1934年時点でのアメリカ情勢
皇紀2594年 1月1日 世界情勢
33年にフランクリン・デラノ・ルーズベルトが大統領に就任して以来、彼の政策は共和党や資本家たちには社会主義的だと批判が集まっていた。
彼の提唱するニューディール政策は表面上国民支持が大きく、これによって大恐慌以来の不景気を払拭出来るかのように見られていた。
だが、その実態は国民の期待と裏腹に、連邦最高裁によって違憲判決が下され遅々と進まなかった。だが、ルーズベルトはその閣僚とスタッフにニューディール政策が着実に実行されていると演出させることを指示し、国民を欺かせていたのだ。
偽装された演出によってアメリカ市民は景気が上向きになっていると錯覚させられ支持を高めていく。そしてそれを背景に反ルーズベルト派の法律家や判事を親ルーズベルト派に置き換えていき、法解釈をねじ曲げることで反対派の声を小さくし、法的正当性と法的拘束力を確保していったのだ。
33年はそうして実効性のある政策は事実何一つ為し得なかったが、虚構に満ちた実績が積み上げられていったことでルーズベルトの支持率は選挙時から全く下落することなくアメリカ市民を欺き続けていた。
だが、そのカラクリに気付いた人々はルーズベルト支持者をニューディーラーと蔑むようになったいった。特に共和党支持者たちは虚構に満ちた実績に詐欺同然だと憤ったが、Democracyという制度、そして選挙制度の前には無力であった。
「悪法も法である」
かつてソクラテスがそう言ったと言われるが、法としてそれを認めている以上は、法改正をしなければそれが存続する。それ故にどんなに正しいことを言おうが、数の暴力の前には無力だと思い知らされただけであった。
しかし、全くルーズベルト政権下でアメリカ合衆国にとってプラス作用がなかったかと言えばそれは嘘になる。対ソ国交樹立によって欧州世界で孤立するソビエト連邦との通商が正式にスタートしたのである。
これは立ち遅れたソ連にとって優れたアメリカの製品を受け入れるチャンスであり、同時にアメリカへの輸出チャンスともなったのだ。
特に欧州では日英独仏伊による封鎖が行われ、ソ連影響下にあるコメコン諸国は経済破綻状態に追い込まれていたのだが、アメリカがソ連との国交を正常化したことによって経済封鎖状態が解除されたため輸出入が刺激されたのである。
物流に刺激が与えられた結果、ソ連向けやバルト海向けの船舶需要が増え、鉄鋼・造船業界は受注が増えたのである。特にソ連向けは耐氷仕様となり単価が高く多少船価を釣り上げても飛ぶように売れたのである。
この造船景気によって利益を独占したのがベスレヘム・スチールグループとカイザー造船所だった。
特に西海岸に拠点を持つカイザー造船所は北太平洋-オホーツク海航路に投入することから頑丈で大型の貨物船を建造していたのである。しかも、カイザー造船所は画期的な建造方法で建造期間の圧縮に成功していたこともあって1隻あたりの利益効率が非常に良かったのだ。3分の2の工期、4分の1の建造費でありながら同業他社と同等の価格で受注しているのだから言わずもがなである。
造船業が稼働を開始すると鉄鋼需要が刺激され、大規模製鉄所が稼働率が上がることで造船所や製鉄所周辺自治体は俄に雇用環境が改善され、同時にモノが売れるようになり物流が刺激されたのである。
経済全体で考えれば小さな波ではあったが、確かに景気を刺激していただけに、ルーズベルトは誇大にこれを成果として取り上げ盛んにアピールしていたのであった。
五大湖工業地帯はまだその恩恵を得るには至っておらず、フォードなど自動車メーカーは限られた需要を奪い合いながら存続を賭けて競争を続けていた。彼らにとっては対岸の出来事でしかなかったのだ。




