風雲渦巻く箱根会議<5>
皇紀2593年 12月29日 神奈川県 箱根
東條英機中将による取り仕切りによってガソリン問題への解決へ向かうことになった箱根会議であったが、問題は山積である。
岸信介の言う通り、海軍の横槍は警戒しなければならないが、海軍を仕切るのは海軍大臣にして大角岑生大将、そして彼も転生者である。彼が史実同様に陸軍主導、満鉄や三菱が導入しようとしたIGファルベン系の技術をどう思うかは未知数だと言って良かった。
海軍にとっては重油を掠め取られる様に見えるだけに妨害に打って出ることは目に見えていた。また、重油の取り分が減るだけでなく重油の買付金額も上がることが間違いないだけに艦隊派が黙っているとは思えなかった。
「問題は大角海相ではなく、艦隊派でしょうな」
賀屋興宣はそう言うとすっかり冷めてしまったお茶を啜る。苦みが出てしまって美味くなくなっているそれが事態の複雑さを彼に自覚させていた。
「彼らをどうやって黙らせるかだが……私に一つ腹案がありますよ」
洋行帰り以来、デスクワークが長くなり恰幅が良くなった海軍将校が口を開く。数少ない海軍側の同志である豊田貞治郎少将だ。
「一体どうすると?」
「簡単なことです、鉄の配分で譲歩するのです。目下海軍は建艦競争に遅ればせながら足を踏み入れておるのは周知の通り……そこで最優先となるのは鉄鋼の確保です」
同じく海軍系であるが政治家へと転向した中島知久平は豊田に尋ねるが、豊田はあっけからかんと答える。
「いや、それは今は十分に調達出来ておるではないか、それに海軍も自前の製鉄所を呉に設置してガンガン製鉄しているというじゃないか」
岸は国内の製鋼量と海軍の使用量をメモで確認しつつ口にするが、豊田は大袈裟な仕草で全く足りないと応える。
「それでは一向に足らぬと言うのが、我が広工廠の見積もりです。なにせ、我が工廠は暇でしてな。閑職なだけに日々計算と見積もりを繰り返しておるのです。そして、海軍は……大角海相はと言うべきでしょうかな? 彼は秘匿しておりますが、列強を押さえ込む切り札に7万トン級の戦艦を秘密裏に計画しておるのです。そこにおられる平賀中将はよくご存じであろうかと思いますが」
「……豊田君、それは軍機に触れる。この場であろうと軽々しく言うモノではない」
平賀は苦々しい表情で豊田に苦言を呈したが否定もしなかった。
「平賀中将、やはり海軍はアレを建造するのか?」
「無論だ。そのために伊勢代艦を建造し、金剛代艦を建造しようとしておるのだ」
東條の問いに平賀は重々しく頷く。
「海軍部内でも極限られた人物のみが知っている秘匿戦艦建造となれば、その建造規模は八八艦隊をしのぐ規模であると察するのは容易でありましょう? なれば、鉄がいくらあっても足りぬと言うのは道理……海軍はいずれ、膨大な鉄鋼を要求し始めます。そうなれば自分たちで調達ではなく、国家から配分という形で調整せねばならなくなります」
「なるほど、豊田さんの言うことは尤もだ。そうなれば、海軍以外の取り分を切り崩すしか方法はない。重要資源の統制を図ることになればそれを仕切るのは商工省と大蔵省となりますな。いいでしょう、我々が海軍が納得しつつ他が割を食わない程度の譲歩可能な線引きを請け負いましょう」
岸は豊田の意図を理解し、それを請け負うと約した。だが、この時、岸は省庁再編構想を思いつくのであった。
「しかし、海軍に鉄を取られると経済が打撃を受けるな……なんとか下支え出来ぬものだろうか? 統制によって自由な取引が出来ぬとあっては生産に大きく影響が出かねない。生産設備を作るにも鉄は必要不可欠であるし、人造石油を作るにもやはり鉄資源は非常に大きい役割を果たすだろう?」
関西財界の雄である小林一三は統制には反対であった。史実でも岸とは対立関係にあったが、この世界では東條-有坂枢軸というそれによって史実よりも早く引き合っていることから、その対立関係もまた早まっていた。
「小林さんの言い分はわからんでもないが、限りある資源は優先度を付けて配分しなければならない。国家による指導は今後絶対に必要なのだ。特に産業を育成するにしても万遍なくと言うわけにはいかん」
財界と官界の戦いが再び始まってしまったことに幾人かは諦めと呆れの表情を浮かべていたが、実際に彼らのやりとり事態はどちらが正しいと言うことはない。手法の問題であり、どちらも天下国家を思ってのことだ。
岸は重工業などを優先して成長させドイツやソ連などと同等の生産力を付けたいと考え、小林は健全な経済成長を目指すことで国力を増進したいと考えている。
堤康次郎や五島慶太などは同じく鉄道経営、不動産開発を行っているだけに小林に同調しているが、また出光佐三や鮎川義介も同様に介入を良しとしない考えだった。逆に中島飛行機の総帥でもある中島や広工廠長である豊田などは岸に近い立場であった。
経済政策についてはこういった事情もあり、時折意見が対立することはあるのだ。
「製鉄に関しては私が引き受けましょう。私が言い出したことでもありますし、海軍の中で私が一番製鉄に通じているという自負もあります。今度設立される日本製鐵とも関係を深めなければなりませんから、その一環と思えば……」
豊田からが引き受けることでその場は収まる方向になったが、財界側の革新官僚への視線はやはり厳しいものがあったと有坂総一郎はそう認識を改めざるを得なかった。




