箱船
皇紀2592年 12月24日 大英帝国 ロンドン
ダンケルク級中型高速戦艦の建造が始まったことは大英帝国にも同日中に伝わっていた。海軍省がその情報を受け取るや次期主力艦についての議論が始まるが、それとは別に大英帝国は別の問題を抱えていた。
ワシントン海軍軍縮条約によって13万5000トンの空母建造枠を確保していた大英帝国だが、当時フューリアス、アーガス、イーグル、ハーミス、カレイジャス、グローリアスの6隻により11万5000トンを消化し、2万トンの建造枠を残していたのである。大英帝国海軍内ではこの建造枠を使い空母を建造しようという気運が高まっていた。
元々、急いでこの枠を使い切るつもりはなく、研究を続け適切な空母の設計を海軍当局は考えていたが、バルカン戦役における大日本帝国海軍中欧派遣艦隊の空母運用で彼らには一つの啓示を得ていたのである。
「航空母艦というモノの使い方は未だ未知数であるが、艦隊決戦の補助戦力として使うのが正しいことなのか?」
この議論はバルカン戦役が進むにつれて大英帝国海軍の中で大きく議論される様になったのだ。
特に比較的大型な空母であるカレイジャス、グローリアス、そして改良型のフューリアスはいずれも概ね40機程度を運用する能力を持つが、元々は改造艦艇であることもあり本格的な空母とは言い難いものであり、小型であるが最初から航空母艦として設計された純粋な空母であるハーミズを拡大し、問題点や欠陥を是正した空母の建造が望まれていた。
その議論の中で日本艦隊が示した対地支援というそれは明らかに従来の海上戦闘、陸上戦闘という枠を超えた第三の選択であった。
戦艦の艦砲が届かない陸地の奥深くに空母から発進した艦載機が侵攻し、地上部隊と連携して敵地上部隊や要塞などを攻撃するというそれは大英帝国のシーパワーの新たなる可能性を示したのであった。
仮想敵国であるドイツの心臓部であるルール工業地帯への航空攻撃であっても、オランダ沖に艦隊を進出させ、そこから戦闘機を発進させれば航続距離に不安のあるそれですら克服可能であり、また爆撃機を丸裸で出撃させなくても良いというメリットがそこにはあったのである。
それだけでなく、場合によっては通行制限のあるマルマラ海や海上交通を妨害されやすいバルト海への直接攻撃すら可能であることを示唆していたのだ。この啓示に大英帝国海軍が興味を示さない理由はなかった。
侵攻空母……彼らにその概念が登場するのはそれほど難しいことでも時間がかかることでもなかった。航空機の性能は日増しに向上し、また発動機の出力向上は航空機の可能性を広げていたのである。
「空母を戦術目標である敵艦船攻撃ではなく、戦略目標を叩くために用いればどうだ?」
「いや、先の大戦で苦しんだUボートを狩るために常時、艦隊や船団の上空に航空機を飛ばすためのプラットフォームという考え方も出来るではないか」
「よく考えよ、航空機の搭載を半分にしてその空いた空間に水陸両用車両や上陸用舟艇を積むというもありではないのか?」
「ならば、平時は艦載機を陸上に揚げて病院船などとして運用するというのもどうだろう?」
彼らの議論は放物線を描くように明後日の方角へ向かって突っ走っていく。だが、彼らの議論の方向性はそれほど間違ったモノではないことを史実は示しているだけに暴走というのは言い過ぎだろう。
しかし、鍵は2万トンという建造枠である。1万トン級を2隻建造するという企ても出てきたが、現有のそれを見て1万トンでは中途半端になることは見えていたことで2万トン使い切った中型艦へすることで議論は収束していった。
次は船渠・船台の問題であった。当初の設計案は飛行甲板長270m、水線長250m程度のものが提示されていたが、大英帝国海軍が用意可能な乾ドックはとてもではないが、そこまでの巨大艦に対応していなかった。同様に民間も難しく計画は修正されることになる。
結局、水線長210m前後が妥当と判断されると航空機の運用能力を確保するため、飛行甲板は目一杯の全長245m程度、最大幅を30m程度とすることとなった。これは史実飛龍型のそれらと比べると著しく寸胴となっていた。また、史実赤城型同様に航空機搭載数を確保するため格納庫を二段式としたこともあり飛行甲板の高さも史実赤城型に迫る数字になっていた。
有り体に言って寸胴で腰高の肥満体型である。だが、艦首をエンクローズドバウにしたことで、航洋性が向上すると同時に艦内容積が増し居住空間などを確保出来た。艦後部も同様に飛行甲板まで船体が一体化している。そのため、数値と比べてもそれほど肥満体型に見えない。これらは外観を引き締めてスマート見せる効果があったのだ。
設計案は史実アークロイヤルに近い形で纏まっていった。だが、大きく異なるのは格納庫容積を確保した理由である。
このとき、大英帝国海軍は搭載機数を増やすための容積確保をしていたが、同時に双発の艦上攻撃機を開発して運用しようと画策していたのだ。いや、むしろそのための格納庫容積であると言っても良かった。仮に双発機の開発に失敗しても単発の搭載機数を増やせると割り切っていたのだ。
そう、文字通り侵攻空母としての運用を前提とした設計であったのだ。




