ゲーリングの台頭
皇紀2592年 8月12日 ドイツ=ワイマール共和国
ドイツ国会総選挙の結果、ナチ党の大躍進したことでドイツ国会議長の座はナチ党へ転がり込んできたのであった。
4月の大統領選挙においてパウル・フォン・ヒンデンブルクが圧倒的勝利を収めたが、ナチ党から立候補したアドルフ・ヒトラーもまた得票率30%に及ぶそれによって存在感を見せつけていた。そして、この総選挙の結果であった。
この選挙戦期間中、ヒトラーの選挙演説は超満員となっていたが、実はそれ以上に聴衆を動員したのはヘルマン・ゲーリングであった。彼はルール工業地帯と重工業・自動車・航空機・造船の各メーカーが根拠とする各都市を中心に遊説していたのである。
その際に、懇意にしている各企業の経営陣やオーナーとともに演壇に立ち、工業大国への邁進と内需拡大による雇用拡大を訴え、政権獲得によって大規模な公共投資が可能になると雇用だけでなく賃金の上昇が期待出来ると主張したのであった。
共産党や社会民主党などが労働組合と協調して支持を拡大しようとしていたが、雇用を守る、企業に守らせるという主張よりもゲーリングの示す明るい未来を労働者たちは選んだのである。
ヒトラーの行動方針、ワイマール体制批判というそれに対し、労働者たちの受けが良かったのは自己利益に直結するゲーリングの地に足が付いた未来展望だったのだ。結局は精神的な満足感、敵愾心の発奮では民衆を潤すことは出来なかったのだ。
ヒトラーは一時的な熱狂を与えることは出来ても、パンと仕事を与えてくれることを約束したのはゲーリング唯一人だったのだ。結果、ゲーリングへの期待感がドイツ国民に広がり、国会内外でゲーリング国会議長擁立論が広がっていたのであった。
「ゲーリングはあなたを差し置いて名声を得ています注意してください」
ゲーリングの名声に脅威を感じたヨーゼフ・ゲッベルスはヒトラーに注意を促した。
「はっはっは、ゲッベルスくん、君は心配性だな。ゲーリングくんは私を裏切ったりはせん。今は入閣交渉を進めるべき時だ」
ヒトラーは今までのゲーリングの献身に疑いを持たずにいたが、それが故にゲッベルスなど側近たちは危機感を抱いていた。
「しかし、党内左派は盛んに彼を名指しで批判しております。また、ヒンデンブルクとの個人的な関係もあり、あなたを差し置いて首相職に指名される可能性も……」
ナチ党左派の党幹部オットー・シュトラッサーなどは王侯貴族や企業家と懇意であるゲーリングの姿勢を国家社会主義の理念とかけ離れていると批判していたのだが、それもヒトラーによって黙殺されていたこともあり不満は蓄積していた。
不満はあれども、ルール工業地帯などの労働者を味方につけたゲーリングの功績を否定は出来ず、またゲーリングによってもたらされた企業献金がなければ党勢拡大というそれすらも不可能だったこともあり表立っての反発は控えられていたのだ。
「ゲッベルスくん、私は先程なんと言ったかね?」
「いえ、それは……」
「私は忙しいのだ……根も葉もない下克上の話などで機嫌を損ねないでくれないでくれたまえ」
ヒトラーによってゲーリング排除の意見は一蹴され、ゲーリングの国会議長就任工作が水面下で進められることとなり、また組閣工作も同時に進められていたのである。
この時、ゲーリングは大統領であるヒンデンブルクのもとを訪ね、ヒトラーの組閣について交渉を行っていたのだが、それはヒトラーの指示の下であった。同時に他の側近たちにも国会内の力関係を考え中央党を中心に懐柔工作を進めていた。
「今やるべきことは、フォン・パーペンの失脚である……それ以外は些末なことだ」
そう言いきるヒトラーにゲッベルスは一抹の不安を感じずにはいられなかった。




