風雲渦巻く箱根会議<1>
皇紀2593年 12月29日 神奈川県 箱根
有坂邸謀議に参加する面々は箱根に集っていた。無論、今後の帝国を裏から動かす存在である彼らは政治家、財界人、軍人、官僚問わず錚々たる顔ぶれである。もっとも、この謀議の参加者の面子はこの数年でいくらか入れ替わっている。
鉄道行政に大きく影響力を発揮した後藤新平、仙石貢は既に鬼籍に入り、ここには居ない。代わりに南満州鉄道総裁として満州で大きな影響力を与えている内田康哉が顔を出している。
同じく、鉄道省で仙石の副官として若手鉄道官僚の旗振り役として活躍した佐藤栄作が引き続き鉄道省の利益代表としてここにいた。
外交に関しては武断外交の旗振り役であった森恪の死去後に外務大臣となった重光葵がメンバーに加わったが、これは東條英機中将(秋に中将昇進)たっての要望によるものであった。東條が重光をメンバーに加えたのは自分の内閣において外務大臣として起用していたことによる。前世において重光は大東亜会議の成立など大きな役割を果たしていたことも東條が重光を信頼した理由であった。
それら以外では中核である東條、有坂総一郎、平賀譲中将、中島知久平、堤康次郎、五島慶太、小林一三、鮎川義介、出光佐三、甘粕正彦が居並ぶ。また、商工省から岸信介が利益代表として顔を出しているが、これは弟である佐藤と東條の口添えによるものであった。他にも官僚が幾人かいるが、その中でも大蔵省の利益代表である賀屋興宣もここでは大きな発言力を持つ人物の一人である。豊田貞治郎少将は海軍における技術関連代表として数少ない海軍関係者として臨席している。
当初は原敬や後藤など大物政治家を後ろ盾として活動していたが、参加各人の影響力が大きくなるにつれて、事実上の影の内閣と言えなくもない一大勢力にまでなった。現役の閣僚や軍中央、実力派官僚が揃っているだけに実際に政策に大きく反映されるだけの実力を備えるに至っていた。
そんな彼らがこの箱根で頭を悩ませていたのはとある問題の解決策が見いだせないという一点に尽きる。
「だから、言っておるだろうが!」
大声を張り上げるのは石油業界の海賊と呼び声高い出光その人である。
「そうは言うが、今の帝国ではガソリンは合衆国頼みにならざるを得ぬ」
「そこを商工省がなんとか旗振り役を務めてやれんのかと言っておる!」
言い争うのは出光と岸であった。
彼らはことあるごとに衝突を繰り返している。それはこの有坂邸謀議や箱根会議だけでなく、商工省庁舎や出光商会ビルでも繰り返されていることであった。
「満州の石油はどうやってもガソリンが採れぬのだから仕方ないだろう。出光さんよ、ないものはない。それにカネを出すことは商工省としては出来ぬ相談だ。それに業界再編による統制価格と生産統制も貴方は嫌だという。それでは協力する前提にすらならんよ」
岸は散々繰り返されてきたやりとりを改めて出光に浴びせかける。
彼らはこの一年、ことあるごとに意見を異にして対立を繰り返しているが、お互いに譲る気が全くなかった。故に公式の立場ではなく、私的な立場であり、意見の相違はあっても帝国の国力増強と生き残りを模索するこの場で決着をつけようと持ち込んでいたのだ。
「満州のプラントは満鉄と協調して重油と軽油を主軸に精製するようにしている。そのおかげで自動車業界と連携出来てトラックの発動機燃料をガソリンから軽油に転換することに成功している。これでガソリンはずいぶんと消費量を抑えることになった……それは岸さん、あんたも知っているよな?」
「ええ、それは知っておりますとも。それには商工省も助成金や省令を活用して誘導しましたからな……あと、船舶用についても同様にディーゼル化を促して燃費を向上させておりますからな」
「だが、な……あんたんとこがまとめたこの資料によるとガソリン需要が今までの数倍に増えるとあるじゃないか、それに大して無策のままなんだよ……このままだと自動車の量産が出来ても、それは鉄の塊のままだ。動かせないんだ」
「ですから、需要を満たせないガソリンではなく軽油の増産を行うように貴方方に指導をしているではありませんか」
「石油統制法のことだろう? だから、あんなもの業界が甘い汁を吸うだけにしか役に立たん! あんたんとこは統制して右から左、左から右と帳簿上動かすだけでしかない。実際に石油を扱うのはそうじゃない。未来に使う分を今用意して使えるようにしないといけないのだ。それだというのに、統制なんてしたらそこには石油商人が動く余地がない。それでどうやって不足するモノを用意すりゃ良い? そうだろ」
出光は岸と商工省が推し進める統制主義に真っ向から反対していたのだ。統制することによって国家が資源を把握管理しやすくなるが、代わりに企業が動ける余地が減る。よって、短期的には効果を上げるが長期的にはデメリットが上回ると考えてた。
石油業界は商工省の方針に従ってカルテルを結び既得権益を確保することを望んだが、出光は業界のそれにも反発していたのだ。
「今は連中が売ってくれるから良いかもしれんが、ソ連と肩を並べているところを見る限り、直に敵対すると考えるべきだ。そうなったら、どうやってガソリンを手に入れるんだい?」
「失礼な、それとて織り込み済みだ。出光さんは知らないかもしれんが、オランダと交渉を進めておる。大英帝国には日英合弁の油田をビルマに造ることを提案している……」
「それを大蔵省の賀屋さんはどう考えているんだね」
出光は賀屋に話を振る。
「うちとしては各省があれやこれやと要求を突きつけてくるから、精査して可否を判断しているが、景気の減速が懸念点である。景気が減速すれば当然税収が減る。今は好景気で企業の利益は右肩上がりの左団扇だが、統制が行き過ぎれば消費の低迷につながり、景気が後退することは間違いない」
「それは商工省に対する嫌みかな?」
「そうは言っていないが、自由交易が税収を下支えしているという認識を持って頂きたい。特にここには財界人が多い。彼らは多くの雇用を担っている。それを支えるのは景気であり、消費なのだ。計画経済の利点は大きいが、副作用を考えてもらいたいということだ。そして、事業を行うには原資が必要だが……今の国庫ではとてもじゃないが、外国に出掛けていって事業を行う余裕はない」
賀屋はそう言うとそれ以上の言葉を発することなくだんまりを決め込んだのであった。




