山猫<2>
皇紀2592年 8月27日 帝都東京
東條英機少将ら技術将校たちは岐阜での寄り道で得た思いがけない収穫を基に一つの提言をまとめ、陸軍省に提出した。宇垣一成陸軍大臣はその提言に目を通すと早速、市ヶ谷において検分したいと考え、赤菱自動車製造に実車の納入を指示する旨、伝達を出したのであった。
宇垣が特に重視したのは偵察行動を行うのに適した車両であり、軽機関銃を荷台に装備させることで威力偵察に用いたり自走対空砲代用として機能するという点であった。
軍命に応えた赤菱自動車製造からは主要要目の書かれた書類が早速届けられ、その要目を目にするやいなや軍の編制を司る陸軍省軍務局は直ちに東條提言を基に編制の見積もりを出すとそれを参謀本部第一部作戦課と編制動員課に回した。
だが、その後、話を聞きつけた陸軍省整備局と兵器局も巻き込んだ大騒動になったのである。
彼らが一様に注目していたのは結局のところ、十分に回ってこない予算の中で出来る限り軍備の近代化と自動車化を推し進めたいというものであった。
宇垣によって陸軍は2度の軍縮を行い、軍馬の削減が行われ、また新型銃火器の整備に優先して予算が振り向けられたこともあり、トラックやオートバイに十分に予算を取れないという状態が続いていたこともあって赤菱自動車製造の山猫と称される小型オフロード車は魅力的だったのだ。仮に積載量が少なくとも約500kgの積載が出来るというだけで十分だったのだ。
また、兵員も運転手を含めて6名が搭乗出来ることで2台あれば1個分隊を輸送可能であることも魅力的であったのだ。2台一組で行動することで偵察行動に際しても生存性や伝令任務に適していると考えられたのだ。
それだけでなく、配備されたばかりの八九式重擲弾筒を多連装仕様にして運用したバルカン戦線の戦訓から現地改造のそれではなく、制式化した多連装重擲弾筒キャリヤーとするという案も飛び出してきたのだ。
こういった議論が出てきたことに兵器行政に口を挟める……既成事実化によって職権領域を拡大……東條にとっては非常に有益なことであったのだ。ほんの数日で赤菱自動車製造の山猫は制式化する方向へ陸軍内の空気は流れていった。
さて、この赤菱・山猫の気になる主要要目を紹介するとしよう。
赤菱自動車製造 山猫
全長 4.74m
全幅 1.76m
全高 1.97m
速度 70km/h
乗員 6名
積載 500kg
発動機 赤菱MAN直噴ディーゼルエンジン 直列6気筒 9.83L 80馬力




