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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備《ノスタルジー》  作者: 有坂総一郎
皇紀2594年(1934年)

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1934年時点での大英帝国情勢

皇紀2594年(1934年) 1月1日 世界情勢


 大英帝国は第4次マクドナルド内閣が政権を担っていた。労働党主導の挙国一致内閣によって大恐慌以来の国難にチャレンジしている只中であった。


 日英間において綿布の貿易摩擦が発生したが、史実と異なり、日英間で妥協が図られたこともあり日英関係に亀裂が入ることはなかった。しかし、割を食ったのはまたもやインドであった。インドの綿産業が日英によって文字通り叩き潰されたのである。


 日本製綿製品に価格面で太刀打ち出来ないイギリス製綿製品を売るために日英間の妥協によって、日本製綿製品は数的制限を撤廃する代わりに価格をイギリス製綿製品より若干割高にすることとなったのだ。


 単純にここでは日英間の綿製品生産能力の問題だと言って良い。日本の操業時間・操業台数に比べイギリスは極端に少ないからだ。日本が1人で受け持つ自動織機が20~40台に対してイギリスでは2台までなのだから太刀打ち出来るわけがない。


 そうなれば価格が上昇する分、日本企業は多くの単価あたりでは利益を得ることになるが、販売機会が減ることになるためイギリス紡績業界が買い取って自社製品として販売する一種のOEMとすることでその補填としたのである。その際に品質手の均質化のため、豊田自動織機をイギリス紡績業界に売り込むことになったのだ。これによってイギリス紡績業界は自社製品と日本製品をブレンドすることでコスト低減させたのだ。


 結果、インド綿産業は安価かつ大量生産された実質日本製綿製品によって押し潰されてしまったのだ。


 インドの綿産業の衰退はそのまま雇用環境の悪化に繋がり、インドの独立運動の激化に繋がっていたが、インド国民会議もまた資金難に陥っていたのだ。元々は王侯貴族などが上層にいることで資金にそれほど困らない状態ではあったが、独立運動に食い扶持を求めるそれに対応し続けた結果、徐々にではあるがその体力を失っていったのだ。


 また、インド総督府は独立運動やガンジーに加担した者たちは容赦なく投獄し、罰として強制労働を課したのだ。強制労働は鉱山地帯において重宝され、ここ数年、右肩上がりの産出実績を積み上げていった。


 南西部の西ガーツ山脈にあるクドレムク鉱山やゴア鉱山、東ガーツ山脈にあるバイラディラ鉱山などの鉱山の開発が進むと採掘された鉄鉱石はゴア・マンガロール・ヴィシャカパトナムの各港から日本に向けて輸出されていた。無論、イギリス本国への輸送もあるが、需要自体が日本に比べると少ないため日本向けに輸出されることがもっぱらである。


 日英関係が良好なこともあり、こういった事情でイギリスがブロック経済を実施している中でも比較的活発に輸出入が行われている。


 また、マレー半島における日系企業による鉄鉱石・錫の採掘も史実以上に奨励されていた。日系企業が落とす資金はそのままマレー植民地の経済活性化に繋がり、同時に日本からの輸入代金として再び還流していくのであった。


 蘭印地区もまた対日貿易に依存している部分が多く、場合によっては本国通貨より日本円や英ポンドの方が決済通貨として機能することも多々あった。これはシンガポールが通貨センターとして機能し始めていることの証明でもあった。


 欧州では対独関係が悪くなく、また対ソ連・コメコン諸国という共通の敵が存在している状況でドイツとの技術交流は比較的活発であった。特にエンジン分野の技術交流は双方にとって得るものが多く、日英独の技術が混在した変態的エンジンが開発されるということすら発生していた。無論、この変態エンジンは試作にとどまったのだが、日本側にとっては得るものがより大きかった。


