帰って来た戦車男<1>
皇紀2592年 8月15日 大阪市
帝国陸軍において戦車開発と言えば陸軍造兵廠大阪工廠が製造拠点として有名である。当然、この世界でも帝国陸軍の戦車開発はここで行われている。
前時代の無用の長物となり果てた大坂城を魔改造し所狭しと煉瓦造りの工場や倉庫が城内の廓という廓に設置されている。青谷口に設置され時計台がシンボルの本館がここの中枢となる。
東條英機少将は軍事委員長という立場から兵器開発や兵器配備、運用に関して幅広く口を出していたことから新型戦車の開発計画にも深く関与していた。そのため、この大阪に出向いていたのである。
新型戦車計画と銘打ってはいるもののその実態は軽戦車もしくは豆戦車、牽引車であり、欧州において評判になっているカーデン・ロイド豆戦車Mk.Ⅳを参考に帰国したばかりの陸軍技術本部にて原乙未生少佐が開発主任となり動き出したプロジェクトであったのだ。
史実で言えば九四式軽装甲車/九四式装甲牽引車に相当するプロジェクトであった。
八八式中戦車の開発で重量級戦車の開発が一定の水準で行われていたが、あくまでそれは試製戦車の域を脱するものではなく、輸入戦車に比べれば性能が良いというだけのものであった。
要は数を揃えたくても性能面では不満が残るため本格的な量産には至らず、32年度においては年産10両程度の配備にとどまっている。そうなると実質的な予備車の確保程度であり、戦車部隊の増設など夢のまた夢であり、早急に量産化に適した戦車の開発が望まれていたのだ。
ただ、先立つものがない陸軍としては実績があるモノを導入することで無駄金を使っているという批判を逸らしたかったのだ。
そこで欧州帰りの専門家である原に白羽の矢が立ったのだ。
「まぁ、確かにアレやソレでは戦車本来の役割を果たしているとは言い難いですからね」
原はあっけらかんと言い放つが、陸軍省や参謀本部の高官たちもそれを自覚しているためか”少佐”如きの立場でありながらもそれを平然と認める発言をした原を咎めることはなかった。
「早急に使えるタンクを用意せよ……満州ではソ連が快速戦車を投入したと報告があった……それによると八九式軽戦車では追いつけぬという」
現場からの報告を裏付けるかのような資料や写真が原に手渡されると彼はそれを見ながらニコリと笑みを浮かべる。どうやら正体が分かったようだ。
「これはヴィッカース6トンから派生したものでしょう。確か、我が陸軍も1台購入していたでしょう?」
「あれか?」
窓の外に折よく城東練兵場へと移動していたヴィッカースA型双砲塔仕様が見える。特徴的な多砲塔の車体がノロノロと動いている。本来快速戦車であるが、構内であることもあって徐行運転を行っている。
「ええ、あれです」
原は頷くと資料を示す。
「あれは時速35キロで快走する代物ですから、それを基礎にした戦車であれば同様に35から40キロ程度は出せそうですね。それに対して、我が方は25キロ……相手になりませんな」
「その通りだな……同時に輜重兵の貨物自動車と同行させても支障が出ていると報告が上がっている」
陸軍省や参謀本部にとっては敵の足にも負け、味方の輜重兵からも鈍亀扱いされる戦車兵の気持ちは痛いほどわかってはいたが、無いものは無い。故に支障が出ようともあるものでやりくりするしかなかった。
「では、我が陸軍が必要としている車両の方向性は明確ではありますまいか? 我々は自動貨車との協同作戦行動が出来る戦車を開発し、機動力に富んだ車両によって敵を出し抜く機動戦、電撃戦を行うという方向で検討をすべきでしょう」
原の言葉はその方向性を確定させることになるが、八八式中戦車や八九式軽戦車によって発動機の性能不足が大きな問題になっていることを知っていただけに原が言うほど簡単なことではないと感じていたのだ。




