山猫<1>
皇紀2592年 8月24日 岐阜市
三菱の航空機及び発動機開発の中心である名古屋からほど近い岐阜の地で新たな企業が産声を上げていた。この地に創業した企業は赤菱自動車製造という。
この赤菱自動車製造が手掛けた第一号車は陸軍省に売り込みをかける形で歩兵第68連隊の兵営に持ち込まれ、大阪での戦車開発会議に出席した帰りの東條英機少将と原乙未生少佐など兵器開発の関係者たちも立ち寄ってのお披露目となっていた。
東條らは新興企業が箔をつけるために陸軍の看板で商売を始めようと考えてのものだと考えていたのだが、思わぬ形でそれは裏切られることとなった。
彼らの目の前に存在する車両はラジアルタイヤを履いた4輪駆動の小型車両であった。2ドアで車体後部に幌を被せたそれは軽快に路上を走破するだけでなく、不整地すらも難なく乗り越えていき、速度はそれほど落ちている様には見受けられなかった。
前日の雨でぬかるんだ場所ですら足を取られることなく走り抜くそれに陸軍の面々は目を光らせ、矢継ぎ早に実戦に近い形での試乗を要求するのであったが、赤菱の社員たちはそれに応えて機関銃座の設置すらも容易に出来ることを説明すると兵営から軽機関銃を持ち込んで設置しての試乗が始まった。
戦闘機動や偵察機動、高速機動、過載状態での走行、リヤカー牽引状態など即興で考えつく状態を一通り実施した第68連隊の幹部たちと東條ら兵器開発当局はその結果に驚愕するとともに満足し、そして興奮していた。
「なんだこれは? こんな自動車があるとは聞いていないぞ」
「いや、欧米の自動車すら凌駕しているではないか」
「よく考えろ、こんな自動車があれば偵察にもってこいではないか?」
「装甲がなくてもこれだけの高速度で行動できるならばそれだけで……」
彼らの脳裏に浮かんでいたのは一つの答えであった。
――これさえあればカネがかかる割に数が揃えられず、満足な性能も求められない軽装甲車は要らないのではないのか?
無論、装甲車というのは状況次第では非常に有用な車両であるから全くの無駄ではないが、偵察行動を行うという用途に割り切ってしまえば別に装甲車である必要はない。それどころか、迂回挟撃や浸透戦術を用いる場合、ゲリラ的な夜襲を掛けるなどの用途にこういった小型高機動な車両を運用出来るならば効果的であるとさえ彼らは考えたのだ。
「赤菱自動車製造とか言ったな? 後日、陸軍省に出頭するように伝えよ」
東條は連隊付きの士官に命じるとすぐさま連隊差し回しの乗用車で岐阜駅へ向かった。名古屋駅で急行列車へ乗り換えて東京へ戻るためだ。
帰りの急行列車の車内で技術本部の面々は活発な討論を行っていたが、皆一様に赤菱自動車製造の開発したオフロード車を採用したいと一致した考えを持っていた。
元々、トラックの荷台に兵員を詰め込んで輸送するという考えがあったが、そもそもトラックが不足している上に関東軍や中欧派遣軍など外征部隊へ優先的に配備され、内地では自転車の支給で自走させることが多かった。
そのため、捜索連隊へと改編が検討されている騎兵連隊へのトラック配備数を一部削減して赤菱のオフロード車へ置き換えることを彼らは思い付き、皮算用ではあるが、手帳に概算をしてみていたのだ。
彼らの概算では捜索連隊へのトラック配備を減らして輜重連隊へ回せば馬匹問題の解決にもつながり、また軽装甲車の不足を補えると試算出来ていたのだ。
「ほぅ……新型戦車や装甲車が出来るまでのつなぎにはなりそうだな」
「そうですな……これならば陸軍省も予算問題に悩まされることなく参謀本部や現場も一定の満足が出来そうではないでしょうか?」
東條と原はその試算にニヤリと笑みを浮かべていた。