 航空分野は中島飛行機とブリストル社の提携が好調であり、ジュピター系の開発と進化は史実以上に進んでいた。この効果は大きく、ハーキュリーズの実証エンジンが既に出来上がっていた。同時に日本の中島飛行機ではハ5が既に実用化されていたのである。


 1000~1200馬力級大排気量エンジンの出現はそのまま航空機の性能に直結するだけにブリストル社の株価はうなぎ登りであった。


 無論、ロールスロイス社が負けているわけがなく、ケストレルを開発し、800馬力級を達成していた。未だ改良の余地があるケストレルに対してロールスロイス社の開発陣は1500馬力級を狙って基礎研究をさらに進めていたのである。彼らは35年頃には1000~1200馬力程度には引き上げることが出来ると確信を抱いていた。


 一方で海軍力の充実も大英帝国にとっては大きく自信を付けていた。


 ウィンストン・チャーチルの提唱したドレッドノートクルーザーはインコンパラブル級という超巡へと昇華し、それが海軍の新しいトレンドとなり、各国ともにこれの戦力化に力を注いでいた。その一方でカウンティ級の元重巡は武装の適正化を進めその多くは軽巡として再度就役していた。


 軽巡の充実はそのまま艦隊の自由度と防護能力の強化に繋がっていた。武装を適正化したことで使い勝手が良くなるとともに航続性能や最高速力が向上し、また、水雷戦隊を率いる教導艦として優秀な性能を示したのだ。


 広大な植民地を警備する艦艇としても、艦隊を構成する護衛艦艇としても、夜戦で斬り込みを行う教導艦としてもカウンティ級は優れた能力を発揮したのだ。流石は元重巡である。また、武装の適正化は排水量の低減に繋がり、そのおかげで数隻分の建造枠を得ることになったのだ。これもまた純粋に戦力強化に寄与していたのだ。


 流石は英国人である。転んでもただでは起きない。実利を得るまでリベンジをするその姿勢は驚嘆に値するといえるだろう。


 だが、そんな彼らでも頭を抱える案件が一つだけあった。


 海軍の主力、国家の威光の象徴、そう戦艦だ。


 彼らの持ちうる戦艦は何れも艦齢は20年を超えるものばかりになっていた。比較的新型と言えるネルソン級戦艦ですら起工を規準にすれば12年となる。就役からでも7年となる。


 近代化改装をQE級やR級に施してはいるが、それですら陳腐化を隠しきれない。日米への優位性があるとすれば、QE級、R級、フッド、レナウン級は何れも15インチ砲を積んでいることである。アメリカはコロラド級以外は14インチ砲だ。日本はこの時点で全艦41cm砲へ換装済みであるが公称は改装前の14インチ砲という扱いである。


 口径の違いが大英帝国海軍を慰めてはくれるが、それだとて安心材料ではなかった。アメリカはいずれ新型戦艦を量産することは目に見えている。そして16インチ標準化は間違いない。日本の場合はもっと警戒すべきモノだ。世界に先駆けて金剛型で14インチ、長門型で16インチ砲をひっさげた相手だ。間違いなく、今後の建艦競争では16インチ以上、場合によっては18インチどころか20インチですらやりかねないと判断されている。


 そんな中で世界最大にして最古の戦艦群という嬉しくもないガラクタを抱えている彼らは一種の強迫観念に苛まれても仕方がないだろう。


 しかし、自分たちから建艦競争を再び始めるわけにはいかなかった。ルールブレイカーは一回限り有効だ。頻繁にやらかしては大英帝国の沽券に関わる。


 だからこそ、彼らは二の足を踏んでいた。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 日英独の技術が混ざった変態エンジンが気になる。緑茶と紅茶とビールの化学反応の結果が知りたい。 [一言] イギリスはともかく、インドは結構割を食ってるな…まぁ日本が負けないためにやろうと…
2021/03/03 11:44 退会済み
管理
[気になる点] よし、ユモとネイピアを掛け合わせよう。 途轍もない斜め上なゲテモノを作り出してくれる筈だ。
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