風雲渦巻く箱根会議<2>
皇紀2593年 12月29日 神奈川県 箱根
大蔵省を代表する賀屋興宣が協力出来ないと言ったことで国庫からの油田開発への出資は絶望的となった。
これには出光だけでなく岸も言葉を失った。両者ともに大蔵省から資金を引っ張ることが出来れば落とし所を見つけることが出来ると考えていた節があったからだ。
「ないものはない。確かに賀屋さんの言い分は尤もだ。海軍が軍縮条約明けの建艦を始めると予算が大きく取られるのは目に見えている。今は国内への投資に大きく予算を割り振っているからこそ事業を興すことが出来たが、超巡の建造が始まったことで海軍は今後、戦艦建造や補助艦艇の建造に本腰を入れるだろう」
豊田貞治郎少将はうんうんと頷きながら口にする。だが、それは他の参加者にとって見逃せないものだった。
「いや、豊田さん、あなたは海軍さんじゃないですか、何を他人事のように言っているんですか!」
「そうだよ。他人事みたいにおっしゃいますが、八八艦隊の時の国家予算のそれ忘れたのですか? あんなことやらかされたら国庫はいくらあっても足りませんぞ」
小林一三と中島知久平は豊田の態度に驚いて反発の声を上げる。特に元海軍軍人であり、海軍を飛び出して飛行機会社を創って今は立憲大政会の衆議院議員でもある中島にとっては暴言にしか聞こえなかった。
「いや、そうは言うが、私は今は左遷されて技術屋の親分でしかないんだ。海軍中央の考えなんて想像する程度しかできんさ。ただ、一つ言えるのは、海軍中央が軍拡路線に舵を切ったと言うことだ。特に大角大臣は海軍省に箝口令を発した様だからね。建艦競争を始めたと考えて間違いないだろう……平賀閣下はその辺を私より察しているのではないのか?」
豊田はそう言うと平賀譲中将に話を振るが、平賀は首を横に振る。
「流石にこれは軍機に触れる。だが、列強……特に合衆国がアラスカ級戦闘巡洋艦を建造開始している以上は我々も手をこまねいているわけにはいかぬ。対抗上、今後は列強の動きに合わせていくというのは語らずとも理解出来ることではないかね?」
平賀の言葉に皆頷くしかなかった。
「海軍が建艦予算を増やしていくことは仕方ないとして、大蔵省が手を引いたガソリン問題はどうするんだ? 自動車が普及すればするほどガソリンは需要が増える。まさか、陸海軍がガソリンを抱え込むというのではあるまいな?」
出光は右手で額を抑えつつ俯きながら尋ねる。彼が頭を抱えるほどの石油事情は切迫しているということを示している。
「問題はこの数年で急増したオート三輪がガソリン需要を押し上げておるのは間違いない。今は750ccまで無免許で運転出来ることになっているが、免許制へ変更してはどうだろうか? 一時的にでも運転台数が減ればその分だけでもガソリン需要が減るのでは……」
官僚の一部がそう声を上げたが、その言葉は続くことはなかった。
「何を今更! 無免許枠拡大に官庁が同意したからこそ、我々製造業者が大手を振って輸送能力強化のためにオート三輪を普及させたのだぞ! 今更それをガソリンがないから免許制に戻すなど誰がそれに賛成すると思うか? 内務省は産業界を敵に回したいのか!」
鮎川義介は無免許枠拡大の旗振り役であったことから官僚側の論理に真っ向から反発を示した。自分たちの仕事は国力に寄与すると考えて一生懸命普及に血道を上げてきただけにそんな卓袱台返しには納得がいかなかった。
「はぁ。やはり、人造石油は必要になりそうですね」
今まで黙って事態の推移を見守っていた有坂総一郎はここらで事態の収拾を試みないといけないと考え口を出すことにした。
「九州、三池炭鉱にほど近い大牟田において現在、三井財閥が人造石油工場と硫安工場を増設中です。また、北海道滝川にも同様のフィッシャー・トロプシュ法による石炭液化人造石油工場が量産試験状態にあります。これらが量産化出来る状態になれば年産10万トン規模は確保出来るでしょう。ただ、さらに増設して賄う必要があり、最低でも年産100万トン規模にする必要があります」
「それには多額の投資が必要ではないのか? また、エネルギー変換が悪いと言うが……」
「であるとしても、ないものを作り出すにはこれしか方法がありません。実際にドイツでも同様の事例があります。チリ硝石の代わりに石炭からアンモニアを量産してそれを火薬にしたのがドイツです。欧州大戦でドイツが戦えたのはこういうカラクリなのです。そして、今度は石炭から石油を作り出している……それを真似しない手はないのです」
岸が口を挟むがそれを制して総一郞は言い切る。出来ないことはしないが、出来ることをしないで後悔をするわけにはいかなかったからだ。そして、史実では曲がりなりにも一定の成果を上げている以上、やらないという選択肢はなかったのだ。




