染して病魔の如く帝国を蝕む……。特に辻正信の様な勘違いした少壮軍人を生み出すなどあってはならんのだ……。


 東條は永田を睨みつけ、無言で再考を迫った。小畑や岡村は一歩も引かない東條の様子に驚きを隠さなかった。同時に永田の吊り上がった眼に戦々恐々としていた。


「東條、貴様の視点はわからんでもないが、今は陸軍部内での地位を確保するための……」


「だまらっしゃい!」


 小畑が口を挟んだが、東條の一喝で口をつぐんだ。


 東條は未だに沈黙を続ける永田を追い詰めるためにメモを開いた。彼の開いたメモは前世メモとは別に編集した統帥権に関する考察をまとめたものであった。


「統帥権の独立を仮想した戦争指導と政府……総理大臣及び陸軍大臣並びに参謀総長の職務と知りえる情報、行使出来る権限その他について考察をお聞き願いたい……まずは……」


 東條はメモに記した内容を適宜補足を入れながら説明していった。それは彼の実際の経験に基づくものであるため考察というよりは実体験による弊害の羅列であった。そして、補足は彼による東條幕府という非常手段そのものであったのだ。


 時折、小畑と岡村が口を挟んだが彼らはすぐに黙ることになる。彼らが望んだ結果があまりにも戦争指導には不適切であり、永田の望んだ総力戦、国家総動員への弊害の数々を生み出した元凶であると嫌でも気づかされたのだ。


「以上、これらの問題を引き起こし、戦争指導に悪影響を及ぼすだけでなく、帝国軍人の意識そのものにも悪影響となり、帝国臣民の国家への奉仕、政府及び軍部への協力に甚大な損失を生み出すと結論付けざるを得ません……」


 東條が語り終えたその時、永田はついに沈黙を破った。


「東條、貴様……いつ、それを考察した……それもここまで各方面への影響も含めて……貴様、本当にあの東條か?」


「狭い日本にいては見えるものは限られます……欧州の地で見聞し、一つ一つを研究しての結論とお考え下さい……永田さん、あなたも突っ走るだけでなく、立ち止まり己と周りを見つめるべきでしょう」


――そうでないとあなたはいずれ小畑とすれ違う……そして皇道派によって消される……。


 永田は東條の言葉を聞くと立ち上がり窓際に歩いて行った。ガラス戸を開け放ち、バルコニーに出ると暫く黙って外を見つめていた。


 東條らは永田を見つめ彼が口を開くのを待った。


 数分であろうか、数十分であろうか、時間は緩慢に流れた。


「……東條、貴様の研究……このまま続けろ……今はまだ貴様に賛同するわけにはいかん……だが、いずれ……貴様が帰国し、俺や小畑が帰国した後に再びこの件で会合を持とう……それまで怠るな」


 永田はそう言うと部屋を出ていった。永田が去ったことでバーデンバーデンの密約は破談となった。


――なんとか、食い止めることが出来たのか……?いや、執行猶予か……。

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