第2回ドイツ総選挙前夜
皇紀2592年 10月15日 ドイツ=ワイマール共和国
ドイツにおける政変は未だ続いていた。
前回の総選挙でナチ党は第1党に選出されたが過半数に届く勢力ではなく、いずれかの政党との連合を組まなければならなかった。
また、議会内閣制であればナチ党の党首であるアドルフ・ヒトラーに首相職の打診が来るはずであるが、パウル・ヒンデンブルグ大統領はそれを望まず大統領内閣制の維持を声明しフランツ・フォン・パーペン首相の率いる改造内閣で副首相に就任するように要請が来ただけだった。
これにヒトラーは大きく落胆すると同時に、選挙結果から満足できるポストへの就任を望んだ。つまり、首相職以外は引き受けないというものだった。だが、第一党になったメリットは何も首相職に最も近いことだけでなく、国会議長職を得ることが出来るという点であった。
ヒトラーは自身の首相職以外を拒絶したが、腹心であるヘルマン・ゲーリングの国会議長職就任には難色を示さず、周囲の引き留めも無視しゲーリングの国会議長就任が確定したのであった。
このとき、ゲーリングはヒトラーに呼ばれ彼の執務室で選挙の労いの言葉を掛けられたのであったが……。
「ゲーリング君、君の働きのおかげで我が党は議席を伸ばすに至った。これまでの献身には感謝している」
上機嫌そうに肩を叩き労いの言葉を掛けるヒトラーではあったが、ゲーリングは違和感を感じずにはいられなかった。
「君を国会議長として送り込んだのは正解であった。パーペンの老いぼれを追い落とし、国民が大統領内閣を望んでいないと印象づけることが出来たのも君の働きによるものだ。余は大変満足している……だが、君のことを警戒せよという注進をする者が後を絶たない。これはどういうことか、わかっておろうな? 無論、余は君を信じておるのだから、そのような妄言に耳を傾けるつもりはない」
上機嫌に笑みを浮かべつつ握られた手には力が加えられていると同時にヒトラーの瞳は笑ってはいなかった。対外的にはゲーリングを労うと同時に疑っていないという素振りを見せているのであった。
この部屋にはナチ党の宣伝部隊がカメラや録音機材を持ち込んで二人の会合を取材しているが選挙用の記録映画撮影である。記録映画を流すことで視覚的にドイツの未来を動かす人物が誰であるかを訴えかけるためである。
ゲーリングの背中には脂汗が流れていた。
――彼は今、私にヒンデンブルグ大統領との縁を切れと迫ってきている。
同じく欧州大戦における英雄であり、帝政復古派でもあるゲーリングにとってヒンデンブルグもまた同志である。その彼との関係を断ち切ること、それを望んでいる。そして、それを今、ここで示せと迫っているのだとゲーリングは悟る。
「君がザルツブルクから余と党に多大な支援をしてくれた恩を考えれば、余がゲーリング、君を疑うなどあるわけがない。そうだな?」
ヒトラーの握力が増した気がした。早く答えろとの催促であった。
「全くです。そのような妄言など信じるに値しません。全く、何を根拠にそのような世迷い言を……」
「そうであるならば、構わない。これからも我が党と余のために尽くしてくれるか?」
「ええ、私はあなたに共鳴し、期待しているからこそ従ってきたのですからお供致します」
表面上そう言うことは出来たが、ゲーリングの心中は複雑であった。ヒトラーはヒンデンブルグに敵意と猜疑心を抱いているが、ゲーリングはそういうものがない。そもそも、尊敬している存在だ。そして、ヒトラーを首相職に就かせるにはどのみちヒンデンブルグの承認がなければならない。親密な関係は重要であるのは変わらない事実だ。
「私は、あなたを首相職に就けるために今後もあらゆる努力を致しましょう。そのために、あえて泥を被ることも致しましょう、我らの願いはドイツの復興、再生……その第一歩はあなたが首相職に就くこと」
「君の言う通りだ。どうやら私は世迷い言で少し心を乱していたようだ。すまなかったな」
ヒトラーの瞳が少し緩んだように思えたが、ゲーリングは安堵することはなかった。




